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「終南別業」
(入山寄城中故人)王維  
中歳頗好道,晩家南山陲。 
興来毎独往,勝事空自知。
行到水窮処,坐看雲起時。
偶然値林叟,談笑無還期。

長い間、読み下し文で漢詩に触れてきました。時には、吟してもなかなか趣があります。
それは読み下しという昔の言葉で書き直しているのです。中国の昔の言葉を、日本の昔の言葉に翻訳し、さらに現在の言葉に直していくことが読み下し文なのです。
 日本人は英語でも文法を重要視してきました。そのこととよく似ています。

「終南の別業」
(入山して城中の故人に寄せる)
中歳ちゅうさいやや道を好みしが
晩に南山の陲ほとりに家いえ
興来れば毎つねに独り往き
勝事しょうじ空しく自ら知りぬ
行きては水の窮きわまる処に到り
坐しては雲の起こる時を看
偶然 林叟りんそうに値
談笑して還かえる期とき無し


この詩は朝廷になかなか足を運びたくない自分の心境を友人に詩書として届けたのですが、仏教徒の王維らしい味わいのある表現をとっています。

自分の修行と悟りの境地、それに対する、朝廷の在り様。王維も、杜甫と同様、朝廷の内紛劇、宦官の政治への口出し、はかりごと。

そのため、反乱軍を抑えることができなくなっている現状。
国軍、反乱軍、両軍とも、大殺戮をし、自軍同士でのだましあい、殺し合い。国の様相をなしていないものでした。

王維の詩は、心根を『静』で表現し、杜甫はそれを『動』でぶっつけています。(杜甫も王維の死後は表現法が変わります)

どちらにしても大殺戮の最中、めったなことが言えない時勢で表現は限られていたと思います。

詩を感覚でとらえたり、句だけ、語だけで好きになっていいと思います。どこから好きになってほしいと思います。

詩の意味だけ紹介するのではなく関連したことも一緒に紹介する。

間違いなく詩の味わいが深まります。



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「終南別業」
(入山寄城中故人)王維
中歳頗好道、晩家南山陲。
興来毎独往、勝事空自知。
行到水窮処、坐看雲起時。
偶然値林叟、談笑無還期。
終南山の別荘で」
(城内の友人に届ける)
中年になってから頗(少しばかり)仏教の教えにしたがってきましたし、歳をとってきたので終南山の陲(麓)に家を構えました。
「物欲のない気の向くまま生活しているし、勝事も自分にとって『空』である。
修行は水が湧き出るところ見つけ出すように励んでいるし、座禅をして半眼で、雲が湧き出るところを見ている。
時に出会った木こりのおじいさんと話をはじめたら帰るの時を忘れました。




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「終南別業」 王維




「終南別業」
(入山寄城中故人)王維
  
   中歳頗好道、
   晩家南山陲。 
興来毎独往、
   勝事空自知。 
行到水窮処、
   坐看雲起時。 
偶然値林叟、
   談笑無還期。

中歳頗好道,晩家南山陲。 
興来毎独往,勝事空自知。
行到水窮処,坐看雲起時。
偶然値林叟,談笑無還期

初句の中歳頗好道は中歳+頗好道で、次の句は晩家+南山陲で、中歳は中年、歳は動詞で、中ほどに年を取る。だから中年です。晩家はの家は動詞、これも家を建てるとか構えることになります。晩は前句は中年に対しですから晩年となります。頗好道は、よい教え仏教の道をさし、南山陲は長安の南東にある終南山の麓ということですが、前句の好道に対しては、悟りを開くところという意味になります。この詩は、詩人の仲間に、朝廷に行かないで引きこもっていることを告白していることも意味しています。
次の聯、興来+毎独往、勝事+空自知で、興来は興味があるときはであり、勝事は素敵なこと、素晴らしいこと、何事にも勝ること、毎独往は、毎はそのたびごと、独は一人で、往は行く、空はくう、何にもない仏教用語。自は自分、知は知る。これらから、「物欲のない気の向くまま生活しているし、勝事も自分にとって『空』である。」という意味になります
  行到+水窮処
  坐看+雲起時
この詩で王維が終南山に向かって座禅の毎日であることを連想させます。実際このころ、朝廷内の宦官から起こった前皇帝玄宗派と粛宗皇帝派の醜悪な争いが官僚、文人すべてにわたり、朝廷の威信が落ち、反乱軍を倒すため一致すべきところが逆のことをします。粛宗皇帝は、玄宗派を徹底的に、排除し、左遷します。唐朝廷、唐国軍はガタガタになります。そのため、反乱軍を平定するのに10年近くもかかってしまうのです。王維はこの中に入りたくなかったのです。この聯は、とくに有名です。日本では、この句、聯のみを取り出して、一人歩きをさせて、勝手な解釈をしてきました。有名な句がたくさんあり、中には詩人が詠んだ意味とは全く逆の意味の場合もありました。詩はいろんな楽しみ方があります。一節だけ、一句だけの楽しみ方もいいと思います。大切なことは自分なりに楽しむことです。
 昔から、この聯は、「行きては水の窮(きわ)まる処に到り、坐りて雲の起こる時を看る」と読まれてきました。修行は到達する。水がわき出るところが最初であるようにと読むのであり、座ってみる。座禅をして半眼で見る。雲が沸き起こってくるのを。沸き起こるところが見えるわけでもないものを見るといっているのです。ここでも『空』であるといっています。余談ですが、中国では、雲は、谷の奥まった岩の割れ目、洞窟から湧き出てくるといわれていました。王維は水の湧き出るところ、と雲の湧き出るところを極めるといっているつまり、仏教の修行に励むのでしょう。
最後の聯は偶然は偶然、値は会うこと、林叟は山の仕事で生計を立てている老人、談笑は談笑、無還期は話が弾んで、帰る時を忘れるほどだということです。中国では、漁夫、漁師、猟師、木こり、炭焼き、日本では柴刈り爺さんでしょうか、誰ということではなく、山の中で過ごすことを指します。宮廷では、めったなことが言えませんし、書き残すことができません。ましてや長い立話でもしようものなら、謀反の話し合いをしていることになります。中国では、酒を飲んでべろべろになること、こうした木こりなどと長く話すということは暗に朝廷批判をしていること示すことなのです。

