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杜甫 李白を詠う
・贈李白[五言律排]
・贈李白[七言絶句]
・送孔単父謝病歸游江東,兼呈李白
・遣懐 
・冬日有懐李白 
・春日憶李白 
・飲中八仙歌 
・夢李白二首 
・天末懷李白 
・昔游 
李白杜甫を詠う
行路難 三首  李白
魯郡東石門送杜二甫
沙邱城下寄杜甫


共 通 事 項
698年 聖暦元年 則天武后 皇帝に
699年 聖暦 2年 
700年    3年 
701年 長安元年 
 ・高適、生れる。
702年    2年
 ・陳子昂、没。突厥入寇
703年   3年 
 ・張説、欽州に流される。
704年   4年 
 ・則天武后、病臥。
705年 神竜元年 
 ・則天武后没。中宗 即位。
706年神竜 2年 
 ・十道巡察使をおく。突厥入寇
707年 景竜元年 
    ・3月、吐蕃入貢。
708年 景竜2年 
709年 景竜3年 
   ・顔真卿、生まれる。
710年 景雲元年 
玄宗、クーデターを起こす。
・玄宗、中宗毒殺、父の睿宗即位
711年 景雲2年
 ・王翰、進士に及第。
 ・十道按察使をおく。
712先天元年 ・景雲三年正月、太極と改元、五月、延和と改元。八月、玄宗即位先天と改元。
開元元年 713年
 ・十二月、開元。張説、中書令となる。
714年開元2年    正月、教坊を蓬莱宮側におき、玄宗みずから法曲を教授す、これを梨園の弟子という。  沈?期、没。

715年 開元3年 
 ・岑參、生まれる。

716年開元4年 
 ・蘇廷、宰相となる。睿宗、没。
717年開元5年 
 ・阿倍仲麿、入唐。黄河氾濫。

718年 開元6年 賈至生まる。吐蕃、和を請う。
719年 開元7年 

720年 開元8年 

721年 開元9年 
722年  開元10年 ・兵農分化始まり、募兵し宿衛に充てる。
723年 開元11年  ・張説、中書令となる

724年開元12年
725年 開元13年  ・11月、玄宗、泰山に封禅の礼を行う。
726年 開元14年 ・ 厳武、生まれる。

727年  開元15年 ・ 蘇廷没。  王昌齢、進士及第。
728年  開元16年
  ・ 7月吐蕃破る。
729年  開元17年
730年  開元18年
  ・張説、没。
731年 開元19年・9月渤海入寇。
732年 開元20年・唐、奚・契丹を破る。六月花蕚楼を広げ、夾城を築き後芙蓉園となる。
733年 開元21年・11月、宋環、辞職す。天下を15道に分け、采訪使をおく。
734年 開元22年 ・張九齢、中書令となる。顔真卿、進士及第。
開元23年 735年・寿王、楊氏を妃とす。 賈至、進士及第。
736年 開元24年 ・11月、張九齢、靡免さる。李林甫、中書令を兼ぬ。・安禄山、契丹に敗れる。


 737年 開元25年
・・4月、張九齢、刑州に流さる。李林甫,台頭。
738年 開元26年 ・3月、唐軍、吐蕃を破る。6月、唐草、契丹を大いに破る。
739年 開元27年 ・8月、唐軍、突蕨に大勝す。李林甫、吏部尚書となり、中書令を兼ねる。
740年 開元28年 ・この年、五穀豊かに稔り、米価は斗二百に満たず、天下、泰平を謳歌す。張九齢・孟浩然死す。
741年 開元29年 ・正月、両京(長安、洛陽)の諸州に玄元皇帝廟を置く
742年 天宝元載 李白、会稽より長安に来たる。安禄山、平鹿節度使となる。
743年 天宝2載 杜甫の援者李北海 李邑のことで広陵の人。汲郡・北海の太守となる。
744年天宝3載  ・正月、年を改めて載となす。賀知章、長安を去り、没。岑參、進士及第。李白、翰林院に出仕す。三月、安禄山、抱陽節度使を兼ぬ。寿王妃楊氏、大兵と号して宮中に召さる。李白、金を賜わりて長安を追わる。
745年天宝4載・8月、大兵を貴妃となし、その三姉、第宅を賜わる。この年、李白、山東に在り、冬、江東に去る。    安禄山、契丹を破る。
天宝5載 746年 ・李林甫、敵対派、皇帝側近を貶謫,投獄す。
747年 天宝6載  天下に詔して、一芸に通ずるものを長安に集めて試験す。李林甫、文学の士を嫌い、みなこれを落とす。正月、李邑殺さる。10月、温泉宮を改めて華清宮となし、その規模を拡大す。李林甫、権威を嵩に獄死者多数。
748年 天宝7載 ・10月、貴妃の三姉、国夫人に封ぜらる。
749年 天宝8載・哥舒翰、吐蕃を破る。・府兵制の崩壊、折衝府軍の形骸化。

