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  女性詩人たち 
雰囲気の柔らかい詩を書く詩人たち
 虞美人 王昭君  卓文君  劉細君  班u、  蔡炎  謝眺 上官婉兒  楊貴妃 薛濤  唐婉  魚玄機の詩  秋瑾
 李 白 楊貴妃を詠う
  李白 王昭君 二首
  白楽天 楊貴妃を詠う
 白楽天王昭君を詠う二首


 四大美女の詩


中国の世の変遷 時に詠う
漢詩理解のための時代の解説
中国の時代と詩人のたち


孔子 孟子 屈原 宋玉 荊軻 項羽
武帝 蘇武 王昭君 卓文君 蔡邑  曹操 曹丕 曹植 阮籍 陶淵明 

 ○ 初唐の詩人たち
魏徴 王勃 蘆照鄰 駱賓王 沈栓期 宗之問 上官儀 上官婉兒 

 ○ 盛唐の詩人たち
張説 張九齢 賀知章 孟浩然 王維 裴迪 王昌齢  王翰 賈至 高適 李白 杜甫 岑參 王之渙 

 ○ 中唐の詩人たち
張謂 韋応物 劉張卿 孟郊 柳宗元 劉禹錫 白楽天 張継 顔真卿 元槇 薛濤

 ○ 晩唐の詩人たち
杜牧  李商隠  温庭均 高駢 曹松  魚玄機
林逋 蘇東坡 欧陽脩 司馬光 晏殊 王安石 曹鞏 岳飛 陸游 朱熹 辛棄疾 高啓 秋瑾 


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 王昭君ものがたり
   1.はじめに

 2.匈奴に嫁いだ悲劇の美女を生んだ地方とは 

 3.武帝(在位BC141〜BC87)の匈奴強硬外交

 4.王昭君が嫁いだ匈奴

 5.後日談として   (青塚)



























女性詩人 


時代 詩人名(よみかな) / 事項 生没年 / 詩歌
虞美 ぐび [未詳〜前202]
秦末から楚漢戦争期の女性。項羽の愛人。正確な名前ははっきりしておらず、「虞」は姓である(『漢書』)とも名である(『史記』)ともいわれ、「美人」も後宮での役職名であるともその容姿を表現したものであるともいわれる。

虞美人歌 (漢兵已略地)
虞美人歌  秦末・虞美人 詩<118>古代 女性詩 555 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブ
ログ1482

西施 せいし


唐山夫人 とうざんふじん


王昭君
生没年未詳
中国、前漢の元帝の宮女。名は(しょう)。昭君は字(あざな)。のちに明妃(めいひ)・明君ともよばれる。匈奴との和親政策のため呼韓邪単于に嫁がせられた。その哀話は、戯曲「漢宮秋」などや、人物画「明妃出塞図」の題材となった。

怨詩
怨詩 王昭君 漢詩<110-#1>U李白に影響を与えた詩545 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1452
怨詩 王昭君 漢詩<110-#2>U李白に影響を与えた詩546 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1455
前漢
劉細君 (りゅう さいくん ) 生没年不明:
字:前漢・武帝の時の江都王・劉建の娘。前105年、公主として西域の烏孫国(天山山脈の北)の王に嫁がされ、「悲愁歌」を作って身の悲しさを述べた。烏孫公主とも言う。王昭君の事と共に有名。

悲愁歌
悲愁歌 烏孫公主(劉細君) <108>U李白に影響を与えた詩542 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1443
華容夫人 かようふじん

卓文君 (たくぶんくん) 生没年不明:
前漢の蜀(しよく)の富豪の娘。文人の司馬相如(しようじよ)と知り合い、成都に駆け落ちして辛苦をともにした。のち相如が心変わりした際、「白頭吟」を作って決別の意を示した。後世、戯曲などの題材とされる。
白頭吟(皚如山上雪)
白頭吟 卓文君 <109-#1>U李白に影響を与えた詩543 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1446
白頭吟 卓文君 <109-#2>U李白に影響を与えた詩544 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1449
前漢
班u、 (はんしょうよ) 生没年不詳
中国・前漢成帝の愛人。成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、大后を長信宮に供養することを理由に退いた。失寵した女性の象徴として、詩の主題にあつかわれることが多い。
怨歌行   怨詩(新裂齊?素)
怨歌行 班?、(ul) 漢詩<111>玉台新詠集 女性詩547 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1458

趙飛燕 ちょうひえん (? -紀元前1年)
前漢成帝の皇后。元名を宜主と称した。その出生は卑賤であり、幼少時に長安にたどり着き、号を「飛燕」とし歌舞の研鑽を積み、その美貌が成帝の目にとまり妹「合徳」と一緒に後宮に迎えられた。
歸風送遠操 趙飛燕 女流<112>玉台新詠集 女性詩 548 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1461

班昭 はんしょう

   


   

