王昌齢の詩(盛唐)
218 王昌齢 おうしょうれい 698- 765年
中国の西から北の方はいわゆる砂漠地帯で、遊牧民族の国があった。この地域では、いつの時代も戦争をして絶えることなかった。
万里の長城を築き、修理、拡張し、塞を築いたり、関所を設けた。そして多くの人にここの防御にあたらせた。遊牧民族対抗するには特に馬が必要で、隊の人の倍数馬を用意するので、従事する人、物、食料など国の財政に大きく影響を与えるものだった。
人は、府兵制の徴兵で構成され、出征すると生きては帰れないといわれ、柳の枝折って送り出された。
陰山山脈、砂漠。そこには中国本土にはない気候風土がある。
砂漠の砂嵐、抜けるような青い空から灼熱の太陽、排尿した直後凍るほどの寒さ、そして何よりも黄色の砂漠に兵士たちの躯の白骨が点在する。むごたらしい情景は兵士を死の限界に追い詰める。
突如響く「ドラ」の音、悲しげに聞こえてくる羌笛、馬の悲しげな嘶き、そして、月が昇ります。見渡す限りの荒野を明るく照らすのです。兵士にとって、大変なことですが、詩人はこうした日常的でない『非日常』を題材にしたのです。勇ましい戦場の詩より、『非日常』を、悲しみを、辛さを言葉巧みに美しい邊塞詩にしたのです。
その代表的な詩は王昌齢「従軍行三首」其二です。戦場に行っていないからかけた傑作です。
従軍行三首(其二)
青海長雲暗雪山、孤城遥望玉門関。
黄沙百戦穿金甲、不破楼蘭終不還。
青海湖そして長く尾を引く白い雲、その長雲で暗くなった雪の山々がある。はるか平原にただ一つポツンと立っている玉門関をこの塞から望む。
黄砂塵の飛ぶこの砂漠で、数えきれないほどの戦いをしてきたことか、こんなに鉄でできた鎧や兜にさえ穴が開いてしまっている、だけど、あの宿敵楼蘭の国を破らぬ限りは故郷に帰らないぞ!。
青海 長雲 雪山 暗し、孤城遥かに望む玉門関。
黄沙 百戦 金甲は穿つ、楼蘭を破らずんば、終に 還えらじ
この詩は工夫があります
青海長雲暗
雪山、孤城遥望
玉門関。
黄沙百戦穿
金甲、不破楼
蘭終不還。
この詩の第一句で青と白を強烈に印象付けます。
そしてその詩の中に雄大な景色をバックに6色の色が散りばめられているのです。戦争の悲惨さを詠いながら、美しさが先に見えてきます。
もう一つは、最後の句に「楼蘭を破らずんば、終に 還えらじ」と言っているのは、歌舞伎の「キメ」の姿といえるでしょう。武者絵を書いた詩といえるのではないでしょうか。
214 王 昌齢
698年?765年 中国・盛唐の詩人。字は小伯。王江寧、王竜標とも称す。
山西省太原に本籍を持ち、陝西省西安に生まれ。727年に進士となり、秘書郎から734年に博学宏詞科に及第して水(河南省)の県補となったが、豪放磊落な生活ぶりで江寧の丞・湖南省竜標の県尉に落とされた。その後、安禄山の乱の時に官を辞して故郷に帰るが、刺使の閭丘暁に憎まれて殺された。
詩について、当時「詩家の天子」とも呼ばれ、高適・王之渙と交遊があった。七言絶句に特に優れ、六朝時代の伝統的な辺塞詩、戦場に行かないで戦場のことを詩にし佳作が多い。閨怨詩・送別詩にも詩才を発揮した。「詩緒密にして思い清し」という評がある。詩集5巻。詩論家としても『詩格』『詩中密旨』がある。
西宮春怨 (西宮夜静百花香) 西宮秋怨 (芙蓉不及美人粧) 芙蓉楼送辛漸 (寒雨連江夜入呉) 従軍行三首(其一)(烽火城西百尺楼) 従軍行三首(其二)(青海長雲暗雪山) 従軍行三首(其三)出塞(秦時明月漢時關) 出塞行(白草原頭望京師) 閨怨 (閨中少婦不知愁) 青楼曲 (白馬金鞍從武皇)
西宮春怨
西宮夜静百花香、
欲捲珠簾春恨長。
斜抱雲和深見月、
朧朧樹色隠昭陽。
西宮夜静かにして百花香り
珠簾を捲かんと欲すれば春恨長し
斜めに雲和(うんか)を抱いて深く月を見れば
朧朧たる樹色昭陽を隠す
西宮秋怨