 ここまで来て再度、詩を見てみると文字だけで意味と雰囲気が漂ってきませんか。
 中歳頗好道、晩家南山陲。
 興来毎独往、勝事空自知。
 行到水窮処、坐看雲起時。
 偶然値林叟、談笑無還期。

 この漢詩委員会というページでは漢詩をこのように文字のままで読んでいきます。初めは、なかなか難しいかもしれませんが、できるだけ、昔の読み下し文を見ないで読んで行ってもらいたいと思います。

王維 「終南別業」
 「終南別業」  王維
 読み下ししなくても意味は分かる。

終南山の別業(別荘)
(入山   城中 故人) 王維 作 
山に入る 寄せる城中の友人に
     やや                     ほとり
 頗好道 , 晩 南山陲。 
中年に やや仏教の道を、晩年に家建る 悟を開く山のすそに

  , 勝事 
興がわく たびに一人行く、素晴らしいこと 空(くう)を自分で知る

到 処 , 坐看 時。
行き至る 水が湧き出るところ、座禅でみる 雲が湧き出る時を
        
偶然 林叟 , 談笑 還期。
偶然に 木こりと出会う、談笑する 帰る時を忘れて


対句
興来毎独往勝事空自知
行到水窮処坐看雲起時

この2行は読めば読むほど考えれば考えるほど味わいある言葉、大好きな詩です。

 陲 知 時 期


詩の背景
詩の背景
 758年(乾元元年)春、王維、賈至、岑参、杜甫、四人の詩人が中書省と門下省に揃っていた。これに、祖詠、高適,厳武、裴迪、崔敏童、王昌齢らが加わり中国の後世に残る詩人が瞬間的に朝廷やその州辺   にいた。これだけのことは最初でで、最後のことであった。
詩人たちの希望に満ちた日は永くはつづきませんでした。粛宗の朝廷には霊武に同行した即位前からの直臣と即位後に参加した玄宗時代からの朝臣があり、両者は政府の主導権をめぐって対立していました。高適、賈至、杜甫も岑参もほどなく地方に左遷され、王維だけがひとり残されました。王維は脅従官(偽官)の汚名を背負っていましたので遠慮した動きをしていました。王維は当時、都で第一の詩人で、宮廷としても手放したくなかた。本人はこの状況に耐えられません。王維は終南山の別業(別荘)に親しむようになります。そんな中で詠われたのが「終南別業」で、王維の作品の中でも、王維の性格、発想、人格、経験、・・・彼の人生がにじみ出て、多くの人たちが絶賛する味わい深い秀作です。

所在地:長安の東南50km、終南山の麓の別荘
所在地:長安の東南50km、終南山の麓の別荘
 この地は、宗之問の別荘を買い取った 「もう川荘」とは違う東に10km行ったところに位置し、ずっと小規模な草堂のようなものだったようです。

761年、上元2年 王維62歳、長雨大飢饉があり、餓死者が多く出ます。王維は皇帝の許しを得て俸禄の全てをを難民救済にあてます。

王維は30歳ぐらいの時身分の賤しい女性と結婚します。33歳で女性は死没します。3年喪に服しますが、後、一生再婚しません。

■699年生 - 761年歿
唐朝の最盛期である盛唐の高級官僚で、時代を代表する詩人。同時代の詩人李白が「詩仙」、杜甫が「詩聖」と呼ばれるのに対し、その典雅静謐な詩風から「詩仏」と呼ばれ、南朝より続く自然詩を大成させた。

■代表的な作品   
送元二使安西  九月九日憶山東兄弟  送別 答張五弟 竹里舘  山居秋瞑 鹿柴  相思  少年行  雜詩  凝碧詩  送祕書晁監還日本國  欒家瀬 など




    

  

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