後漢・魏 劉勲妻王氏 りゅうくんつまおうし

雑詩二首

後漢・魏
蔡烟 (さいえん) 177年頃 - 239年頃
 後漢末から魏初の詩人。字は文姫、または昭姫。陳留圉(現在の河南省杞県)出身。父は蔡?。才女のほまれ高く音律に通じ、また数奇な運命でも知られる。
 河東の衛仲道の妻となるが死別。195年(興平2年)、董卓の残党によって乱が起こると、実家に帰っていた蔡?は匈奴の騎馬兵に拉致され、ついには南匈奴の左賢王劉豹に側室として留め置かれることになった。そこで左賢王との間に二子をもうけた。12年後の207年、蔡?の後継者が居ないことを惜しんだ曹操が、身代金として財宝を支払うことによって帰国した(その際、子供を匈奴に残している)。その後、同郷出身の董祀に嫁いだ。また、失われた父の蔵書のうち蔡?の暗記していたものを復元した。陝西省西安市藍田県三里鎮蔡王村に陵墓があり、付近には記念館が建っている。
 現存する詩として、自らの波乱の人生をつづった『胡笳十八拍』と『悲憤詩』の二首が伝わっているが、『胡笳十八拍』については後世の産物だという説もある。
蔡?の人生を題材にした作品に、北京の頤和園の長廊に描かれた『文姫帰漢図』、郭沫若の戯曲などがある。

悲憤詩     胡笳十八拍
甄后 けんごう 曹丕の妻




蘇伯玉妻 そはくぎょつま




竇玄妻 とうげんつま




徐淑(秦嘉妻徐淑) じょしゅく




賈充 與妻李夫人 りふじん




東晉 桃葉 とうよう




東晉 謝道蘊 しゃどううん




南斉
鮑令暉 こうれいき 生卒年不詳。
南朝宋女詩人。東海(現在山東?城)の人。鮑照の妹。鮑令暉も詩人として知られる。略歴 いわゆる寒門の貧しい家柄に生まれる。元嘉 (南朝宋)ごろに臨川王劉義慶に認められて国侍郎、太学博士、中書舎人となる。荊州刺史の臨海王劉子?のもとで前軍参軍の職につく。劉子?の反乱で乱戦のうちに殺害された鍾エ《詩品》??是南齊人,但從鮑照的《請假?》中講到僅有的一個妹妹死去等語看來,?似乎在宋孝武帝時就已去世。其詩見於《玉台新詠》。今人錢仲聯《鮑參軍集注》附有鮑令暉詩。 

許瑤 きょよう





沈満願 しんまんがん
生卒年不詳。?の武康の人。沈約の孫娘。征西記室范靖(靜)の妻。
西暦540年ごろの梁武帝最盛期頃に評価を受けたようである。ただ、沈約(441年 - 513年)は学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したというので、身分地位についてはそれほど高いものではなかったのではなかろうか。ただ、女性の立場で、王昭君の悲劇を詠っているわけで、詩界に参列できるだけのものであったことは間違いない。

王昭君歎二首 其一 沈満願(梁の征西記室范靖の妻) <114-#1>玉台新詠集 女性詩 551 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1470
王昭君歎二首 其二 沈満願(梁の征西記室范靖の妻) 女流<115>玉台新詠集 女性詩 552 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1473
詠歩揺花 范靖婦沈満願 宋詩<119>玉台新詠集巻四 女性詩 556 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1485
戯蕭娘 范靖婦沈満願 宋詩<120>玉台新詠集巻四 女性詩 557 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1488
映水曲 沈満願(梁の征西記室范靖の妻) 女流<116>玉台新詠集 女性詩 553 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1476


劉令嫺 りゅうれいかん





衛敬瑜の妻王氏 おうし





武陵王妃 ぶりょうおうひ

劉孝綽 りゅうこうしゃく

胡太后(胡芳) こたいこう

馮淑妃 ふうしゅくひ

丹陽孟珠 たんようもうしゅ
南斉 蘇小小 そしょうしょう 生没年不明:
錢唐蘇小:南斉(南齊)時代の銭塘の名妓。才色兼備の誉れが高かった。銭塘の蘇小小。 ・銭唐:現・浙江省杭州市。「銭塘」のこと。唐代に「唐」字を避けて「錢唐」を「銭塘」とした。 歌一首

花蕊夫人 かずいふじん

大義公主 たいぎこうしゅ

武照・武則天 そくぶてん
初唐
上官婉兒 じょうかんえんじ 664年 - 710年
初唐代の女官。唐・中宗の時、昭容の職位に就く。陝州陝県(現・河南省)の人。上官儀の孫で才媛。後に、政変のため殺された。

