杜甫
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100 漂泊の詩 洞庭湖
永泰元年765年54歳
五言律詩 去蜀
夏五月、一家草堂を去り、錦江の渡津万里橋の袂から船出。
703 遊子
756 渝州候嚴六侍御不到先下峽
五言律詩 宿青溪驛奉懷張員外十五兄之緒
青渓駅というところにとまったとき、張之緒をおもって彼によせた詩。永泰元年夏、作者がすでに成都を離れて江を下り嘉州にあったときの作。
五言律詩 渝州候嚴六侍禦不到,先下峽
愉州で侍御史厳君がくるかこぬかとまっていたがこぬので、自分はひとあしさきに三昧から江をくだるつもりだ。永泰元年夏、下江の際の作。
五言律詩 禹廟(此忠州臨江縣禹祠也)
忠州の禹廟に謁してよんだ詩。永泰元年秋、下江の際の作。
五言律詩 題忠州龍興寺所居院壁
息州の竜興寺の寓居のおくざしきの壁にかきつけた詩。永泰元年忠州にあっての作。
五言律詩 哭嚴僕射歸?
長安に近い故郷の葦陰県に帰葬するために左僕射厳武の霊枢が忠州を舟でとおったのを突した詩。忠州にあっての作。
五言律詩 旅夜書懐(細草微風岸)
詩は渝州から忠州(四川省忠県)に至る船中の作。
五言律詩 長江二首
第一首は長江のながれの東海に帰することを説き、盗賊の其の義を知らぬことをいい、自己の帰心の翻浪に似ていることをのべて結びとした。雲安にあっての作。
五言律詩 承聞故房相公靈?自?州?殯歸葬東都有作 二首
いまはなくなった宰相房預公の霊枢が聞州より仮り埋めからだして洛陽の方へ帰葬されるということをきいてよんだ詩。
五言律詩 懷錦水居止 二首
錦江のほとりの住居のことをおもってよんだ詩。雲安の作。
七言律詩 十二月一日 三首
永泰元年冬、雲安にあっての作。
七言律詩 放船(収帆下急水)
大暦元年766年55歳
五言律詩 雲安九日鄭十八携酒陪諸公宴(寒花開已尽) 雲安、着。重陽節前。
七言律詩 青 糸(青糸白馬誰家子)
五言律詩187 遣 憤(聞道花門将)
宦官が禁衛軍を統率など、言語道断。
五言律詩 南楚
南楚すなわち雲安の春の景情をのべた詩。尾二句によれば他より出遊のさそいをうけたときよんだものであろう。正月雲安の作。
五言律詩 水閣朝霽,奉簡嚴雲安(一作雲安嚴明府)
雲安の寓居の水辺の閣のあさばれに雲安の県令厳某に手紙としてやった詩。春、雲安の作。
五言古詩 杜鵑
杜鵑について感じたことをのべたうた。早蝸件t、雲安の作。
五言律詩 子規
子規をきいてよんだ詩。春、雲安にあっての作。
王兵馬使二角鷹
七言歌行 寄岑嘉州(州據蜀江外)
嘉州の刺史であり親友である苓参に寄せた詩。雲安の作。 * 〔原注〕 州拠蜀江外(州は蜀江の外に拠る)
五言律詩 移居菱州作(伏枕雲安県)
春になると、風痺も回復してきたので、杜甫は菱州(きしゅう:四川省奉節県の東)に移る。
七言絶句 漫 成(江月去人只数尺)
夏から秋への四か月間の旅は、杜甫の健康を害す。風痺(ふうひ:関節炎)が悪化、歩行もままならない状態。
五言古詩190 客 堂(憶昨離少城) 菱州に着くと、山の麓に仮小屋を作って仮寓した
h813 暫往白帝複還東屯
五言律詩h815 上白帝城(公孫述僭位於此,自稱白帝)
