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 虞美人 王昭君  卓文君  劉細君  班u、  蔡炎  謝眺 上官婉兒  楊貴妃 薛濤  唐婉  魚玄機の詩  秋瑾
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1.東周 春秋 前 770〜前403戦国 〜前221
  孔子  孟子  屈原 伯夷 宋玉 荊軻 
呉越の戦い  西施ものがたり
2. 前221〜前206
 項籍(項羽) 虞美人
 前206 鴻門の会
 前漢 前202〜8
 王昭君 高祖(劉邦) 枚乘  東方朔  漢-武帝 (劉徹)  劉細君  李 陵 蘇武
3.新 8〜23
 卓文君  楊雄  班彪

後漢25〜220  184〜280
 李延年  張角  蔡邑  趙壹  禰衡  関羽  班u、 梁鴻

三国時代 
 武帝曹操 文帝曹丕 曹植 繁欽 蔡炎 繆襲
黄巾の乱
230頃 竹林の七賢
 応擧 阮籍  惠康  山濤  劉伶  阮咸  向秀  王戎  孫楚 張華 張協 潘岳 左思 陸機 陸雲 潘尼

4.五胡十六国 301頃〜439
 東晋 317〜420
 元帝 (東晋)   王羲之   陶淵明(陶潜) 僧肇
   420〜479 永明体
 謝霊運 顔 延之
 北魏386〜535
  鮑照  
    420〜479 永明体

  謝兆    任 ム  沈約  王融  蘇小小  孔稚珪  刑邵  斛律金  鍾エ
   502〜557
  蕭衍・梁武帝   范雲  何遜  王籍  陸垂  蕭陳  萸信  王褒  徐 陵

   557〜589
  陳後主  陰鏗


 581〜618
  楊 素  薛道衡  観徳王・楊雄

 ○ 初唐の詩人たち
  魏徴  上官儀  王勃  盧照鄰  駱賓王  劉廷芝・劉希夷 楊炯 陳子昴 上官婉兒  宋之問  沈栓期



 ○ 盛唐の詩人たち
 張若虚 包融 王翰 蘇廷 僧一行 張説 張九齢 賀知章 張旭 王之渙 孟浩然 李祈  楊貴妃 王維  李白 諸光羲 崔敏童 王昌齢 嚴武 高適 裴迪 荊叔 賈至 崔敏童 崔國輔 杜甫岑參 常建 張敬忠 崔惠童 樓穎 皎然 薛業 顔眞卿


 ○ 中唐の詩人たち
 張謂   錢起  靈一  朱放   劉長卿   戴叔倫  司空曙  楊巨源  耿夷   陸羽   顧況   盧綸   孟郊   武元衡  崔護  李賀 權コ輿  柳宗元 李益 元槇 白居易・白楽天 劉禹錫 韓愈 張継 張籍 韋應物  賈島  李紳  李渉・李渤   薛瑩   薛濤


 ○ 晩唐の詩人たち
  牛嬌  杜牧  張湖  許渾  李商隠  温庭均  陸龜蒙  皮日休  鄭畋  黄巣  劉綺莊  唐彦謙  趙瑕  陳陶  張喬  于武陵  高胼  聶夷中  曹松  魚玄機  杜荀鶴  羅隱  韋荘  秦韜玉  汪遵

五代十国 907〜960
 林逋  蘇舜欽  柳永  晏殊  欧陽脩  曾鞏  司馬光  王安石  蘇洵  富弼(ふひつ  蘇軾(蘇東坡)  蘇轍  宋江  孫覿  張元幹
南宋1127年 - 1279年
  岳飛  呂祖謙  張蝕  陸象山  朱熹(朱子)  陸游  唐婉  辛棄疾  戴復古  周密  陳亮      杜秉  張元幹  張孝祥  眞山民  楊萬里  劉克莊  文天祥  謝枋得

