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 杜甫
  漂泊の詩


101 雲南・菱州の生活


永泰
元年
765年 54歳
楠木爲風雨所拔嘆 三月
永泰元年 765年 54歳 五言律詩 h1133 182 去蜀  夏五月、一家草堂を去り、錦江の渡津万里橋の袂から船出。
永泰元年 765年 54歳
703 遊子
永泰元年 765年 54歳
756 渝州候嚴六侍御不到先下峽
永泰元年 765年 54歳 五言律詩 h307 宿青溪驛奉懷張員外十五兄之緒  青渓駅というところにとまったとき、張之緒をおもって彼によせた詩。永泰元年夏、作者がすでに成都を離れて江を下り嘉州にあったときの作。
永泰元年 765年 54歳 五言律詩 h756 渝州候嚴六侍禦不到,先下峽  愉州で侍御史厳君がくるかこぬかとまっていたがこぬので、自分はひとあしさきに三昧から江をくだるつもりだ。永泰元年夏、下江の際の作。
永泰元年 765年 54歳 五言律詩 h760 禹廟(此忠州臨江縣禹祠也)  忠州の禹廟に謁してよんだ詩。永泰元年秋、下江の際の作。
永泰元年 765年 54歳 五言律詩 h761 題忠州龍興寺所居院壁  息州の竜興寺の寓居のおくざしきの壁にかきつけた詩。永泰元年忠州にあっての作。
永泰元年 765年 54歳 五言律詩 h754 哭嚴僕射歸?  長安に近い故郷の葦陰県に帰葬するために左僕射厳武の霊枢が忠州を舟でとおったのを突した詩。永泰元年忠州にあっての作。

九月、吐蕃・回?入寇す。十月、雀肝、成都に乱をなす。
永泰元年 765年 54歳 五言律詩 h762 183 旅夜書懐(細草微風岸)  詩は渝州から忠州(四川省忠県)に至る船中の作。
永泰元年 765年 54歳 五言律詩 h769 長江二首 第一首は長江のながれの東海に帰することを説き、盗賊の其の義を知らぬことをいい、自己の帰心の翻浪に似ていることをのべて結びとした。永泰元年雲安にあっての作。
永泰元年 765年 54歳 五言律詩 h770 承聞故房相公靈?自?州?殯歸葬東都有作 二首  いまはなくなった宰相房預公の霊枢が聞州より仮り埋めからだして洛陽の方へ帰葬されるということをきいてよんだ詩。
永泰元年 765年 54歳 五言律詩 h774 懷錦水居止 二首  錦江のほとりの住居のことをおもってよんだ詩。永泰元年雲安にあっての作。
永泰元年 765年 54歳 七言律詩 h765 十二月一日 三首  永泰元年冬、雲安にあっての作。
永泰元年 765年 54歳
184 放船(収帆下急水)
大暦元年 766年 55歳
185 雲安九日鄭十八携酒陪諸公宴(寒花開已尽)  雲安、着。重陽節前。
大暦元年 766年 55歳 七言律詩 186 青 糸(青糸白馬誰家子)
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 187 遣 憤(聞道花門将)  宦官が禁衛軍を統率など、言語道断。



五言律詩
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h779 南楚 南楚すなわち雲安の春の景情をのべた詩。尾二句によれば他より出遊のさそいをうけたときよんだものであろう。大暦元年正月雲安にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h219 水閣朝霽,奉簡嚴雲安(一作雲安嚴明府)雲安の寓居の水辺の閣のあさばれに雲安の県令厳某に手紙としてやった詩。大暦元年春、雲安にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h215 杜鵑 杜鵑について感じたことをのべたうた。大暦元年春、雲安にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h775 子規 子規をきいてよんだ詩。大暦元年春、雲安にあっての作。
大暦元年 766年 55歳
王兵馬使二角鷹
大暦元年 766年 55歳 七言歌行 h781 寄岑嘉州(州據蜀江外)嘉州の刺史であり親友である苓参に寄せた詩。大暦元年春、雲安にあっての作。* 〔原注〕 州拠蜀江外(州は蜀江の外に拠る)
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h782 189 移居?州作(伏枕雲安県) 春になると、風痺も回復してきたので、杜甫は?州(きしゅう:四川省奉節県の東)に移る。
大暦元年 766年 55歳 七言絶句 188 漫 成(江月去人只数尺) 夏から秋への四か月間の旅は、杜甫の健康を害す。風痺(ふうひ:関節炎)が悪化、歩行もままならない状態。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 190 客 堂(憶昨離少城) ?州に着くと、山の麓に仮小屋を作って仮寓した
大暦元年 766年 55歳   h813 暫往白帝複還東屯
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h815 上白帝城(公孫述僭位於此,自稱白帝) ?州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。大暦元年?州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 五言排律 h816 上白帝城二首 これもまた白帝城にのぼってよんだ詩である。ここにはその第一首をとる。この第一首は時事に感じたことをのべる。大暦元年春の作。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h824 白帝城樓 杜甫  五言律詩
大暦元年 766年 55歳 七言律詩 195 白帝城最高楼(城尖径仄旌旆愁) 杖をついて白帝城の最高楼まで登り、ここでも国家の現状を慨歎している。
大暦元年 766年 55歳 五言絶句 h817 武侯廟(廟在白帝西郊) ?州の諸葛亮の廟をたずねてよんだ詩。大暦元年?州にあっての作
