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韓愈 原道






儒教の復興は、彼の思想の基盤である。古文復興運動とは表裏のものであり、その観点から原道」「原性」「原毀」「原人」「「原鬼」などを著している。その一方で、排仏論も、彼の儒教復興の姿勢からきたものであった。六朝から隋、唐にかけての崇仏の傾向が強くくなったのも中国人民に儒教が嫌悪されたからで、学問として哲学としても敬遠されたのだ。そうした中で、韓愈の一門は中国古来の儒教の地位を回復しようとするのであった。

「原」(尋ねるという意味)は、『淮南子』の「原道訓」に倣って、韓愈が始めた論文の一種で、本原をたずねて推論する性質のもであって、「原道」「原性」「原毀」「原人」「原鬼」の五原がある。
《原性》を書いて性三品説を確立した。
《原毀》世の謗りは人は多情であっても名声あるものを嫉妬することにある。
《原人》人間とは何か、人道、「仁」の本原の理を明らかにする。
《原鬼》人間の精霊の本原の理を明らかにする。
ということである。
まず原道から始めることとする。長文のため、意味によって区切り、おおむね14段分割し、掲載は22回程度になる。

原道 韓退之(韓愈)01

原道
『原道』:儒教家の道徳根原へ本質を原(たず)ねる文。

老荘や釈迦の教えが盛んであった盛唐、中唐において、これらの思想を排斥して'中国古来の聖人の道、儒家の実際主義の道徳を明らかにするもので、韓愈の思想を最もよ-表明した議論文ということになる。


1段目
道をたずねる。
博愛之謂仁,行而宜之之謂義。
分け隔てなく人々を愛すること、これを仁という。そういう行為は適宜におこなうこと、これを義という。
由是而之焉之謂道,足乎己無待於外之謂コ。
この仁と義により通って行くこと、これを道という。人が生まれならに得ている性格、また学問や修養によって身つけ得たもの、外から何にもしないで与えられることを待たないものであること、これを徳という。徳は得、自身に得ている人格である
仁與義為定名,道與コ為?位。
この場合、仁と義は具体的に人を愛する情と、適宜という理性をもって行いを宜しくする筋道とであるから、定格した名称である。それに反して、道と徳は由るべき道とか、得ている性格とかいうものであるからそれは内容の虚しいものでしかないのだ。従って各種の内容の入り得る場所、すなわち抽象概念である。
故道有君子小人,而コ有凶有吉。
それ故、道には君子のものがあり、小人の道もある。そして徳には悪い不祥な人格もあれば、良い嘉すべき人格もあるということである。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-1>U中唐詩573 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1858

2段目
老子之小仁義,非毀之也,其見者小也。
老子がこれまでいう儒家の説く仁義をとるにたらないものとしている、そして仁義をそしるのである、それは彼の視点が小さいことからのものである。
坐井而觀天,曰天小者,非天小也。
その小さい視点というのは井戸の中に座って天を観て、天は小さいというものである。これは天が小さいのではないのであるということである。
彼以煦煦為仁,孑孑為義,其小之也則宜。
彼は小さな日光で温められたようなわずかな愛情の様子を見てそれが仁であるとし、孤立して小さく自己を守るのを義であると思ったことであるし、彼が仁義のとらえ方を小さなものであるとするのも、またもっともなことといえるのである。
其所謂道,道其所道,非吾所謂道也;
彼のいうところの道は、彼が道であるとするところの形而上的、主観的なものを道とするのであり、万物現象の奥にある本体を名づけて道とするのであるから、私のいうところの人間の身に実践で得た道徳性のものをいうのではないのである。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-2>U中唐詩574 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1862
其所謂コ,コ其所コ,非吾所謂コ也。
彼(老子)のいういわゆる徳というのは、彼が徳であると意識・認識する所のものを徳とし、形而上の本体の無為自然の在り方に従って生得する自然の性を徳とするのである。私のいうところの人間の身に得た道徳性ではないのである。
凡吾所謂道コ云者,合仁與義言之也,天下之公言也。
およそ私のいうところの道徳というものは、人間愛の仁と、理性に照らして宜しとする義とを合わせていうのである。これは天下のどこでも通用する言葉であるのだ。
老子之所謂道コ云者,去仁與義言之也,一人之私言也。
老子のいうところの道徳というのは(次元が違っていて)、この仁と義とを捨て去っていうのである。
老子一人の個人的な言葉であるとするものである
原道 韓退之(韓愈)詩<115-3>U中唐詩575 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1866
3段目
周道衰,孔子沒。
周王朝の政道が衰え、孔子が死去して以後、その教えも没していく。
火于秦,?老于漢,
秦の始皇帝の時に、儒書を焼く弾圧があり、漢代には黄帝老子の黄老思想が盛んになっていく、
佛于晉、魏、梁、隋之間。
晋・北魏・梁・隋の南北朝の間には仏教を信じるものが主流になっている。
其言道コ仁義者,不入于楊,則入于墨。
その六朝時代に道徳や仁義を言う者は、楊朱の「為我説」の個人主義にはいり、はいらない場合は、墨子の兼愛・非戦・節倹の道にはいっていたのだ。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-4>U中唐詩576 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1870
不入于老,則入于佛。
墨子の説に入らないものは、老子の価値は相対的なものと考え、自然の道家の思想にはいっており、老子の道にはいらなければ、仏教の道にはいっている。
入于彼,必出于此。
彼ら考えに入るには、必ずこちらを出て行くわけである。
入者主之,出者奴之;
進んではいった思想は、これを主人として尊び、出て来た思想は、これを奴隷としていやしめるものである。
入者附之,出者?之。
はいった思想には付き随っていて、出る前の思想に対しては、これを穢れたつまらぬものとするのである。
噫!後之人其欲聞仁義道コ之?,孰從而聽之?
ああ、こんなことでは後世の人が、一体、仁義道徳の説を聞こうと思っても、誰に従ってこれを聴こうか。聴くべき人がいなくなったのである。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-5>U中唐詩577 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1874