芙蓉不及美人粧、
水殿風来珠翠香。
却恨含情掩秋扇、
空懸明月待君王。
芙蓉は美人の装いに及ばず
水殿に風来たりて珠翠香し
却って恨む 情を含んで秋扇を掩(おお)い
空しく明月を懸けて君王を待つ
■ 出塞 「従軍行三首(其三)」
秦時明月漢時關,
萬里長征人未還。
但使龍城飛將在,
不ヘ胡馬渡陰山。
秦時の 明月 漢時の 關,
萬里 長征 人 未だ還らず。
但だ 龍城に 飛將をして 在ら使(し)めば,
胡馬をして 陰山を 渡らヘ(し)めず。
秦の時代の明月は、(変わることなく)漢の時代の関を照らして、遥かに遠く遠征した人はまだ帰ってこない。
ただ(朔北の地)龍城を、「飛将軍」李廣に守備をさせれば、匈奴の軍馬に(中原の北の要害である)陰山を通り過ぎさせるようなことはしない。
秦時明月漢時關:秦の時代の明月は、(変わることなく)漢の時代の関を照らして。 ・秦時明月:秦の時代の明月。秦の時代も明月は(この関を照らし)。 ・明月:澄み渡った月。月影の描写は暗に人を偲ぶことを示す。 ・漢時關:漢の時代の関(せき)。
萬里長征人未還:遥かに遠く遠征した人はまだ帰ってこない。 ・萬里長征:遥かに遠く遠征すること。 ・人未還:遠征した人はまだ帰ってこない。 ・還:(出発したところへUターンをして)もどる。
但使龍城飛將在:ただ(朔北の地)龍城を、「飛将軍」李廣に守備をさせれば。 ・但使:ただ…でさえあれば。 ・龍城:匈奴の長が会合して天を祭る処。転じて、匈奴の地。広く朔北の地を指す。「史記巻一百十・匈奴列傳五十」に「歳正月,ゥ長小會單于庭,祠。五月,大會龍城,祭其先、天地、鬼~。秋,馬肥…」とある。 ・飛將:前漢の李廣。しばしば匈奴を破り、匈奴より「飛将軍」と呼ばれた。 ・在:いる。存在する。ここでは守備をさせる、籠城をさせる。
不ヘ胡馬渡陰山:匈奴の軍馬に(中原の北の要害である)陰山を通り過ぎさせるようなことはしない。 ・不教:…に…をさせない。使役の「ヘ」は平声。蛇足になるが、現代語(北京語)では(〔jiao1〕という平声があるとはいうものの)使役表現では去声の〔jiao4〕を使う。 ・胡馬:匈奴の軍馬。匈奴の軍隊を指す。西北方に住む異民族。 ・渡:わたる。通り過ぎる。通り過ぎて(中原へ入る)。 ・陰山:崑崙山の北の支脈。中原の北側の要害の地。「史記巻一百十・匈奴列傳」に「築長城,自代並陰山下,至高闕爲塞。」とある。
■ 芙蓉楼送辛漸
寒雨連江夜入呉、平明送客楚山孤。
洛陽親友如相問、一片氷心在玉壺。
寒く冷たい雨の中、川から川へと舟に乗って夜 呉の国へ入ってきた
送別の宴のあと ひと眠りして 翌朝早く客(辛漸)を送り、ふと横を見ると 楚の山が一つポツンと残されたように見える。
それはちょうど都へ帰りたい自分のようでもある。もし、洛陽の親友が私のことを尋ねたならば、澄み切った氷が玉(ぎょく)で作った壷にあるように悠然としていた、と伝えてほしい。
寒雨 江を連ねて 夜る呉に入る
平明 客を送れば 楚山孤なり
洛陽の親友 もし相い問わば
一片の氷心 玉壺に在りと
辛漸=この詩の作者王昌齢の友人の名前です。
寒雨=冷たい雨 連江=川から川へと
入呉=呉の国へ入ってきた。
平明=夜明け・明け方。 楚山=楚の国の山
孤=ひとつ・ひとり。 洛陽=街の名前
親友=親しい友達。 如=もしも
相問=聞く・たずねたら。 一片=ひとかけら
氷心=氷のように澄み切った心
在=ある・おる。 玉壺=玉(石)で造った壺
■ 出塞(従軍行其の三)
秦時名月漢時関、万里長征人未還。
但使龍城飛将在、不教胡馬度陰山。
秦の頃や漢の頃から西域には名月が輝き、匈奴との戦いの拠点である塞がそびえている。万里の彼方から出征した夫は、まだ帰ってこない。漢の時代に龍城の飛将軍と言われた李広のような人がいれば、異民族の騎馬に陰山山脈をわたらせることはないだろうに。