大暦元年 766年 55歳 五言絶句 h818 八陣圖 諸葛孔明の造ったと称せられる八陣図について感をのべる。大磨元年の作。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h830 諸葛廟
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h821??堆 ??堆の石のことをよんだ詩。大暦元年の作。
大暦元年 766年 55歳 七言律詩 h822?? 七言律詩
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h778 老病 ?州にあって老い且つ病んだことをよんだ詩。大暦元年春晩の作。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h927 憶鄭南?北方をおもう詩であり、鄭県の寺のことをいう。大暦元年の作。
大暦元年 766年 55歳 七言絶句 h834 ?州歌 十?句 ?州の風土についてのべている。ここにはその第一首、第四首、第五首、第六首、第七首をとる。内容は各第を見て知るがよい、以下二には説かない。大暦元年夏の作か。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h238 牽牛織女 牽牛星と織女星との事に感じてよんだ詩。大暦元年七月?州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h257 雨 二首 雨のことをよむ。大暦元年?州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h861江上 杜甫  江上の宅にあっての感をのべる、闇にあっての作。江上は起句の二字を切りとって用いたもの。大暦元年?州西閣にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 七言律詩 h891 196 返 照(楚王宮北正黄昏)  夕日のてりかえしのおりに感じたことをのぺる。大暦元年?州西閣にあっての作。  
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h240 殿中楊監見示張旭草書圖 杜甫  殿中監楊某が張旭の草書図をみせてくれたことをよんだ詩。大暦元年?州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h263 種萵苣 并序 ちさ菜をうえた詩。大暦元年秋、?州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 七言律詩 h823 白帝 杜甫 七言律詩  ?州の人民の困窮に同情してよんだ詩。題の白帝二字は詩句の首二字を切りとって用いる。大暦元年766年55歳 秋の作。
大暦元年 766年 55歳 七言律詩 h629 黄  草 成都の乱と松州の囲まれたこととをきいてよんだ詩。題は詩句の首二字を切り取って用いる。大暦元年秋の作。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h819 謁先主廟(劉昭烈廟在奉節縣東六裏)?州の先主廟に謁したことをよんだ詩。大暦元年秋の作。
大暦元年 766年 55歳 七言歌行 h227 古柏行  杜甫  ?州の諸葛武侯の廟にある古柏についてよんだうた。大暦元年の作。
大暦元年 766年 55歳 七言律詩 h839 諸將 五首 杜甫 将軍らの事について感をのべる。事は詩中に見える。広徳元年から大暦元年秋の作で諸将として大暦元年秋に集約。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h265八 哀 詩 (1) 贈司空王公思禮
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 f266 八哀詩 (2) 故司徒李公光弼 李公輔をかなしんでよんだ詩。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h267 八哀詩 3 贈左僕射鄭國公嚴公武 死後に左僕射を贈られた鄭国公厳武をいたんだ詩。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h268 八哀詩 4 贈太子太師汝陽郡王? 汝陽王李?を哀しんでよんだ詩。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h269 八哀詩(5)贈秘書監江夏李公? 李?を哀しんだ詩。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h270 八哀詩(6)故秘書少監武功蘇公源明 秘書少監蘇源明を哀しんだ詩。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h271 八哀詩(7)故著作郎貶台州司??陽鄭公虔 鄭虔を哀しんでよんだ詩。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h272 八哀詩(8)故右僕射相國張公九齡 張九齢を哀しんでよんだ詩。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h841 贈李八秘書別 三十韻 秘書省の官李某が入朝しょうとして?州に立寄ったとき彼に贈って別れをつげる詩である。「旧唐書」杜鴻漸伝によれば鴻漸の入朝は大暦二年のことである。詩は大暦二年の作であろうか。仇氏は黄鶴に従って大暦元年七月の作となしている。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h862 中夜夜中の感懐をのべた詩。大暦元年?州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h871 中宵 よいの口の感をのべた詩。