金  1115〜1234
元好問

元  1271〜
馬致遠

明  1368〜
  太祖・朱元璋  高 啓  于 謙  方孝孺  文 嘉  王陽明  海瑞  劉基

清・近現代 1644〜
 呉偉業  顧炎武  和申  洪秀全  譚嗣同  張之洞 黄遵憲  孫 文  梁啓超 秋 瑾  魯迅 老舎 毛沢東


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■上代の詩人
夏        前2205〜前1766
殷〔商]   前1766〜前1122
西周      前1020〜前770
    【詩】『詩經』雅・頌等
    前494〜前473  呉越の戦い
1.東周春秋前 770〜前403
 論語孔子(前551〜479)
   戦国         〜前221
 孟子もうし 前372〜前289
 屈原くつげん 前340〜前278
 伯夷 はくい   未詳
 宋玉 そうぎょく 未詳
 荊軻 けいか 未詳-前227 
 呉越の戦い  西施ものがたり
2. 前221〜前206
 皇帝 万里の長城増築
 項籍(項羽)前232〜前202]
 虞美人ぐびじん未詳〜前202
 前206 鴻門の会
 前漢 前202〜8
 王昭君   生没年未詳
 高祖(劉邦)前247〜前195
 枚乘ばいじよう前220-前140
 東方朔さく 前154年〜前92年
 漢-武帝 (劉徹)前156〜前87
 劉細君りゅう 生没年不明:
 李 陵りりょう未詳- 前74年
 蘇武 そぶ前140ころ〜前60
3.新 8〜23
 卓文君(たくぶんくん)未詳
 楊雄(ようゆう) B53〜A18
 班彪(はんひょう)A3〜54

後漢25〜220  184〜280
 李延年(生没年不詳)
 張角(ちょうかく)未詳〜184
 蔡邑(さいよう)132- 192)
 趙壹(ちょういち)卒年不詳
 禰衡(でい こう173年−199年
 関羽(かんう)(未詳〜219)
 班u、(はんしょうよ)未詳
 梁鴻(りょうこう)生没不明


三国時代 
 武帝曹操そうそう155〜220
 文帝曹丕(そうひ)187〜226
 曹植(そうしょく)192〜232
 繁欽(はんきん)  未詳
 蔡炎(さいえん)177 - 239
 繆襲(きょうしゅう)   186〜245

黄巾の乱
230頃 竹林の七賢
 3世紀の中国・魏(三国時代)の時代末期に、酒を飲んだり清談を行なったりと交遊した
 応擧(おうきょ)  190〜252
 1)阮籍(げんせき)210〜263
 2)惠康(けいこう)223〜262
 3)山濤(さんとう)205〜283
 4)劉伶りゅうれい)211〜300
 5)阮咸(げんかん)210〜263
 6)向秀しょうしゅう227〜272
 7)王戎おうじゅう 234〜305
 孫楚そん そ      未詳〜293
 張華ちょうか  232年 - 300年
 張協ちょうきょう 未詳〜307
 潘岳(はんがく247年〜300年
 左思 さし    250頃〜305頃
 陸機(りく き)261年 - 303年
 陸雲(りくうん262年 - 303年
 潘尼(はんに  約250〜約311

4.五胡十六国
     301頃〜439

 東晋 317〜420
 元帝 (東晋)276年 〜322年
 王羲之おうぎし  303〜361
 陶淵明(陶潜)  365〜427
 僧肇(そうじょう 374―414
   420〜479 永明体
 謝霊運しゃれいうん385〜433
 顔 延之(がんえんし384〜456
 北魏386〜535
  鮑照   ほうしょう  412 頃-466
   420〜479 永明体
竟陵八友:南斉の皇族、竟陵王蕭子良の西邸に集った文人
  B謝兆(しゃちょう)  464年 - 499
  鮑令暉 ほうれいこん生卒年不詳。
  F任 ム(じん ぼう) 460年 - 508
  A沈約(しんやく)  441年 - 513
  C王融 おうゆう   467年 - 493
  蘇小小 そしょうしょう    未詳
  孔稚珪   こうちけい 447〜501
  刑邵(けいしょう)    496〜561
  斛律金(こくりつきん) 488年 - 567
  鍾エ(しょうえい)    469〜518
   502〜557
  @蕭衍(えん)梁武帝 464〜549
  E范雲 はんうん   451年 - 503
  何遜(かそん)       未詳〜518
  王籍 おうせき     502〜519
  G陸垂(りくすい)      未詳
  D蕭陳(しょうちん)    未詳
  萸信(ゆしん)      513年- 581
  王褒(おうほう)     513〜576
  徐 陵(じょ りょう)  507年 - 583

   557〜589
  陳後主(ちんこうしゅ)582年 - 589
  陰鏗(いんけん)  (未詳未詳)

隋が中国全土統一
 581〜618
  楊 素(よう そ   未詳- 606年
  薛道衡(せつどうこう540年 - 609
  観徳王・楊雄(よう ゆう542 - 612