750年 天宝9載 ・5月安禄山、東平郡王に封ぜらる。7月広文館を置き、鄭虔を博士となす。
751年  天宝10載 ・正月、三大礼行なわる。2月安禄山、河東節度使を兼ぬ。4月鮮千仲通、南詔を討ち、高仙芝、大食を討ち、八月、安禄山、契丹を討って、ともに大敗す。均田・租庸調制と府兵制は崩壊(749年廃止).
752年 天宝11載 ・11月宰相李林甫が病死、楊国息、右相となる。、18年間の圧制も今度は楊貴妃一族に取って代わる。
753年 天宝12載 ・8月、長安に長雨あり、米穀騰貴す。
754年 天宝13載載 ・この年、戸部郡県の戸口の数を奏して、唐代の極盛となすも、関中は大いに餞う。蘇漁明、国子司業となる。
 


天宝14載 755年 ・11月、安禄山反し、河北を占領す12月、洛陽を陥る。哥舒翰、兵馬副元帥となり、潼関を守る。
756年 至徳元載 正月、安禄山、洛陽にて雄武皇帝と称す。6月、哥舒翰、霊宝に敗れ、禄山、潼関を陥る。玄宗、蜀に葬らんとして、馬鬼に至りしとき、陳玄礼、揚国忠を殺す。場景好もまた縊殺さる。禄山、長安を陥る。7月、太子享、霊武に即位す。10月、房?、陳陶斜に放る。永王堺、江南に叛反し、李白その幕僚となる。王昌齢、没。
757年 至徳2載 ・正月、安慶緒、安禄山を殺す。2月、粛宗、鳳翔に行在所を進む。永王燐敗れ、李白、蒋陽の獄に繋がる。九月、官軍、長安を回復、十月、洛陽を回復。粛宗、長安に帰る。十二月、玄宗、蜀より長安に帰り、興慶宮に居す。鄭虔・王練ら賊軍に降りしものは貶官さる。
758年 乾元元年 2月、載を年と改む。6月、房官、分州刺史に流さる。この年、李白、夜郎に流さる。
乾元2年 759年 ・4月、李白、巫山に至って大赦に遇う。3月、郭子儀ら九節度の軍、安慶緒を相州に囲みて大敗す。洛陽再び反乱軍の手に。9月、忠思明、安慶緒を殺して、大燕皇帝と称す。





760年 上元元載 ・ 7月李輔国ら、玄宗を長安に遷す。・長安で大雨のために飢饉となり、叛乱軍への有効な反撃ができず。
761年 上元2載 ・3月、史朝義、史息明を殺す。段子埠、東川に反す。5月、雀光速、子嘩を檎にす。12月、厳武、西川節度使・成都声となる。王維死す。
762年 寶応元年 ・4月、玄宗・粛宗あいついで崩じ、代宗位に即く。7月、厳武、中央に召還され、高適、成都尹となる。徐知道、謀反をおこし、8月、その部下に殺さる。10月、僕固懐恩、史朝義を破り、洛陽を回復す。この年、李白病没。
763年 広徳元年 ・正月、史朝義、溢死、安史の乱終る。8月、房官死す。9月、高適、吐蕃を防げず。10月、吐蕃、長安を陥れ、代宗、陜州に幸す。郭子儀、長安を回復す。
広徳2年 764年 ・2月、厳武、再び節度使として成都に来たる。3月、高適、中央に召還さる。9月、11月、厳武、吐蕃を破る。この年、鄭虔・蘇漁明ともに死す。
永泰元年 765年 ・正月、高適死す。4月、厳武死す。9月、吐蕃・回?入寇す。10月、雀肝、成都に乱をなす。
大暦元年766年
大暦2年767年
大暦3年768年
大暦4年769年
大暦5年770年
・4月、臧?、潭州に乱をなす。この年、阿倍仲麿、在唐38年にて唐に死す、73歳。
 
