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1097 江南逢李龜年   


1097 江南逢李龜年
江南の地で歌者李亀年に逢ったときの感をのぺる。大磨五年春、渾州にあっての作。

大暦5年770年59歳

 潭州で過ごしていた晩春のころ、杜甫は湖南採訪使の宴席で旧知の李亀年(りきねん)と偶然に出会いました。李亀年は玄宗の宮廷で著名な宮廷歌手でした。

0929 江南逢李龜年 杜甫
江南逢李龜年
岐王宅裏尋常見,崔九堂前幾度聞。
正是江南好風景,落花時節又逢君。

(江南にて李亀年に逢う)
その有名人が江南の果てともいうべき潭州に流れてきているとは、杜甫の予想もしないことでした。
 杜甫は四十五年前、まだ十五歳のときに洛陽の岐王李範(りはん)や秘書監崔滌(さいでき)の屋敷で李亀年の歌を聞いています。杜甫は平和で希望に満ちていた昔のことを回顧しながら、「落花の時節 又君に逢う」と流離の人生の悲哀を詠います。 

江南にて 李龜年に 逢ふ
岐王の宅裏  尋常に見,
崔九の堂前  幾度か聞く。
正に是れ 江南の  好風景,
落花の時節  又 君に逢ふ。


(あなた(李亀年)には)岐王(睿宗の四男・李範)のお屋敷で、いつもお目にかかっており、崔家の九番目の男子で(殿中監に任じられていた)崔滌のお屋敷前で、何度か(あなたの歌声を)耳にしたことがある。
(今日、お逢いできたのは、)ちょうど江南地方のすばらしい(気節の)風景の中で、花の散る時節(晩春/人生の晩年)に、またしても、あなた(李龜年)にお逢いする(とは)。


『聯珠詩格』より
江南逢李龜年:落ち延びた先の江南で(曾ての宮廷声楽家の)李亀年に出逢った。 ・李龜年:唐の開元、天宝年間の声楽家の名。玄宗に可愛がられて、長安では豪勢に暮らしていたが、安禄山の乱で、江南へ落ち延び流浪していた。その流浪の旅先で杜甫と李龜年が出逢い、長安時代を回想した詩である。『明皇雜録』(明皇:玄宗皇帝)に「開元の御代に、音楽家の李亀年は歌を善くし、玄宗皇帝の特別な恩顧と寵遇を賜っていて、都の東部に大々的に邸宅を構えていた。其の後 江南を流浪して、めでたい日や美しい景色に出遇う毎に、人の為に数首 歌えば、座中 これを聞き、酒を罷め 顔を掩って泣かないものはいなかった。杜甫は嘗って詩を贈ったことがある。」「開元中,樂工李龜年善歌,特承顧遇,於東都大起第宅。其後流落江南,毎遇良辰勝景,爲人歌數?,座中聞之,莫不掩泣罷酒。杜甫嘗贈詩。」(開元中,樂工の李龜年は善く歌をし,特に顧遇を承り,東都に於て大いに第宅を起こす。其の後 江南を流落し,良辰・勝景に遇ふ毎に,人の爲めに歌ふこと數?,座中 之を聞き,酒を罷め掩ひて泣かざるもの莫し。杜甫 嘗て詩を贈る。)とある。恰も『晉書』の新亭の光景のようでもある。なお、その贈った詩というのがこの絶句である。哀れさに胸をうたれる佳篇である。蛇足になるが、李亀年は本名ではなかろう。『歌』「北方有佳人,絶世而獨立。一顧傾人城,再顧傾人國。寧不知傾城與傾國,佳人難再得。」 で有名な、漢代の先輩とも謂える宮中声楽家・李延年の名を戴いたものではないか。ともにお目出たい名である。
岐王宅裡尋常見:(あなた(=李亀年)には)岐王(睿宗の四男・李範)のお屋敷で、いつもお目にかかっており。 ・岐王:睿宗の四男・李範のこと。岐王に封ぜられていた。 ・宅裡:お屋敷で。 ・尋常:〔じんじゃう;xun2chang2○○〕いつも。つね。なみ。あたりまえ。「尋常」と「幾度」とが対になる。「尋常」が「幾度」と対になり得るのは、「幾度」という数字性の語に対して、「尋常」とは「尋」「常」になり、「一尋=八尺」「一常=十六尺(一尋の倍)」と、やはり数になるからである。借対。杜甫の『曲江』「朝囘日日典春衣,毎日江頭盡醉歸。酒債尋常行處有,人生七十古來稀。穿花?蝶深深見,點水蜻蜒款款飛。傳語風光共流轉,暫時相賞莫相違。」にもある。
崔九堂前幾度聞:崔家の九番目の男子で(殿中監に任じられていた)崔滌のお屋敷前で、何度か(あなたの歌声を)耳にしたことがある。 ・崔九:名は滌。中書令の崔G艇サイショクテイの弟。玄宗の寵臣で、殿中監に任じられていた。 ・堂前:立派な建物の前で。 ・幾度:何度も。 ・聞:聞こえる。きこえてくる。蛇足になるが、「聽」は、耳をすまして、自分の方から積極的にきく。聴き耳を立てて聴く。
正是江南好風景:(今日、お逢いできたのは、)ちょうど江南地方のすばらしい(気節の)風景の中で。 ・正是:ちょうど。 ・江南:中国沿岸の南部。作者らの避難先でもある。潭州(現・湖南省長沙)で出逢ったことをいう。 ・好風景:すばらしい風景。
落花時節又逢君:花の散る時節(=晩春/人生の晩年)に、またしても、あなた(=李龜年)にお逢いする(とは)。 ・落花時節:花の散る時節で、晩春の意。また、人生の晩年に。家国が衰亡に向かおうとしている時に。 ・又:またもや。またしても。蛇足になるが、「亦」は、…もまた、の意。 ・逢:偶然にであうこと。蛇足になるが、「會」は、期日を決めて会すること。 ・君:あなた。ここでは、李龜年を指す。