初唐 618〜712 
 初唐の詩人たち
 魏徴ぎちょう    580年 - 643年
 上官儀 じょうかんぎ608 - 665年
 王勃  おうぼつ @ 650年 - 676年
 盧照鄰 ろしょうりんB  生没年未詳。
 駱賓王 らくひんおうC640 - 684年頃
 劉廷芝(りゅうていし
 (劉希夷)・りゅうきい)651年- 679年
 楊炯 ようけい A生年不詳−692年
 陳子昴(ちんすこう) 661年 - 702年
 上官婉兒じょうかんえんじ664年 - 710
 宋之問 そうしもん   652〜712
 沈栓期 しんせんき 656頃 - 716頃
盛唐 713〜765 
盛唐の詩人たち
張若虚ちょうじゃくきょ  未詳 〜 711
包融 ほうゆう       生没年未詳。
王翰 おうかん     687年 - 726年
蘇廷 そてい      670年 - 727年
僧一行そう いちぎょう  683〜727)
張説 ちょうえつ   667年 - 730年
張九齢 ちょうきゅうれい678 - 740年
賀知章がちしょう   659年 - 744年
張旭  ちょうぎょく   生没年未詳。
王之渙おうしかん  688年- 742年
孟浩然 もうこうねん 689年 - 740年
李祈  りき       690 〜 751年
崔 (saikou)      704 - 754年
安史の乱
あんしのらん755年―763年
楊貴妃ようきひ    719年 - 756年
王維おうい 699 - 761
 王維ものがたり 終南別業
 李白 りはく    701年 - 762年
 諸光羲 こうぎ  706年〜763年
 崔敏童さいびんどう  生没年不詳
 王昌齢おうしょうれい 698 - 765年頃
 嚴武 げんぶ    生年不詳〜765年
 高適 (こうせき)  702年頃〜765年
 裴迪 (はいてき)生没年不詳
 荊叔 ぜんしゅく   生没年未詳。
 賈至 (かし)    718年〜772年
 崔敏童さいびんどう  生没年不詳。
 崔國輔さいこくほ   708年〜不詳。
 杜甫  712年 - 770年
 杜甫ものがたり 杜甫アウトライン
 岑參(しんじん)    715年 - 770年
 常建じょうけん    708年〜不詳。
 張敬忠ちょうけいちゅう生没年不詳。
 崔惠童さいけいどう  750〜800年頃
 樓穎 ろうえい760    生没年不詳
 皎然 こうぜん      生没年不詳。
 薛業(へいぎょう)  生没年不詳。
 顔眞卿 がんしんけい 709 - 785年


中唐 766〜826
 張謂   いちょう 721年   〜780年
 錢起   せんき722年〜780年
 靈一   れいいち
 朱放   (しつほう)
 劉長卿 りゅうちょうけい709?〜785?
 戴叔倫(たいしゅくりん)732年〜789年
 司空曙(しくうしょ)   未詳〜790
 楊巨源(ようきょげん)(770−未詳)
 耿夷 こうい763      未詳〜未詳
 陸羽 (りくう)〜804
 顧況(こ きょう)725年 - 814年?
 盧綸  ろりん  748年〜800年
 孟郊 (もうこう)    751年 - 814年
 武元衡  ぶげんこう 758〜815
 崔護(さいご)     未詳
 李賀    りが      790〜816
 權コ輿 ごんとくこう   759-818
 柳宗元A りゅうそうげん 773〜819
 李益   りえつ  748年 - 827年頃)
 元槇(げんしん)     779〜831
 白居易・白楽天はくらくてん772〜846 
 劉禹錫 りゅううしゃく 772年〜842年
 韓愈   @かんゆ  768年〜824年
 張継   ちょうけい    生没年不詳
 張籍   しょうせき 768年〜830年
 韋應物 いおうぶつ   735〜835
 賈島   かとう   779年〜843年
 李紳   りしん   780年〜846年
 李渉李渤 りしょう     (773〜831)
 薛瑩(へいえい)  未詳
 薛濤(せつ とう)768年 - 831年
晩唐827〜906 
 晩唐の詩人たち
 牛嬌 ぎゅうきょう  生没年不詳
 杜牧 とぼく       803〜852
 張湖(ちょうこ)  792〜852
 許渾 きょこん  791年〜854年
 李商隠(りしょういん)812〜858
 温庭均(おんていいん)812〜872
 陸龜蒙りくきもう   未詳〜881年
 皮 日休 ひじつきゅう830年代 - 883年
 鄭畋(ていでん)825〜883
 黄巣 (こうそう)   未詳〜884
 劉綺莊 りゅうきそう   生没年不詳
 唐彦謙 とうげんけん 
 趙瑕   ちょうか
 陳陶      812年頃〜885年頃
 張喬(ちょうきょう)   生没年不詳
 于武陵〔うぶりょう)   810- 未詳
 高胼 (こうべん)    821〜887
 聶夷中(じょういちゅう)837〜884
 曹松  そうしょう   830−901
 魚玄機      844ころ〜871ころ
 杜荀鶴(としゅんかく)846〜904年
 羅隱(らいん)833年〜909年
 韋荘 (いそう)       836〜910
 秦韜玉(しんたいぎょく) 882 〜 未詳
 汪遵 (おうじゅん)     生没年不