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宋 之問そうしもん、656−712
(690)楊炯とともに習芸館学士
(698)則天武后の寵臣である張易之兄弟に取り入り、尚方監丞として『三教珠英』の編集に参加。(これにも疑惑あり)
(705)瀧州(広東省)に流刑された
(706)ひそかに脱出して洛陽へ逃げ帰った。
(707)張沖之が朝廷に陰謀を企てていることを密告して、その功績で罪を許されて鴻臚主簿
(709)収賄の罪で越州(現浙江省紹興市)の長史に左遷
(710)欽州(現広東省)に流刑される
(712)「獪険盈悪」の罪により自殺刑を命じられた
 上記のほか人の詩を盗んだりして 評判の悪い人物ですが王維はこの宗之問の長安郊外の別荘を購入し、杜甫は洛陽の宗之問の別荘の近くに陸渾荘を建てます。





王維・李白の年譜
699)王維、蒲州に生まれる
(700)弟、王縉生まれる。
・701  李白西域で生まれる


・710 李白10歳 詩書に通じ、百家を読む
712 王維14歳 宋之問、刹没。
・713 王維15歳 長安に上がる。どこかの寺の宿坊に滞在して勉学に励んでいた「題友人雲母障子」
・714 王維16歳 「過秦始皇墓」
王維、琵琶で玄宗の弟岐王に寵愛を受け長安で流行児
・715 李白 15歳
 ・剣術を好み、奇書を読み、賦をつくる。
715 王維17歳 長安の予備試験。主席合格。「九月九日憶山東兄弟」   王維 19歳 「息夫人」
・718 李白18歳 載天山に隠れる。

・719 李白19歳 豪放で恬淡な生活。任侠徒に加わり殺傷させる。
・719 王維21歳 進士及第。太楽丞任官。
・720 李白蘇廷に認められる。
孟浩然、李白、王推ともに22,23歳。
・720 王維22歳 済州に左遷。足かけ6年
・721 李白21歳成都、峨眉山に遊ぶ。
・722 李白22歳岷山に隠れる。小鳥を懐ける。 科挙試験に推挙されたが拒否
・725 李白25蜀を発。江陵、洞庭湖など巡る。「峨眉山月歌
・725 王維27歳まで 済州にいた。
・726 王維28歳 春に、王維は文陽の人に別れを告げて蒲州に帰り、暫く滞在し、長安に上る。蜀への転勤を命ぜらる。
・727 李白27歳 友人呉指南と、楚に遊ぶ。
728 王維30歳 洛陽方面の地方官、洛陽付近を転々とす。文陽の人と暮らす。
・729 王維31歳 洛陽方面の地方官、洛陽付近を転々とす。宋之問の旧別荘を購入。
 「罔川閑居」「田園楽七首
・730 王維32歳 洛陽方面の地方官
・730 李白30歳前後2〜3年長安地方に滞在。
・731 王維33歳 妻「文陽の人」死す。
・732 李白32歳 安陸で許幸師の孫と結婚
・734 王維36歳 妻の三年の喪があけると、張九齢を頼って再び官途につく運動をはじめる。張九齢王維を右拾遺に抜擢
・735 王維37歳 張九齢は王維を自分の部下として重用
・735 李白35歳 太原に遊ぶ。「太原早秋」
・736 王維38歳 母崔氏の一族で崔希逸が河西節度副使で涼州(甘粛省武威県)に使府を置。その幕僚に辟召され、涼州へ。
 「寄荊州張丞相(所思竟何在)」
・737 王維39歳  ・涼州にあり
「涼州郊外遊望(野老才三戸) 」
738 王維40歳  ・涼州にあり
「出塞作(居延城外猟天驕)」
・739 王維41歳 長安帰るが、陝西北部へ視察・派遣
・740 李白40歳  山東に遊ぶ。酒びたりの生活。
・740 王維42歳 殿中侍御史として、南方へ出張。親友孟浩然と再会したが、帰り寄ると死去していた。罔川荘本格的に、経営。
 「哭孟浩然(故人不可見)」