大暦元年?州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 七言律詩 h881夜(一作秋夜客舍)197 夜 (露下天高秋気清) 厳武の部下の柏茂琳は?西に西閣という住居を与え、?州で療養するように勧める。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h786 宿江邊閣(即後西閣)江のほとりにある草閣にとまったことをのべた詩。大暦元年?州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 七言律詩 h981 吹笛  杜甫101 吹 笛 詩の句首の二字を切りとって題とする。笛声のあわれなのをきいてよんだ詩。大暦元年?州にあっての作か。198 吹 笛(吹笛秋山風月清)
大暦元年 766年 55歳 五言排律 h791 西閣 二首西閣にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h902 月  月を見て感をのべる、梁権道は編して大暦二年の作とするが、仇氏は大暦元年西閣にあっての作としている。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h939 第五弟豐獨在江左,近三四載寂無消息,覓使寄此 二首 五番めの弟の豊だけ独り江左(江東、江南)にいるがこの近くの三四年はさっぱり消息がない。それで使者をもとめて此の詩を寄せてやる。大暦元年の作。




223 第五弟豊独在江左近三四載寂無消息?使寄此二首其二(聞汝依山寺)
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h283 聽楊氏歌
大暦元年 766年 55歳 七言律詩 h287 秋風 二首 秋風に自分のこころもちをのべている。
大暦元年 766年 55歳 七言律詩 h837 102 199 秋興 八首 其一(玉露凋傷楓樹林)
大暦元年 766年 55歳 七言律詩 h838   詠懐古蹟五首 古跡において自己の懐う所を詠じた詩。五首ある。大暦元年?州に在ったおり各古跡をおとずれることなく予想して作ったもの
大暦元年 766年 55歳 七言歌行 h196 寄韓諫議 諫議大夫韓注に寄せた詩。大暦元年の作であろうか。
大暦元年 766年 55歳 七言絶句 h844 解悶 十二首 悶えを解くために作った詩。ここにはその第二首、第三首、第六首、第八首、第九首をとる。其の事がらは第によやて同じくないゆえ、各篇をみて知られたい。詩中の「一たび故国を辞して十たび秋を経」 の句によれば大暦元年?州にあっての作であろう。至徳二載より大暦元年までは十年である。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h848 洞房 この篇「洞房」以下の宿昔、能画、闘鶏、歴歴、洛陽(本書にはとらぬ)、梶山、提封、通じて八篇は同時の作と思われるもので、いずれも長安の往事を追想したものである。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h849 宿昔 この「宿昔」の篇は玄宗の宮中の行楽を追懐する。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h850 能畫 この 「能画」 の篇は玄宗時の雑技を追懐する。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h851 鬥?この 「闘鶏」 の第は鷹山宮の遊戯を追懐する。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h854 洛陽
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h853??  この「歴歴」の篇は乱後久しく蜀地に病客であることを歎ずる。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h855 驪山  この「驪山」の篇は玄宗の崩御を追懐する。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h856 提封  この「提封」の第は治国の要道を説き、倹を行ない賢を用い恩を加えるべきであり、険を恃み武を用いるべきではないことをいっている。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h852 鸚鵡(一作翦羽) この篇は鸚鵡に托して自己の離郷の感をのぺている。この「鸚鵡」以下孤雁、鴎、猿、廃、鶏、黄魚、白小、通じて八首はみな禽鳥獣魚を詠じ、物に托して自己の意を寓している。大暦元年?州にあっての作であろう。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h982 孤雁(一作後飛雁) この第は孤雁に托して兄弟の群を思う詩である。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h987 ? キ ?が鳴いたために人に獲られて食膳にのぼされることをいう。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h986 白小  白小魚の取りつくされるのを見て感をのべる。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h983 ?
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h984 猿
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h985?魚
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h988 ?