金  1115〜1234

元好問 げんこうもん 1190〜1257


元  1271〜
馬致遠 まあちえん 生没年未詳。


明  1368〜
太祖・朱元璋しゅげんしょう1328- 1398
高 啓  こうけい)1336 - 1374年
于 謙  (うけん)1398 - 1457
方孝孺ほうこうじゅ1357年 - 1402年
文 嘉 ぶんか 1501 - 1583
王陽明 おうようめい 1472 - 1529
海瑞 かいずい 1514 - 1587
劉基 りゅうき  1311 - 1375


清・近現代 1644〜
呉偉業ごいぎょう1609 - 1671
顧炎武こえんぶ1613 - 1682
和申 かしん 1613 - 1682
洪秀全 こうしゅうぜん1814 - 1864
譚嗣同 たんしどう  1865 -1898
張之洞 ちょうしどう 1837 - 1909
黄遵憲こうじゅんけん1848 - 1905
孫 文 そんぶん   1866 - 1925
梁啓超 りょうけいちょう 1873 - 1929

秋 瑾  しゅうきん  1875 - 1907
魯 迅  ろじん    1881 - 1936
老 舎  ろうしゃ    1899 - 1966
毛沢東 もうたくとう  1893 - 1976
h北宋の詩人


北宋の詩人



五代十国  唐の滅亡から宋の成立までの間に黄河流域を中心とした華北を統治した五つの王朝(五代)と、華中・華南と華北の一部を支配した諸地方政権(十国)とが興亡した時代である。
  ●五代十国、宋、元、明、清、近現代の詩人たち
■宋   960〜1279年    王朝の興亡と民族の盛衰に伴い、祖国と自民族を想い、壮懐を詩詞句に託した作品が、数多く生まれ、現在に残されています。
       とりわけ、宋代では北方に非漢民族の国家・遼(契丹)、西夏が興り、華北を脅かし、さらに遼の滅亡の後は、女真(後の満州民族)の金が興り、華北を抑え、やがて、靖康之変の後は、漢民族の国家・宋は江南半壁に追いやられた事実があります。(北宋地図) 特に靖康之変後、江南の宋(南宋)は、中原の奪回を目指し、金と、やがては元と抗争し、詞の世界では燃え上がり、媾和に際しては、民族意識が強く盛り上がりました</FONT>
   ・北宋  960〜1127  ・遼 916~1125  ・西夏 1038〜1227
   ・南宋 1127〜1279  ・金 1115〜1234