菱州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。大暦元年菱州にあっての作。
五言排律 上白帝城二首
これもまた白帝城にのぼってよんだ詩である。ここにはその第一首をとる。この第一首は時事に感じたことをのべる。春の作。
五言律詩 白帝城樓 杜甫
七言律詩 白帝城最高楼(城尖径仄旌旆愁)
杖をついて白帝城の最高楼まで登り、ここでも国家の現状を慨歎している。
五言絶句 武侯廟(廟在白帝西郊)
菱州の諸葛亮の廟をたずねてよんだ詩。菱州にあっての作
五言絶句 八陣圖
諸葛孔明の造ったと称せられる八陣図について感をのべる。
五言律詩 諸葛廟
五言律詩 艶預堆
艶預堆の石のことをよんだ詩。
七言律詩 艶預
五言律詩 老病
菱州にあって老い且つ病んだことをよんだ詩。春晩の作。
五言律詩 憶鄭南比
北方をおもう詩であり、鄭県の寺のことをいう。
七言絶句 菱州歌 十絶句
菱州の風土についてのべている。内容は各第。夏の作。
五言古詩 牽牛織女
牽牛星と織女星との事に感じてよんだ詩。七月菱州の作。
五言古詩 雨 二首
雨のことをよむ。大暦元年菱州にあっての作。
五言律詩 江上
江上の宅にあっての感をのべる、闇にあっての作。江上は起句の二字を切りとって用いたもの。菱州西閣にあっての作。
七言律詩 返 照(楚王宮北正黄昏)
夕日のてりかえしのおりに感じたことをのぺる。菱州西閣の作。
五言古詩 殿中楊監見示張旭草書圖
殿中監楊某が張旭の草書図をみてよんだ詩。菱州の作。
五言古詩 種萵苣 并序
ちさ菜をうえた詩。大暦元年秋、菱州にあっての作。
七言律詩 白帝
菱州の人民の困窮に同情してよんだ詩。秋の作。
七言律詩 黄 草
成都の乱と松州の囲まれたこととをきいてよんだ詩。題は詩句の首二字を切り取って用いる。大暦元年秋の作。
五言古詩 謁先主廟(劉昭烈廟在奉節縣東六裏)
菱州の先主廟に謁したことをよんだ詩。秋の作。
七言歌行 古柏行
菱州の諸葛武侯の廟にある古柏についてよんだうた。
七言律詩 諸將 五首
将軍らの事について感をのべる。事は詩中に。広徳元年から大暦元年秋の作で諸将として大暦元年秋に集約。
(1)五言古詩 八哀詩 贈司空王公思禮
(2) 故司徒李公光弼 李公輔をかなしんでよんだ詩。
(3) 贈左僕射鄭國公嚴公武 死後に左僕射を贈られた鄭国公厳武をいたんだ詩。
(4) 贈太子太師汝陽郡王進 汝陽王李進を哀しんでよんだ詩。
(5) 贈秘書監江夏李公邑 李邑を哀しんだ詩。
(6) 故秘書少監武功蘇公源明 秘書少監蘇源明を哀しんだ詩。
五言古詩h271 八哀詩(7)故著作郎貶台州司??陽鄭公虔 鄭虔を哀しんでよんだ詩。
五言古詩h272 八哀詩(8)故右僕射相國張公九齡 張九齢を哀しんでよんだ詩。
五言古詩h841 贈李八秘書別 三十韻 秘書省の官李某が入朝しょうとして?州に立寄ったとき彼に贈って別れをつげる詩である。「旧唐書」杜鴻漸伝によれば鴻漸の入朝は大暦二年のことである。詩は大暦二年の作であろうか。仇氏は黄鶴に従って大暦元年七月の作となしている。
五言律詩h862 中夜 夜中の感懐をのべた詩。大暦元年菱州にあっての作。
五言律詩h871 中宵 よいの口の感をのべた詩。大暦元年菱州にあっての作。
七言律詩h881 夜(一作秋夜客舍)197 夜 (露下天高秋気清) 厳武の部下の柏茂琳は?西に西閣という住居を与え、菱州で療養するように勧める。