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h836 偶題 偶然にかきつけた詩。文章の沿革より自己の詩学に及び、この詩を賦すわけを叙している。
大暦元年 766年 55歳 七言歌行 h281 李潮八分小篆歌 作者の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。大暦元年766年 55歳?州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h831 峽口二首瞿塘峡口について感を叙する、大暦元年?州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 五言古詩 h876 南極 ?州の風土の惑いことをのべている。詩の起首の二字を切りとって題とする。大暦元年 766年55歳 冬 ?州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h833 瞿塘兩崖瞿塘峡の崖門の険峻なことをのべている。大暦元年冬、?州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h787 西閣口號(呈元二十一)西闇にての口ずさみ、元二十一に呈したもの。大暦元年冬、憂州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 七言律詩 h792 207  閣 夜(歳暮陰陽催短景)  柏茂琳の客分として?西の西閣に住み、時々都督府で文章の草槁作成、書簡の代筆をする。
大暦元年 766年 55歳 五言律詩 h794 ?西寒望 寒天に?水の西をながめたことをのぺる。大暦元年冬、?州西閣にあっての作か。西の地の険隘なのをいとって居を移そうと思い、?西方面をながめやったものであろう。明年の春に至って作者はまず赤甲に遷居し、三月に至って漂西に還ることとなった。
大暦元年 766年 55歳 七言歌行 h228縛?行 奴が鶏を縛って市に売りにゆこうとするのを見て感じたことをのべた歌である。大暦元年冬、?州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 七言歌行 h925小至 冬至の後二日めの景事と所感とをのべる。大暦元年冬、?州にあっての作。
大暦元年 766年 55歳 七言歌行 h284 荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌 刑南の兵馬僕で兼ねて太常卿である趙某公のもっている大食国伝来の刀の歌。大暦元年冬、?州にあっての作であろう。
大暦元年 766年 55歳 七言歌行 h285 王兵馬使二角鷹 兵馬使王某の二つの角鷹を見て感を叙した詩。大暦元年の作であろう。
大暦元年 766年 55歳 七言歌行 h990 見王監兵馬使?近山有白K二鷹羅者久取竟未…請餘賦詩
大暦元年 766年 55歳 七言歌行 h300 醉為馬墜,諸公攜酒相看 ?西移居の後の作
         
大暦2年 767年 56歳 七言歌行 h776 208 立 春(春日春盤細生菜) 立春の日に菜盤をみて感ずる所をのべる。大暦二年立春、?州にあっての作。 
大暦2年 767年 56歳 七言歌行 h929 愁(強戲為?體) 愁いのこころをよんだ。戯れに呉体を用いてつくった。大暦二年春の作であろう。*〔原注〕 強戯烏呉鰹(強いて戯れに呉体を為す)
大暦2年 767年 56歳 七言歌行 h932 即事(一作天畔) おりにふれてよんだ詩、大暦二年春のくれの作。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h795 入宅三首(大?二年春,甫自西閣遷赤甲)西闇の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩。大磨二年春の作
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h798 暮春題?西新賃草屋 五首春のくれに凄西であらたに借りいれた草屋に題した詩。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h916 209 示熟食日宗文宗武(消渇遊江漢)



 
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h937  喜観即到復題短編二首其一(巫峡千山暗)  22歳若い弟の来訪
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h937 喜觀即到複題短篇 二首 観がすぐにも到着することを喜んでまた短い詩をかきつけた。前篇とほとんど同時の作であろう。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h1100 送惠二歸故居 「聞惠二過東溪特一送(以下七首,?若本逸詩)」杜甫 恵某がその旧居に帰るのを送った詩。この詩は集外詩である。黄鶴は大暦二年春の作であろうとなしている。
大暦2年 767年 56歳 七言絶句 h846 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號 ?句 十二首 いままで朝廷に反抗していた河北の節度使らが入朝するようになったと聞いたので喜んで口ずさんだ絶句十二首。第八首、第十一首、第十三首をとる。大暦二年三月頃の作であろう。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h948 過客相尋 わざわざよってたずねてくれる客のあることをよんだ詩。大暦二年?西居住の後の作。