  蘇東坡の詩  春夜  蘇東坡     浣渓沙  蘇東坡
          和孔密州 東欄梨花  飮湖上初晴後雨

 601山園小梅  林逋
601  林逋 (りんぽ) 967年 - 1028年
宋代の詩人。字は君復。 杭州銭塘(浙江省)の出身。若くして父を失い、刻苦して独学する。恬淡な性格で衣食の不足もいっこうに気にとめず、西湖の孤山に盧を結び杭州の街に足を踏み入れぬこと20年におよんだ。真宗はその名を聞いて粟帛を賜い、役人に時折見回るよう命じた。薛映・李及が杭州にいたときは彼らと終日政談し、妻子をもたず、庭に梅を植え鶴を飼い、「梅が妻、鶴が子」といって笑っていた。行書が巧みで画も描いたが、詩を最も得意とした。一生仕えず盧のそばに墓を造り、「司馬相如のように封禪の書を遺稿として用意してはいない 山園小梅
602 蘇舜欽(そ しゅんきん) 1008- 1048
蘇舜欽(そ しゅんきん、1008年 -1048年)は北宋時代の政治家・文学者。字は子美。銅山(河北省)の出身。参知政事であった蘇易簡の孫でもある。若い頃から世を慷慨し、軍事論を好み大志があった。初めは父の推挙により太廟齋郎に任命され、景祐年間(1034年- 1038年)に進士に合格し、知長垣県をへて大理評事となった。康定年間(1040年 -1041年)、河東に地震があったときに蘇舜欽は上疏し当時の政治の欠陥を論じて范仲淹に認められ、集賢校理となり進奏院を監督し、時の宰相・杜衍の娘を娶るまでになった。多くの学者が修飾の多い美文を書いていた中で、河南の穆修とともに古体による詩を書き、欧陽修の賞賛を得た。草書にも優れていたという。  
603 柳永 987〜1053
 崇安(福建)出身。字は耆卿、原名は三変。景祐元年(1034)の進士で、屯田員外郎となった。詞の作者として当時から著名で、艶詞が多く鄙俗と評されるが、叙情に優れ、従来の短篇詞主体に対して長篇詞を好み、詞史に新生面を与えた。 八聲甘州
604 晏殊  991〜1055
 撫州臨川(江西)の出身。字は同叔。景徳初期の進士で、真宗・仁宗に仕えて軍事・財政改革を進め、1040年に宰相とされた。学校再興など人材育成にもつとめ、門下からは范仲淹らを輩出し、韓g・富弼らを推挙した。文章に優れ、詞の大家としても知られた。 浣溪沙
605 欧陽脩 (おうようしゅう)  B  1007〜1072
 廬陵(江西)出身。字は永叔、諡号は文忠。苦学して進士に第一甲で及第し、1043年に知諫院とされ、この時に『朋党論』を著した。以後、同修起居注・知制誥と累進したが、杜衍・韓g・范仲淹・富弼らの左遷を極諫した為に地方に出され、12年後に翰林学士に復した。1060年に地方官から枢密副使に復して参知政事に進み、濮議では台諫側の司馬光らと対立した。
 史学に通じ、神宗期に新法に反対して致仕を許されると潁州に隠棲し、六一居士と称して『新唐書』『新五代史』を著した。周・漢以後の金石文を注解した『集古録』を著して金石学の祖とされ、又た韓愈の文章を高く評価して古文復興にも尽くした。唐宋八大家の1人とされる。
日本刀歌 
;蝶戀花
606 曾鞏   F   1019〜1083
 建昌南豊(江西)の出身。字は子固、号は南豊先生。太学時代に欧陽脩に認められ、嘉祐2年(1057)に進士に及第すると実録編纂官などを務めた後、地方官を歴任した。王安石と親交があったが、新法実施には反対し、1082年に中書舎人となった。唐宋八大家の1人。 虞美人草  西樓
607 司馬光 1019〜1086
司馬光 1019〜1086
 陝州夏県(山西)の出身。字は君実。宝元元年(1038)の進士で、濮議では名分を重んじて皇伯論を主張した。神宗が即位すると翰林学士・御史中丞となったが、新法に反対して地方に転出し、後に勅命で『資治通鑑』を編集した。哲宗が即位すると皇太后の庇護を得て尚書左僕射に復し、すべての新法を廃して社会を混乱させた末、在任8ヶ月で病死して温国公を追贈された。後に元佑党人として官位を剥奪され、北宋末に名誉が回復された。
居洛初夏作
608 王安石   G 1021〜1086
 撫州臨江(江西)の出身。字は介甫、号は半山。慶暦2年(1042)の進士。主に地方官を歴任して治績を挙げ、いちじ中央に召されて仁宗に“万言書”を上呈したが、狷介さを忌まれて用いられなかった。神宗が即位すると知江寧府とされ、治績を認められて翰林学士をへて1069年に参知政事とされ、制置三司条令司を新設し、新法を逐次実施して翌年には同平章事とされた。
 新法は主に中・下級の農民や商人を庇護して経済力の再建を図るもので、財政・治安に実績を挙げたが、国制を根本から再編する政策であったため、既得権を侵された地主・豪
泊船瓜洲  
鍾山即事  
夏日即事
桂枝香 
609 蘇洵(そじゅん) C 1009〜1066
  眉州眉山(四川)の出身。字は明允、号は老泉。晩学で科挙には失敗したが、読書に励んで論文を著し、欧陽脩に認められて諸文士と交流した。議論文を得意とし、『太常因革礼』編纂に参加し、完成直後に歿した。唐宋八大家の1人。  
610 富弼(ふひつ) 未詳〜1083
   