五言律詩h786 宿江邊閣(即後西閣) 江のほとりにある草閣にとまったことをのべた詩。大暦元年菱州にあっての作。
七言律詩h981 吹笛 杜甫101 吹 笛 詩の句首の二字を切りとって題とする。笛声のあわれなのをきいてよんだ詩。大暦元年?州にあっての作か。198 吹 笛(吹笛秋山風月清)
五言排律h791 西閣 二首 西閣にあっての作。
五言律詩h902 月 月を見て感をのべる、梁権道は編して大暦二年の作とするが、仇氏は大暦元年西閣にあっての作としている。
五言律詩h939 第五弟豐獨在江左,近三四載寂無消息,覓使寄此 二首 五番めの弟の豊だけ独り江左(江東、江南)にいるがこの近くの三四年はさっぱり消息がない。それで使者をもとめて此の詩を寄せてやる。大暦元年の作。
223 第五弟豊独在江左近三四載寂無消息?使寄此二首其二(聞汝依山寺)
五言古詩h283 聽楊氏歌
七言律詩h287 秋風 二首 秋風に自分のこころもちをのべている。
七言律詩h837 102 199 秋興 八首 其一(玉露凋傷楓樹林)
七言律詩h838 詠懐古蹟五首 古跡において自己の懐う所を詠じた詩。五首ある。大暦元年菱州に在ったおり各古跡をおとずれることなく予想して作ったもの
七言歌行h196 寄韓諫議 諫議大夫韓注に寄せた詩。大暦元年の作であろうか。
七言絶句h844 解悶 十二首 悶えを解くために作った詩。ここにはその第二首、第三首、第六首、第八首、第九首をとる。其の事がらは第によやて同じくないゆえ、各篇をみて知られたい。詩中の「一たび故国を辞して十たび秋を経」 の句によれば大暦元年?州にあっての作であろう。至徳二載より大暦元年までは十年である。
五言律詩h848 洞房 この篇「洞房」以下の宿昔、能画、闘鶏、歴歴、洛陽(本書にはとらぬ)、梶山、提封、通じて八篇は同時の作と思われるもので、いずれも長安の往事を追想したものである。
五言律詩h849 宿昔 この「宿昔」の篇は玄宗の宮中の行楽を追懐する。
五言律詩h850 能畫 この 「能画」 の篇は玄宗時の雑技を追懐する。
五言律詩h851 鬥? この 「闘鶏」 の第は鷹山宮の遊戯を追懐する。
五言律詩h854 洛陽
五言律詩h853 ?? この「歴歴」の篇は乱後久しく蜀地に病客であることを歎ずる。
五言律詩h855 驪山 この「驪山」の篇は玄宗の崩御を追懐する。
五言律詩h856 提封 この「提封」の第は治国の要道を説き、倹を行ない賢を用い恩を加えるべきであり、険を恃み武を用いるべきではないことをいっている。
五言律詩
五言律詩h852 鸚鵡(一作翦羽) この篇は鸚鵡に托して自己の離郷の感をのぺている。この「鸚鵡」以下孤雁、鴎、猿、廃、鶏、黄魚、白小、通じて八首はみな禽鳥獣魚を詠じ、物に托して自己の意を寓している。大暦元年菱州にあっての作であろう。
五言律詩h982 孤雁(一作後飛雁) この第は孤雁に托して兄弟の群を思う詩である。
五言律詩h987 ? キ ?が鳴いたために人に獲られて食膳にのぼされることをいう。
五言律詩h986 白小 白小魚の取りつくされるのを見て感をのべる。
五言律詩h983 ?
五言律詩h984 猿
五言律詩h985 ?魚
五言律詩h988 ?