・741 王維43歳 中書省の右補闕に任ぜらる。
 「登辨覚寺(竹径従初地)」

王維は生涯に多くの「送別」の詩を作っていますが、ほとんどの作品が制作年次不明です。また、天宝三載(744)ころから八年間ほどの王維の伝記はほとんどわかりません。作詩期不明なもの多くはこの時期ではないか。

・742 李白42歳 玄宗の妹の推薦で長安に。太子賓客、賀知章に認められ、翰林供奉に任ぜられる。
・743 李白43歳 長安で飲中八仙の遊びを楽しむ。宮廷で宦官の高力士を辱めた。
・744 李白44歳 長安を放遂。杜甫、高適と初めて交わる。
・745 李白45歳 秋。杜甫と別れる。道士入門、修行を終え、魯郡の「魯の婦人」と一緒になる。
・745 「送元二使安西」
・748 王維「山居秋暝(空山新雨後)」

・750 王維52歳 母崔氏、死去。享年七十歳
・752 王維54歳 文部郎中(従五品上)に任ぜられる


王維 「送秘書晁監還日本国」
・754 56歳 ・罔川集・罔川荘 ほ
ぼ完成す。

約10年かかって整備してきた。
05 鹿柴 13欒家瀬 17竹里館
・754 李白54歳 広陵で遊ぶ。





・755 李白55歳 盧山に隠棲。
・755・楊国忠が宰相になって安史の乱が起こる755年11月までの三年間は、楊貴妃一族が謳歌した時代です。
王維:罔川荘はその間に完成間じかでした。王維の収入はすべて?川荘の経営に注ぎこまれたものと思われます。
・756 王維58歳 隠れていたところを安禄山軍に捕らえられる
 「菩提寺禁裴迪来相」
・756 李白56歳 永王軍に参加。
    叛乱軍鎮圧で立ちあがったものの反乱軍とみなされる。
・757 王維59歳 唐軍長安,洛陽を奪回。解放される。 「既蒙宥罪旋復拝官」
・757 李白57歳 永王軍、敗れ、李白大逆罪に問われ、尋陽に投獄。
・758 王維60歳 この春、王維(おうい)、賈至(かし)、岑参(しんじん)、杜甫(とほ)、四人の詩人が中書省と門下省に揃っており、杜甫も 生涯で一番幸福な時期です。  「和賈舎人早朝」
 王維は太子中允からすぐに中枢にもどり、中書舎人(正五品上)になっています。
・758 李白58歳 関係者の努力で死罪を免れ、流罪に。
・759 王維61歳 賈至も杜甫も岑参もほどなく地方に左遷され、王維だけがひとり残されましたが、このころから終南山の別業(別荘)に親しむようになり、罔川荘は閉じていました 当時、長安の南郊、長安県の香積寺をを訪れている
 「終南別業
・759 李白59歳 長江上流白帝山付近で放免。「早発白帝城」



・760 王維62歳 給事中から尚書右丞(正四品上)に昇進 ・飢饉に際して、王維は天子の許しを得て自分の禄米のほとんどを窮民に施す。
・761 王維63歳 王維歿す。王縉が長安の西の鳳翔までもどってきていた秋七月のある日、王維は弟に別れの書をかき、また平生親しかった人々へ数篇の別れの書をかいている途中、にわかに筆を落として息絶えたと伝えられています。享年六十三歳、王維は弟に会えないまま、また彼の人生の最後を襲った安史の乱の終息を見ないまま亡くなりました。
  「 終南山」
・760 李白60歳 長江上流と下流の各地に遊ぶ。
・761 李白61歳 宣城を中心に各地に遊ぶ。
・762 李白62歳。 当塗令李陽冰の宅で病没。臨終に、万巻の草稿を陽冰に託した。