611  蘇軾(蘇東坡)   D 1036〜1101
 眉州眉山の出身。字は子膽、号は東坡。蘇洵の子、蘇轍の兄。嘉祐2年(1057)の進士。夙に将来を嘱望され、英宗期に判登聞鼓院、直史館とされたが、神宗期に新法に猛反対して杭州通判など地方官を歴任し、1079年には詩文中で時政を誹謗したとして黄州に配流された。元佑年間には翰林学士・侍読とされ、募役法の廃止に反対して知杭州に転出し、1092年に礼部尚書に復したが、紹聖以降は恵州ついで瓊州(海南島)に流され、常州で客死した。
 文人としても著名で、父・弟とともに“三蘇”と称され、“大蘇”とも呼ばれた。線の太い詩は宋代文学の最高峰とされ、『赤壁賦』は黄州配流時に創られた傑作。唐宋八大家の1人。
念奴嬌   江城子 春夜  澄邁驛通潮閣二首   飮湖上初晴後雨  六月二十七日望湖樓醉書  和陶飮酒  題西林壁  江城子  浣溪沙  水調歌頭
612  蘇轍   E 1039〜1112 
 字は子由、号は潁浜。蘇軾の弟。嘉祐2年(1057)の進士。新法の実施時には三司条令司の書記とされたが、青苗法に反対して河南推官に遷され、蘇軾に連坐して南方に流された。元佑年間に右司諫から吏部尚書、門下侍郎と進んで新法派を排斥したが、紹聖以降は広南に左遷され、後に河南許州に隠棲した。兄に劣らぬ直言家だったが、旧法派の主流とは距離を措いて部分的に新法を認め、役法・西夏対策などにも見識を有した。文人としても兄と並んで知られ、“小蘇”と呼ばれた。唐宋八大家の1人。 李公麟山荘図
613 宋江 生没年不詳
宋 江(そう こう、SòngJi?ng、生没年不詳)は、北宋末の1121年に現在の山東省近辺で反乱を起こした人物。また、その反乱事件に取材した小説で中国の四大奇書の一つである『水滸伝』では主人公となっている。 西江月
614 李師師 生没年不詳
 
615 孫覿(そんてき) 1081〜1169年
 北宋時代(960〜1127)に活躍。幼くして蘇軾に才能を見出されたといわれる。 再宿楓橋
616 張元幹 1091〜不明
両宋期の豪放な作風の詞人(1091年〜不明)字は仲宗、号は葦川居士。長楽(現福建内)の人。対金主戦論者で、媾和に反対し、やがて退けられる。 石州慢


■元   1271〜1368年
元(げん)は、1271年から1368年まで中国とモンゴル高原を中心とした領域を支配し、その後は北へ逃れ、遊牧政権としては最終的には1635年まで存続したモンゴル人王朝であり、モンゴル帝国の皇帝直轄世襲領である。元朝(げんちょう)とも言う。正式の国号は大元(だいげん)。
     中国王朝としての元は、北宋崩壊(1127年)以来の中国統一政権であり、元の北走後は明(1368年 - 1644年)が中国統治を引き継ぐ。ただし、後述するように、元は制度や政治運営の特徴において、モンゴル帝国に受け継がれた遊牧国家特有の性格が強く、用語上でモンゴル帝国が伝統的な中国王朝の類型に変化したものであるというような誤解を避けるために、遊牧民の国を指すウルスという語を用いて特に大元ウルスと呼ぶべきであるとする意見もある。

■明   1368〜1664年
明(みん) 1368年 - 1644年  明朝ともいい、中国の歴代王朝の一つ。大明と号した。朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。元に対し、白蓮教徒が1351年に紅巾の乱を起こすと反乱は瞬く間に広がった。紅巾軍の一方の将領であった貧農出身の朱元璋(太祖・洪武帝)は南京を根拠に長江流域の統一に成功し、1368年に明を建国した。万里の長城以南の中国は明に統一される。江南から誕生した王朝が中国を統一したのは明が初めて、唯一である。

■清   1636〜1912年
このサイトでは特に唐・宋時代を中心に詩詠句を見ていきます。できるだけ、階級論争に触れないことを前提に詩人の背景、思想、等、従来の考え方と対比して行こうと思います。したがって、元以降の歴史的記述は少ないことをご容赦願います。






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