五言古詩h836 偶題 偶然にかきつけた詩。文章の沿革より自己の詩学に及び、この詩を賦すわけを叙している。
七言歌行h281 李潮八分小篆歌 作者の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。大暦元年 766年 55歳菱州にあっての作。
五言律詩h831 峽口二首 瞿塘峡口について感を叙する、大暦元年?州にあっての作。
五言古詩h876 南極 ?州の風土の惑いことをのべている。詩の起首の二字を切りとって題とする。大暦元年 766年 55歳 冬 菱州にあっての作。
五言律詩h833 瞿塘兩崖 瞿塘峡の崖門の険峻なことをのべている。大暦元年冬、菱州にあっての作。
五言律詩h787 西閣口號(呈元二十一) 西闇にての口ずさみ、元二十一に呈したもの。大暦元年冬、憂州にあっての作。
七言律詩h792 207 閣 夜(歳暮陰陽催短景) 柏茂琳の客分として?西の西閣に住み、時々都督府で文章の草槁作成、書簡の代筆をする。
五言律詩h794 ?西寒望 寒天に?水の西をながめたことをのぺる。大暦元年冬、菱州西閣にあっての作か。西の地の険隘なのをいとって居を移そうと思い、?西方面をながめやったものであろう。明年の春に至って作者はまず赤甲に遷居し、三月に至って漂西に還ることとなった。
七言歌行h228 縛?行 奴が鶏を縛って市に売りにゆこうとするのを見て感じたことをのべた歌である。大暦元年冬、?州にあっての作。
七言歌行h925 小至 冬至の後二日めの景事と所感とをのべる。大暦元年冬、菱州にあっての作。
七言歌行h284 荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌 刑南の兵馬僕で兼ねて太常卿である趙某公のもっている大食国伝来の刀の歌。大暦元年冬、?州にあっての作であろう。
七言歌行h285 王兵馬使二角鷹 兵馬使王某の二つの角鷹を見て感を叙した詩。大暦元年の作であろう。
七言歌行h990 見王監兵馬使?近山有白K二鷹羅者久取竟未…請餘賦詩
七言歌行h300 醉為馬墜,諸公攜酒相看 ?西移居の後の作
大暦2年767年56歳
七言歌行h776 208 立 春(春日春盤細生菜) 立春の日に菜盤をみて感ずる所をのべる。大暦二年立春、菱州にあっての作。
七言歌行h929 愁(強戲為?體) 愁いのこころをよんだ。戯れに呉体を用いてつくった。大暦二年春の作であろう。*〔原注〕 強戯烏呉鰹(強いて戯れに呉体を為す)
七言歌行h932 即事(一作天畔) おりにふれてよんだ詩、大暦二年春のくれの作。
五言律詩h795 入宅三首(大?二年春,甫自西閣遷赤甲) 西闇の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩。大磨二年春の作
五言律詩h798 暮春題?西新賃草屋 五首 春のくれに凄西であらたに借りいれた草屋に題した詩。
五言律詩
五言律詩h916 209 示熟食日宗文宗武(消渇遊江漢)
五言律詩h937 喜観即到復題短編二首其一(巫峡千山暗) 22歳若い弟の来訪
五言律詩h937 喜觀即到複題短篇 二首 観がすぐにも到着することを喜んでまた短い詩をかきつけた。前篇とほとんど同時の作であろう。
五言律詩h1100 送惠二歸故居 「聞惠二過東溪特一送(以下七首,?若本逸詩)」杜甫 恵某がその旧居に帰るのを送った詩。この詩は集外詩である。黄鶴は大暦二年春の作であろうとなしている。
七言絶句h846 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號 ?句 十二首 いままで朝廷に反抗していた河北の節度使らが入朝するようになったと聞いたので喜んで口ずさんだ絶句十二首。第八首、第十一首、第十三首をとる。大暦二年三月頃の作であろう。