杜甫関連年賦 


■ 8世紀の初めころに生れ、そろって60歳前後で亡くなっています。
生歿の順で、
 
王維(699-761)  李白701年 - 762年 杜甫712年-770年
 そのほか、以下の詩人が何らかの形で遭遇している。
王翰(687-726) 蘇廷(670-727)
張説(667-730 張九齢(678-740)
張若虚(未詳〜711) 賀知章(659-744) 包融(生没未詳)
孟浩然(689-740) 王之渙(688-742) 張旭(生没未詳)
李禹(690-751) 崔(704-754) 儲光羲(706-763)
嚴武(不詳〜765) 王昌齢(698-765) 崔國輔(708-未詳)
賈至(718-772) 高適(702-765) 裴迪(生没不詳)
岑參(715-770) 崔敏童(生没不詳)
張謂(721-780) 錢起(722-780) 常建(708-不詳)
劉長卿(709〜785) 顔眞卿(709-785)
上記の人物解説等は盛唐の詩人および安史の乱を参照。このページから、移動し他のでは理解が浅くなります。あえてリンクを外しています。


 唐の時代当初、漢詩はもっはら宮廷詩人の間で詠まれ典麗な文辞を並べ、ともすれば言葉の遊戯、文字の技巧に流れる傾向にあったが、それから約百年後の玄宗皇帝の開元の頃になると、宮廷ばかりではなく、民間にも広まって僧侶や一般庶民に盛んになり、女性の中にも勝れた詩人が誕生した。勿論、宮廷では益々詩賦が盛んになり、天子の行幸や公主(内親王)邸の宴会には必ず勅命に応じて、人々は詩を賦すようになった。詩を作ることが宮廷に出るものにとっては必須の教養だったし、詩は官吏たるものの資格として科挙試験にも盛んに出題されるようになった。この時代には、王維、王昌齢、李白、杜甫、孟浩然、高適などと数多くの有名な漢詩人が出て古典的な漢詩を塗り替え、画期的な発展を遂げた時代である。この中から、詩仙と称せられた李白、詩聖といわれた杜甫が誕生した。
唐のこの時代は、国内では豊作が続き、治安はよく、国外でも国威が上がり、首都西安は国際都市として繁栄を極めた玄宗冶世の隆盛期と、その後の宰相李林甫が、楊貴妃一族の楊国忠・節度使安禄山と対立して始まった安史の乱による動乱期の時代であった。


 ■ 王維 杜甫 李白 関連年譜


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杜甫の年譜
・708 杜甫の祖父、杜審言60歳没。
・712河南肇県に生まる。父は閑、母は雀氏。父方祖父は高級官僚。父は地方の役人をした.母方の祖母は政変で没落した、宗家の血筋であった
・716 母崔氏が四歳のころには亡くなる。すぐ、継母が来るが人物不明

・718 7歳 始めて詩文をつくる。
・719 8歳 叔母二姑(アルクー)に預けられ、洛陽城内の仁風里で育つ

・720 9歳 始めて大字を習う。 




・725 14歳 文人仲間に入る。李亀年の歌を聴く。






(17・18歳頃)
・729 洛陽の盛り場に出入りする

・730 19歳晋(山西)に遊び、呉暇に至る。

・731 20歳 呉越(江蘇・浙江)に遊ぶ。

・732 21歳 呉越(江蘇・浙江)に遊ぶ。

・733 22歳 呉越(江蘇・浙江)に遊ぶ。

・734 23歳 呉越(江蘇・浙江)に遊ぶ。鞏県で郷試(ごうし)を受けて及第。

・735 24歳 呉越より洛陽に帰り、進士の試験に応ずるも及第せず
・736 25歳 斉趙(山東・河北)に遊び、蘇源明と交わる。龍門の奉先寺を訪ねる
 「遊龍門奉先寺」前代風秀作。