秦時の名月 漢時の関
万里の長征 人 未だ還らず
但 龍城を使て 飛将 在しめば
胡馬をして 陰山を度らしめず
王昌齢 従軍行三首
■ 従軍行三首(其一)
烽火城西百尺楼、黄昏独坐海風秋。
更吹羌笛関山月、無那金閨萬里愁。
のろしをあげる要塞の西にある百尺のたかどの。秋のたそがれにひとり、海風に吹かれながら、座っている。さらに月光のもと、関山月の曲を吹く羌笛の音が聞こえてくると、妻から万里も離れている寂しさをこらえることができない。
烽火 城西 百尺の楼、黄昏 独り坐す 海風の秋。
更に吹く 羌笛 関山の月に、那んともするなし 金閨 萬里の愁い。
☆烽火城-辺境の地にあって、のろしをあげる要塞。海風-青海(ココノール湖)から吹く風。金閨-女性の住む部屋を美しくいったもの。
■ 従軍行三首(其二)
青海長雲暗雪山、孤城遥望玉門関。
黄沙百戦穿金甲、不破楼蘭終不還。
従軍行-楽府題(がふだい)の一つで、遠征兵士の辛苦をテーマにうたう。
青い海に長く雲がたれこめている。雪山は暗く見える。平原にひとつ立つとりでから、はるか玉門関をながめる。黄沙の砂漠で、数え切れないほどの戦いをして、鉄製のよろいに穴があいてしまった。でも、楼蘭を破らないかぎり、故郷には帰らないぞ。
青海 長雲 雪山 暗し、孤城遥かに望む玉門関。
黄沙 百戦 金甲は穿つ、楼蘭を破らずんば、終に 還えらじ
■ 従軍行三首(其三)
秦時明月漢時關、萬里長征人未還。
但使龍城飛將在、不教胡馬度陰山。
秦時(しんじ)の明月(めいげつ) 漢時(かんじ)の関(かん)
万里(ばんり) 長征(ちょうせい)して 人(ひと)いまだ還(かえ)らず
ただ竜城(りゅうじょう)の飛将(ひしょう)をしてあらしめば
胡馬(こば)をして陰山(いんざん)を度(わた)らしめず
秦時明月漢時關 … 解釈に二説ある。底本(『箋註唐詩選』)の「明月は関名なり」とする説より、「月が関所を照らしているのは秦漢以来の普遍的光景である」とする説のほうがよかろう。
長征人 … 『樂府詩集』(卷第八十・近代曲辭)では「征人尚」に作る。また、『全唐詩』には「一作征夫尚」との注あり。
使龍城飛 … 『樂府詩集』(卷第八十・近代曲辭)では「願龍庭神(一作飛)」に作る。『唐百家詩選』『唐五十家詩集』では「使盧城飛」に作る。
■ 出塞行
白草原頭望京師、黄河水流無尽時。
秋天曠野行人絶、馬首東来知是誰。
白草 原頭 京師を望む、黄河 水流 尽きる時 無し。
秋天 曠野 行人を絶ゆ、馬首 東来 知る是れ誰れぞ。
◎李?(りき)の作で題を「旅望」としている本もあり。
白草原に立って都のほうをながめると、黄河の水はかなたへ流れてつきるときもない。秋の空、ひろびろとした広野に、旅人の姿はなくなった。でも、馬を東へ走らせていく人がいる。あれは、誰だろう。
■ 閨怨
閨中少婦不知愁、春日凝粧上翠楼。
忽見陌頭楊柳色、悔教夫壻覓封侯。
閨中の少婦を不知愁、春日 粧をして 翠楼に上る。
忽まち見る 陌頭 楊柳の色、悔ゆるらくは 夫壻をして封侯を覓めしを。
ねやの若い妻は愁いを知らない。春うららかな日、化粧をしてきれいな翠楼にのぼる。目にとまったのは、大路の柳の色。(柳を見て夫と別れたときのことを思い出した。)夫に立身出世をもとめたことを悔やむばかり。
■ 青楼曲
白馬金鞍從武皇、旌旗十萬宿長楊。
樓頭小婦鳴箏坐、遙見飛塵入建章。
(青楼(せいろう)曲(きょく))
白馬(はくば) 金鞍(きんあん) 武皇(ぶこう)に従(したが)い
旌旗(せいき) 十万(じゅうまん) 長楊(ちょうよう)に宿(やど)る
楼頭(ろうとう)の小婦(しょうふ) 箏(そう)を鳴(な)らして坐(ざ)し
遥(はる)かに見(み)る 塵(ちり)を飛(と)ばして建章(けんしょう)に入(い)るを
(青楼(せいろう)曲(きょく))
七言絶句。皇・楊・章(平声陽韻)。