五言律詩h948 過客相尋 わざわざよってたずねてくれる客のあることをよんだ詩。大暦二年?西居住の後の作。
五言古詩h245 課伐木 しもべたちに日課として木を伐って間が饑をゆわせたことをよんだ詩。
五言古詩h248 槐葉冷淘 槐の葉をつきまぜた冷やし麺をくった詩。大暦二年壤西にあっての作。
五言古詩h248 槐葉冷淘 槐の葉をつきまぜた冷やし麺をくった詩。大暦二年壤西にあっての作。
五言古詩h252 上後園山閣 壤西の居宅の北にある園の山麓にのぼったときの詩。乾元二年より大暦三年まででは十年であるが、作者は三年の正月に峡より出たので此の詩は大暦二年夏の作である。
七言歌行h822 ?? ??堆のあたりに水かさのましたことをよんだ詩。大暦二年六月の作。
七言歌行h945 七月一日題終明府水樓二首 七月一日に奉節県のかりの県令終某の水辺の楼閣に遊んでそこに書きつけた詩。大暦二年の作
五言古詩h249 行官張望補稻畦水歸 田地係りの張望が稲田の畦の水を補って東屯からかえって報告したことをよんだ詩。大暦二年 ?西にあっての作。
五言古詩h254 秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問 真鶴はこの詩を大暦二年の秋、壊酉からきて東屯に居たときの作としている。
五言古詩h259 又上後園山? 二度めに?西の北国の山麓にのぼったことをよんだ詩。大暦二年秋の作。
五言古詩h253 驅豎子摘蒼耳(即卷耳) しもべをやって蒼耳という草をつませたことをよんだ詩。大暦二年秋の作。
五言古詩h830 諸葛廟 ?州にある諸葛孔明の廟にまいったことをよんだ詩。大暦二年の作か。
七言歌行h980 見螢火 ほたるをみてよんだ詩。大暦二年秋の作。
七言歌行h960 送李八秘書赴杜相公幕 李秘書(排行第八の人)が宰相杜鴻漸公の幕府へと、おくればせながら赴くのを送った詩。大暦二年九月の作であろう。
五言律詩h866 吾宗(衛倉曹崇簡) 自己の同宗である杜崇簡のことをのべている。
七言歌行h286 寄狄明府博濟 一作寄狄明府 狄仁傑の曾孫で局の某県の県令であった博済に寄せた詩。大暦二年?州にあっての作。
五言古詩h280 同元使君舂陵行
五言古詩h840 秋日?府詠懷奉寄鄭監李賓客 一百韻 秋の日に?州府でおもいをのべて秘書少監邸審全篇二百句、一千字。時に審は刑州(江陵)に在り、太子賓客李之芳に寄せた詩。韻の数は百、之芳は夷陵(宜昌)に居た大暦二年秋の作。
五言律詩h802 秋野 五首 秋の田野についてのべた詩。大暦二年秋の作。 767年 56歳
五言律詩h805 課小竪鋤折合北果林枝蔓荒磯浄託移牀 三首
五言律詩h906 返照 夕ばえのてりかえしのさまをのべた詩。大暦二年秋の作。
五言律詩h907 向夕 夕にむかうさまを叙する。大暦二年冬の作。この篇の後になお秋の詩があるが、編纂の際に入れかわったものであろう。
五言絶句h845 複愁 十二首 ふたたび愁えたことをのべた詩。
107 復愁十二首(万国尚戎馬)生まれ故郷の鞏県(きょうけん)を訪ねたときのこと。秋、五言絶句の連作
五言古詩h918 社日兩篇 秋の社日にあったことをのべた詩。大暦元年の作か二年の作か詳らかでない。
五言律詩h808 自?西荊扉且移居東屯茅屋 四首 ?西のいぶせき宿から東屯の茅屋の方へ住居を移したことをのべた詩。大暦二年秋の作。
五言律詩h918 社日兩篇 秋の社日にあったことをのべた詩。大暦元年の作か二年の作か詳らかでない。
五言律詩h894 八月十五夜月 二首 八月十五夜の月をよんだ詩、大暦二年の作であろう。