綵書怨(葉下洞庭初)   九月九日上幸慈恩寺登浮圖群臣上菊花壽酒(帝里重陽節)  帝駕幸新豐湯泉宮獻詩三首之一(三冬季月景隆年)   帝駕幸新豐湯泉宮獻詩三首之二(鸞?掣曳拂空回)   帝駕幸新豐湯泉宮獻詩三首之三(翠幕珠幃敞月營)   奉和聖製立春日侍宴内殿出翦綵花應制(密葉因裁吐)   遊長寧公主流杯池二十五首之一(逐仙賞)  遊長寧公主流杯池二十五首之三(檀欒竹影)   遊長寧公主流杯池二十五首之四(仰循茅宇)   遊長寧公主流杯池二十五首之五(枝條鬱鬱)   遊長寧公主流杯池二十五首之六(C波洶湧)  〜同題で十六(泉石多仙趣)まで
盛唐
楊貴妃(楊玉環) ようきひ 719年 - 756年
 幼名は玉環。蜀州の司戸参軍楊玄?の娘。幼時に父を喪って叔父の養女となり、玄宗の第18皇子/寿王瑁の妃とされた。歌舞音律に通暁して才知にも長け、武恵妃死後の玄宗の寵妃を探していた高力士に認められ、勅命で道観に入ってのち745年に後宮に納れられ、貴妃の位が新設された。朝政に容喙する事は少なかったが、3人の姉は国夫人とされ、従祖兄の楊国忠が宰相となるなど一族は無原則に高位高官とされ、各地で驕奢暴虐を行なって朝野から唾棄された。安禄山の乱で蜀への退避に同行したが、軍部の要求で馬嵬駅(陝西省興平県馬嵬鎮)の仏寺の庭で殺された。
 楊家の車馬が玄宗の娘の広平公主と道を争い、落馬した公主を庇った夫の程昌裔が罷免されて朝見を禁じられた事があり、楊氏の横暴と玄宗の老耄を伝える格好の事例とされる。

阿那曲

李季蘭 りきらん

杜秋娘 としゅうじょう
中唐
薛濤 (せつ とう) 768年 - 831年
伎女・詩人。魚玄機とならび詩妓の双璧と称される。長安の出身(一説では成都とも)。父の赴任とともに蜀へ移り、14・5歳の頃に任地で父が亡くなり17・8歳頃までに楽籍に入った(伎女となること)。蜀の長官・韋皐の屋敷に召されて酒宴に侍し、詩を賦して女校書と称せられた。浣花渓にいて、白居易・元?・牛僧孺・令狐楚・張籍・杜牧・劉禹錫などと唱和し、名妓として知られた。

春望詞 其一柳絮 酬人雨後玩竹  海棠渓   送友人
晩唐
魚玄機 ぎょげんき 843〜868年
唐代末の女流詩人。長安の人。字(あざな)は尢(けいらん)・幼微。詩文の才能で有名になり、女道士となったが、召使いの女を殺して死刑になった。森鴎外の小説「魚玄機」の主人公。843〜868年。晩唐の詩人。長安の妓楼の娘。 中唐の薛濤(せっとう)と並び称される唐代を代表する女流詩人。 20歳の時、恋人の高級官僚・李億(りおく)と漢陽へ来たが、この地で李億に捨てられる。 道教の尼となった魚玄機は再び恋をするが、その恋人李近仁(りきんじん)をまたも使用人に奪われてしまう。 魚玄機は嫉妬のあまり、使用人を鞭で打ち殺してしまい、これが発覚して処刑された。数奇な運命をたどった情熱の女性。26年の短い生涯だった。

秋怨  秋思  江行   題隠霧亭 

唐婉 とうえん
南宋第一の詩人といわれる陸游(1125-1209)と彼の最初の妻唐?とのロマンスは中国では広く知られた物
語である。陳舜臣の「中国の歴史」参照
陸游は20歳のとき母方の縁につらなる唐?と結婚した。夫婦仲は睦まじかったが,なぜか唐?が陸游の母親か
ら嫌われ(一説には,夫婦仲がよすぎたからとも,またこどもが出来ず,それについてうそのつげ口をされたからと
もいわれる),1年ほどで離縁させられてしまった。内緒で家を借り隠れて逢っていたが,それも母親の見つか
るところとなり,以後会うことができなくなった。やがて唐?は宋の帝室につながる趙士程に再嫁,陸游も王氏と
再婚した。

釵頭鳳の返歌  山盟(堅い誓い)在ると雖も

魏夫人 魏玩,字玉汝 魯国夫人 ぎふじん

李C照 りせいしょう

朱淑眞 しゅしゅくしん

呉淑姫 ごしゅくき
李師師 りしし 生没年不明:


陳円円 ちんえんえん 生没年不明:



顧太清 こたいせい
李香君 りこうくん 生没年不明:



徐湘蘋 じょしょうびん
柳如是 りゅうじょぜ 生没年不明:


近代
秋瑾 しゅうきん (1875年 - 1907年)
清末の女性革命家、詩人。18歳のときに結婚したが、義和団運動に発憤して家庭を捨てて、日本に留学し、反清革命運動に身を投じた。1905年、日本政府が出した「清国留学生取締規則」に憤激し、留学を打ち切って帰国。その後も革命運動を続けたが処刑された。 對酒



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