大暦2年 767年 56歳 五言古詩 h245 課伐木 しもべたちに日課として木を伐って間が饑をゆわせたことをよんだ詩。
大暦2年 767年 56歳 五言古詩 h248 槐葉冷淘 槐の葉をつきまぜた冷やし麺をくった詩。大暦二年?西にあっての作。
大暦2年 767年 56歳 五言古詩 h248 槐葉冷淘 槐の葉をつきまぜた冷やし麺をくった詩。大暦二年?西にあっての作。
大暦2年 767年 56歳 五言古詩 h252 上後園山? ?西の居宅の北にある園の山麓にのぼったときの詩。乾元二年より大暦三年まででは十年であるが、作者は三年の正月に峡より出たので此の詩は大暦二年夏の作である。
大暦2年 767年 56歳 七言歌行 h822 ?? ??堆のあたりに水かさのましたことをよんだ詩。大暦二年六月の作。
大暦2年 767年 56歳 七言歌行 h945 七月一日題終明府水樓二首七月一日に奉節県のかりの県令終某の水辺の楼閣に遊んでそこに書きつけた詩。大暦二年の作
大暦2年 767年 56歳 五言古詩 h249 行官張望補稻畦水歸 田地係りの張望が稲田の畦の水を補って東屯からかえって報告したことをよんだ詩。大暦二年 ?西にあっての作。
大暦2年 767年 56歳 五言古詩 h254 秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問 真鶴はこの詩を大暦二年の秋、壊酉からきて東屯に居たときの作としている。
大暦2年 767年 56歳 五言古詩 h259 又上後園山? 二度めに?西の北国の山麓にのぼったことをよんだ詩。大暦二年秋の作。
大暦2年 767年 56歳 五言古詩 h253 驅豎子摘蒼耳(即卷耳) しもべをやって蒼耳という草をつませたことをよんだ詩。大暦二年秋の作。
大暦2年 767年 56歳 五言古詩 h830 諸葛廟 ?州にある諸葛孔明の廟にまいったことをよんだ詩。大暦二年の作か。
大暦2年 767年 56歳 七言歌行 h980 見螢火ほたるをみてよんだ詩。大暦二年秋の作。
大暦2年 767年 56歳 七言歌行 h960 送李八秘書赴杜相公幕李秘書(排行第八の人)が宰相杜鴻漸公の幕府へと、おくればせながら赴くのを送った詩。大暦二年九月の作であろう。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h866 吾宗(衛倉曹崇簡) 自己の同宗である杜崇簡のことをのべている。
大暦2年 767年 56歳 七言歌行 h286 寄狄明府博濟 一作寄狄明府 狄仁傑の曾孫で局の某県の県令であった博済に寄せた詩。大暦二年?州にあっての作。
大暦2年 767年 56歳 五言古詩 h280 同元使君舂陵行
大暦2年 767年 56歳 五言古詩 h840 秋日?府詠懷奉寄鄭監李賓客 一百韻 秋の日に?州府でおもいをのべて秘書少監邸審全篇二百句、一千字。時に審は刑州(江陵)に在り、太子賓客李之芳に寄せた詩。韻の数は百、之芳は夷陵(宜昌)に居た大暦二年秋の作。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h802 秋野 五首 秋の田野についてのべた詩。大暦二年秋の作。 767年 56歳
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h805 課小竪鋤折合北果林枝蔓荒磯浄託移牀 三首
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h906 返照 夕ばえのてりかえしのさまをのべた詩。大暦二年秋の作。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h907 向夕 夕にむかうさまを叙する。大暦二年冬の作。この篇の後になお秋の詩があるが、編纂の際に入れかわったものであろう。
大暦2年 767年 56歳 五言絶句 h845 複愁 十二首 ふたたび愁えたことをのべた詩。
大暦2年 767年 56歳
107 復愁十二首(万国尚戎馬)生まれ故郷の鞏県(きょうけん)を訪ねたときのこと。秋、五言絶句の連作
大暦2年 767年 56歳 五言古詩 h918 社日兩篇秋の社日にあったことをのべた詩。大暦元年の作か二年の作か詳らかでない。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h808 自?西荊扉且移居東屯茅屋 四首 ?西のいぶせき宿から東屯の茅屋の方へ住居を移したことをのべた詩。大暦二年秋の作。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h918 社日兩篇 秋の社日にあったことをのべた詩。大暦元年の作か二年の作か詳らかでない。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h894 八月十五夜月 二首 八月十五夜の月をよんだ詩、大暦二年の作であろう。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h895 十六夜翫月  十六夜に月色をもてあそんだことをよんだ詩。前篇の十五夜、この篇の十六夜、次篇の十七夜の月の詩は皆順次にその夜の作であろう。「杜臆」には三篇とも?西の作とする。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h896 十七夜對月 十七夜に月にうちむかいながめたことをのべる。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h908 曉望 あかつきのながめをよんだ詩。黄鶴は大暦二年東屯にあっての作とする。大暦2年 767年56歳