五言律詩h895 十六夜翫月 十六夜に月色をもてあそんだことをよんだ詩。前篇の十五夜、この篇の十六夜、次篇の十七夜の月の詩は皆順次にその夜の作であろう。「杜臆」には三篇とも?西の作とする。
五言律詩h896 十七夜對月 十七夜に月にうちむかいながめたことをのべる。
五言律詩h908 曉望 あかつきのながめをよんだ詩。黄鶴は大暦二年東屯にあっての作とする。大暦2年 767年 56歳
五言律詩h893 日暮 112 日の暮れたときのことをよんだ詩。黄鶴は大暦二年?西にあっての作とする。220 日 暮(牛羊下来久) ?西の作
五言律詩h904 夜 夜の感をのべる。
五言律詩h949 孟倉曹?趾領新酒?二物滿器見遺老夫 孟倉菅があるいて、新酒と醤油とをもって器物にいっぱいつめてわたしにおくってくれられた。
h919 九日 五首 登高 九月九日陰暦重陽のことをのぺる。この題には五首とあるが四首しかない。趙次公は「登高」の詩を加えて五首とする。或はもと五首であったのを後人が「登高」を別にしたものか。大暦二年の作。
七言律詩 222 登 高(風急天高猿嘯哀) ?州の作
五言律詩h810 東屯月夜 東屯の月夜のさまをのべる、大暦二年秋、東屯にあっての作。
五言律詩h813 暫往白帝複還東屯 しばらく白帝城の方へいっていたがまた東屯の万へかえったことをよんだ詩。大暦二年秋の作。
五言律詩h814 刈稻了詠懷 稲を刈りおわってからおもいをのべた詩。大暦二年秋晩の作であろう。
五言律詩h946 季秋蘇五弟纓江樓夜宴崔十三評事、韋少府? 三首 秋の末に蘇鍵が江辺の楼で崖公輔と葦某とをさかもりにまねいたときの詩。大暦二年の作。767年56歳
七言律詩h933 即事(一作天畔)<朝廷批判> おりにふれてよんだ詩。大暦二年秋の作であろう。
五言律詩h879 獨坐 二首 独り坐したときのこころをよんだ詩。大暦二年秋の作であろう。真鶴は東屯にあっての作としているが、東屯か漢西かは不明。
五言律詩h921 大?二年九月三十日 大暦二年九月三十日、秋の尽きようとする日によんだ詩。
五言律詩h909 雷 雷をきいたことをよんだ詩。大暦二年十月の作。
五言律詩h903 雨 四首 雨についてのべた詩。大暦二年の作か。黄鶴は?西の作
五言律詩h306 大覺高僧蘭若(和尚去冬往湖南) 高僧大覚和尚の蘭若を尋ねて作った詩。大暦二年の作か。
五言律詩h958 謁真諦寺禪師 真諦寺の禅師に謁したことをよんだ詩。作時は不明。
七言歌行h000 虎牙行(虎牙行) ?州にあり秋の風気の寒冷なのにあって騒乱を傷んだ詩。題は詩中の文字を摘出したまでで特に虎牙山についてのべたものではない。大暦二年垂州にあっての作であろう。
七言歌行h275 觀公孫大娘弟子舞劍器行
五言古詩h273 寫懷 二首 自己のむねのうちを写しのべた詩。大暦二年冬の作。ここにはその第一首をとる。
五言古詩h950 柳司馬至 司馬柳某がみやこからかえって来て話をしたことをのべた詩。話は吐蕃の入寇により両京が戒厳の状態にあることをのべる。大暦二年冬の作。
七言歌行h940 舍弟觀赴藍田取妻子到江陵,喜寄 三首 弟の観が藍田県へいって妻を要って江陵へ到着したということだ、それで喜んで寄せた詩。大暦二年冬の作
七言律詩h296 夜歸 暗夜に家にもどったときのことをよんだ詩。大暦二年
七言歌行h293 後苦寒行 二首 前に「苦寒行」(本書にはとらぬ)があり、それに対して「後」という。大暦二年冬の作。
五言律詩h864 107 白 露211 白 露(白露団甘子) 初秋、白露節
七言歌行hh229 217 負薪行(?州処女髪半華)
七言律詩h952 219 又呈呉郎(堂前撲棗任西隣) 東屯の作
五言律詩h941 221 宗武生日(小子何時見)
七言律詩h924 224 冬 至 (年至日長為客) ?州の東郊、赤甲山 の作
● 杜甫の詩