・737 26歳 蘇預とともに斉趙に遊ぷ。蘇預(のち源明)は生涯の友となる。


・738 27歳 斉趙に遊ぷ。



・739 28歳 斉趙に遊ぷ。

・740 29歳 斉趙に遊ぷ。 泰山を詠う。名作「望嶽」を作る
・741 30歳 洛陽に帰り、陸渾荘を築く。「おば」が亡くなり、寒食日に遠祖杜預を祭る。妻を迎えた?(女性の影)


・742 31歳 洛陽にあり。就職活動、題画詩「畫鷹」 「夜宴左氏荘



・743 32歳 洛陽にあり。士官活動。

・744 33歳 洛陽にあり。夏、初めて李白と遇う。秋、梁宋(河南)に遊び、李白・高適と吹台・琴台に登り、河を渡って玉屋山に遊ぶ。

・745 34歳 再び斉魯に遊ぷ。済州にて大守李邑の宴にあずかる。秋、袁州に至る。時に李白もまた来たり、ともに遊ぷ、友情ますます密。いくばくもなく城東の石門にて別れ、ついに復た会わず。李白は道士入門、修行を終え、魯郡の「魯の婦人」と一緒になる。
・746 35歳 斉魯より長安に帰る。汝陽王・鮒鳥鄭潜擢に従って遊ぶ。
・747 36歳 長安にあり。天子の詔に応じて、試験に応ぜしも及第せず。結婚ともに晩婚。妻の家柄がよい。杜甫35歳、妻25歳。
・748 37歳 長安にあり。しばしば韋済に詩を贈り、引き立てられんことを求む。
・749 38歳 長安にあり。冬、洛陽に帰り、玄元皇帝の廟に参る。
750 39歳 長安に来たり、初めて鮮度に遇う。長子宗文生まる。家族4人。 「兵車行


「冬日洛城北謁玄元皇帝廟」  「贈翰林張四學士」
・751 40歳 長安にあり。三大礼賦を献ず。玄宗これを奇とし、命じて制を集賢院に待たしむ。秋、瘧を病む。貧交行

 秋、詩人の岑参、高適、儲光羲らと慈恩寺の塔に登る。
    「同諸公登慈恩寺塔」(高標跨蒼天) 
・752 41歳 長安にあり。召されて文章を試み、有司に送り隷して選序に参列せしめらる。暮春、しばらく洛陽に帰る。冬、長安にて岑参、高適、儲光羲と交わる。
・753 42歳 長安にあり。夏初、鄭虔と何将軍の山林に遊ぷ。父の死。秋、次子宗武生まる。家族10人。 「麗人行」 「陪鄭広文遊何将軍山林十首」
・754 43歳 長安にあり。封西岳賦を献ず。洛陽より家族を移し、城南に居住す。夏日照り、秋、長雨あり、物価騰貴し、生計ますます苦しく、ついに家族を奉先にあずく。
 「秋雨嘆三首」





・755 44歳 長安にあり。白水に舅の雀十九翁を訪う。十月、長安に帰る。河西の尉を授けられしも受けず、改めて右衛率府胃管参軍に任ぜらる。十一月、また奉先の妻子を訪い、京より奉先県に赴き懐を詠ず五百字を作る。歳暮、幼子を失う。
・756 45歳 春、長安にあり。五月、難を避けて奉先に至り、家族をたずさえて白水に赴き、舅の雀氏に寄る。六月、家族を都州に移し、単身、粛宗の霊武の行在所に弄らんとせしも、途中賊軍に捕えられ、長安に幽閉さる。
   月夜    哀王孫  対雪
・757 46歳 春、長安の就中にあり。「春望」。4月、金光門より逃れ出て、鳳翔の行在所に奔る。5月、左拾遺を授けらる。まもなく、房?の罪を弁護して、粛宗の怒りに触る。8月、詔により?州の家族のもとに帰省を命ぜらる。家に帰りて病臥すること数日、「北征」を作る。11月、長安に帰る。 得舍弟消息二首   春望   哀江頭
   羌村三首   北征
 
758 47歳 春、 房官擁護、酒に憂さ晴らし「曲江」その後地方軍へ左遷。

  曲江二首   奉贈王中允維(王維のことを述べる)
至コ二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有輩往事
 題鄭牌亭子 九日藍田崔氏荘  崔氏東山草堂 (王維との関連の詩)
・759 48歳 春、洛陽より華州に帰る。途中三吏三別を作る。