○江南 単に江南とあるが渾州をさす。○李亀年 亀年は玄宗朝の音楽家、歌手である。「明皇雄録」にいう、天宝中、上(玄宗)宮中の女子数百人に命じて梨園の弟子となす、皆宜春院の北に居る、上素と音律を暁る、時に馬仙期・李亀年・賀懐智あり、皆律度を洞知す、安禄山亦た白玉の篇管数百事を献ず、皆梨園に陳す、是より音響殆ど人間に類せず、而して亀年特に恩遇を承く、其の後江南に流落す、良辰勝景に遇うごとに常に人の為に数関を歌う、座上之を聞きて泣を掩い酒を罷めざるはなし、と。「雲渓友議」にはいう、李亀年江澤に奔り、骨て湖南採訪使の廷上において、「紅豆南国二生ズ、秋来発クコト幾枚ゾ、君二贈ル多ク採摘セヨ(一本に「君ニ勧ム多ク採撤セヨ」に作る)、此ノ物最モ相思ワシム」を唄う、またいう、「清風明月苦ダ相思ク、蕩子軍二従ウ十載余、征人去ル日殿勤二嘱ス、帰雁来タル時数量書ヲ附セヨト」と、此の詞は皆王経の作る所なり、と。亀年の江南流落の状の一端を窺うことができよう。○岐王 岐王、名は範、零宗の子、学を好み書に巧みで、つねに文章の士を愛した、開元十四年病んで乗じた。○雀九 作者の注に「雀九ハ即チ殿中監雀源、中書令淀ノ弟ナリ」とみえる。「旧唐書」にいう、雀淀の弟源、玄宗と款密、用いて秘書監となし禁中に出入せしむ、後ち名を澄と賜う、開元十四年卒す、と。これによれば岐王範も雀源もともに開元十四年に卒したことになる。
開元十四年には作者は十五歳である。黄鶴は十四年にはまだ梨園弟子は存在しないゆえ、作者が亀年を見たのは天宝十載以後であろうといい、また、岐王は範ではなく嗣岐王珍であり、雀九堂前という堂もただ雀氏の旧堂を指すのであろう、そうでなければ岐王・雀九はともに開元十四年に卒しているゆえ、どうして亀年と同じく遊ぶことができようか、といっている。この説は取るに足らぬ、作者の本簾は梨園において亀年を見、その歌を聞いたとはいっていない、梨園があって始めて亀年が出て来たのではなく、亀年があって後に梨園はできたものである、また四歳にして公孫大娘の剣器を舞ったことを記憶して後目これを賦したほどの作者が、十五歳当時の記憶をかたるのは当然すぎるほど当然のことである、作者のいうがままに本欝を信じてよろしい。