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h893 日暮 112 日の暮れたときのことをよんだ詩。黄鶴は大暦二年?西にあっての作とする。220 日 暮(牛羊下来久)  ?西の作
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h904 夜 夜の感をのべる。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h949 孟倉曹?趾領新酒?二物滿器見遺老夫 孟倉菅があるいて、新酒と醤油とをもって器物にいっぱいつめてわたしにおくってくれられた。
大暦2年 767年 56歳   h919 九日 五首 登高 九月九日陰暦重陽のことをのぺる。この題には五首とあるが四首しかない。趙次公は「登高」の詩を加えて五首とする。或はもと五首であったのを後人が「登高」を別にしたものか。大暦二年の作。
大暦2年 767年 56歳 七言律詩   222 登 高(風急天高猿嘯哀) ?州の作
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h810 東屯月夜 東屯の月夜のさまをのべる、大暦二年秋、東屯にあっての作。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h813 暫往白帝複還東屯 しばらく白帝城の方へいっていたがまた東屯の万へかえったことをよんだ詩。大暦二年秋の作。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h814 刈稻了詠懷 稲を刈りおわってからおもいをのべた詩。大暦二年秋晩の作であろう。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h946 季秋蘇五弟纓江樓夜宴崔十三評事、韋少府? 三首秋の末に蘇鍵が江辺の楼で崖公輔と葦某とをさかもりにまねいたときの詩。大暦二年の作。767年56歳 
大暦2年 767年 56歳 七言律詩 h933 即事(一作天畔)<朝廷批判> おりにふれてよんだ詩。大暦二年秋の作であろう。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h879 獨坐 二首独り坐したときのこころをよんだ詩。大暦二年秋の作であろう。真鶴は東屯にあっての作としているが、東屯か漢西かは不明。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h921 大?二年九月三十日 大暦二年九月三十日、秋の尽きようとする日によんだ詩。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h909 雷 雷をきいたことをよんだ詩。大暦二年十月の作。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h903 雨 四首 雨についてのべた詩。大暦二年の作か。黄鶴は?西の作
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h306 大覺高僧蘭若(和尚去冬往湖南) 高僧大覚和尚の蘭若を尋ねて作った詩。大暦二年の作か。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h958 謁真諦寺禪師  真諦寺の禅師に謁したことをよんだ詩。作時は不明。
大暦2年 767年 56歳 七言歌行 h000 虎牙行(虎牙行)?州にあり秋の風気の寒冷なのにあって騒乱を傷んだ詩。題は詩中の文字を摘出したまでで特に虎牙山についてのべたものではない。大暦二年垂州にあっての作であろう。
大暦2年 767年 56歳 七言歌行 h275 觀公孫大娘弟子舞劍器行
大暦2年 767年 56歳 五言古詩 h273 寫懷 二首 自己のむねのうちを写しのべた詩。大暦二年冬の作。ここにはその第一首をとる。
大暦2年 767年 56歳 五言古詩 h950 柳司馬至 司馬柳某がみやこからかえって来て話をしたことをのべた詩。話は吐蕃の入寇により両京が戒厳の状態にあることをのべる。大暦二年冬の作。
大暦2年 767年 56歳 七言歌行 h940 舍弟觀赴藍田取妻子到江陵,喜寄 三首 弟の観が藍田県へいって妻を要って江陵へ到着したということだ、それで喜んで寄せた詩。大暦二年冬の作
大暦2年 767年 56歳 七言律詩 h296 夜歸 暗夜に家にもどったときのことをよんだ詩。大暦二年
大暦2年 767年 56歳 七言歌行 h293 後苦寒行 二首 前に「苦寒行」(本書にはとらぬ)があり、それに対して「後」という。大暦二年冬の作。
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h864 107  白 露211 白 露(白露団甘子) 初秋、白露節
大暦2年 767年 56歳 七言歌行 hh229 217 負薪行(?州処女髪半華)
大暦2年 767年 56歳 七言律詩 h952 219 又呈呉郎(堂前撲棗任西隣) 東屯の作
大暦2年 767年 56歳 五言律詩 h941 221 宗武生日(小子何時見)
大暦2年 767年 56歳 七言律詩 h924 224 冬 至(年至日長為客)  ?州の東郊、赤甲山 の作
大暦3年 768年 57歳 五・七言歌行 i997 人日兩篇  杜甫117 225 人日二首 其二(此日此時人共得)

● 杜甫の詩


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