この年、長安一帯に飢饉あり、7月、官を棄て、食を求め、隴を越えて秦州に赴く。李白を思う作多し。
     秦州雑詩二十首

十月、同谷の宰の招きにより、同谷に赴く。貧ますます甚だしく、橡栗を拾い、黄独を掘って生活す。
     同谷紀行

十二月、険難を冒して成都に至り、浣花渓寺に仮寓す。
    成都紀行





・760 49歳 成都にあり。春、西郭の浣花里に居を卜し、春末、落成す。秋末、蜀州に至り、高適と語る。冬、また成都にあり。
・761 50歳 草堂に居す。正月、新津に行き、二月、成都に帰る。秋、青城に至り、始めて呉楚に行かんとの思いを抱く。冬、高適、成都に至り、草堂を訪う。
・762 51歳 春より夏にかけて、草堂に居す。厳武と唱和すること甚だ密。武、ときに生活を援助す。7月、武の中央に召さるるを送り、舟にて綿州に至り、孝済駅にて別る。たまたま徐知造反し、成都に帰るをえず、梓州に入る。秋末、成都に帰り、家族を梓州に伴い帰る。11月、射洪に遊び、陳子昂の読書堂、故宅を訪い、ついで通泉に至りて、郭元振の故居を訪う
・763 52歳 正月、梓州で、官軍、河南・河北を収むと聞く。洛陽に帰郷したいと詠う。。辛員外を送りて綿州に行き、梓州に帰り、漢州に行き、夏、梓州に帰る。初秋、?州に赴き、秋末、梓州に帰る。11月、峡を出て呉楚に遊ばんとし、弟の占に命じて成都に帰り草堂の模様を調べた。
・764 53歳 春初、峡を出でんとし、家族をたずさえて梓州より菱州に至る。たまたま朝廷より京兆功曹参軍に召さるるも、召に赴かず。二月、厳武の再び蜀に来たると聞き、計画を変更して成都に赴く。三月、成都に帰る。六月、厳武の推薦により、節度参謀・検校工部員外郎となり、緋魚袋を賜わる。秋、幕中にあり、心楽しまず。暇を乞うて草堂に帰る。弟頴、斉州に行く。この年、厳武と唱和することもっとも密なり。

765 54歳 正月、幕府を辞し、浣花渓に帰る。春より夏にかけて、草堂に居す。

5月、家族をたずさえて草堂を離れ、嘉州、戎州、渝州、忠州を経て、9月、雲安に至る。病のためここに留居す。 
「旅夜書懐」
・766 55歳 春、雲安にあり。暮春、菱州に移居す。初め山中の客堂に寓し、秋、西閣に移る。菱州都督柏茂林の援助を受く。この年、旧遊を追懐する作多し。詩歌の整理を行った。
・767 56歳 菱州にあり。春、西閣より赤甲に移る。三月、壤西の草堂に移し、果園、菜園を営む。また江北の東屯に稲田若干あり。弟の観、長安より至る。秋、収穫のため暫く東屯にあり。また東遊の心を動かす。十月、菱州にて李十二娘の剣器を舞うを見る。この年、病気がちにて、秋には左耳聾す。
・768 57歳 正月、菱州を去って峡を出で、3月、江陵に至る。留まること数月、秋未、公安に移居す。留まること数月、歳暮、岳州に至る。
「登岳陽楼」
769 58歳 正月、岳州より洞庭湖に入り、湘江を遡りて、3月、潭州に至り、さらに南航して衡州に至る。夏、また渾州に帰りて、ここに留まる。
「清明二首」
・770 59歳 春、潭州にあり。暮春、李亀年に逢う。4月、乱を避けて衡州に入る。椰州の舅の雀偉に僑らんとせしも、莱陽に至って大水にさまたげられて果たさず。盛夏、舟を廻らし、秋、渾州に至って、暫く留まる。嚢陽、洛陽を経て、長安に帰らんとして、湘江を下り、冬、渾州と岳州の間に死す。岳陽に仮葬す。「風疾舟中伏枕書懐」臨終の作とされる

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