4段目-1
老者曰:「孔子,吾師之弟子也。」
老子学派の者はいう、『史記』に「孔子はわが師老子の弟子である。」と書いてあり、老子に礼を学んだことがあるといわれているのだ、と。
佛者曰:「孔子,吾師之弟子也。」
また仏教徒はいう、三聖化現説において、「孔子はわが師釈迦の弟子、光浄菩薩であるされている」と。
為孔子者,習聞其?,樂其誕而自小也,
孔子の儒学を学んでいるものでさえも、彼ら仏教者、老子思想者の説を聞きいれ慣らされてて、彼らのでたらめの説を楽しくうけいれ、自分の儒教の学問を飽きて、つまらぬものと思うようになる。
亦曰:「吾師亦嘗師之云爾。」
そしてまたいう、「わが師とする孔子も、またかつて老子や釈迦を師として学んだと、そういうことである」と。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-6>U中唐詩578 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1878

不惟舉之於其口,而又筆之 於其書。
ただこれを口にだしてあげつらっていうだけでなく、その上このことを書物に筆録しているのである。
噫!後之人,雖欲聞仁義道コ之?,
ああ、このようであるから、後世にいたる世の人に対して仁義遺徳についての説を聞こうと思うのであるが、
そのことを従って聞ける人がいるのか、誰にこの説明を求めればよいのか。こんなにも厭飽されかたの何と甚しいことであろうか、どうして人々が道理にあわないようなあやしい話を好むのであろうか。
其孰從而求之?甚矣!人之好怪也,
その物事のはじめ、始まりを追求しないというのはどうであろう。その結末をもただし問わないというのもどうだろう。
不求其端,不訊其末,惟怪之欲聞。
ただ怪しい迷信や、伝説のような話ばかりを聞きたがっているのである。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-7>U中唐詩579 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1882

5段目
古之為民者四,今之為民者六。
古代より生き方からの民のとらえ方として四分類できるとされていた、士・農・工・商の四分類である。今、これをみなおして民を考えてみると、六分類の範疇であろう、それは士・農・工・商・仏・老である。
古之教者處其一,今之教者處其三。
古代よりの民を教えた者は、四民の一つを占めていた士である。今の世の民を教えるものは、六民のうちの三を占めている士(儒)・仏・老である。
農之家一,而食粟之家六。
農の家は六分類されるうちの一つの部分であるのに、穀物を食う家は六つのものすべてであるのだ。
工之家一,而用器之家六。
工人の家は一つであるのに、工人の作る器を用いる家は六である。
賈之家一,而資焉之家六。
商人の家は一つの部門であるのにもかかわらず、物資の供給はすべての六部門にされ、生活するのである。
奈之何民不窮  且盜也!
このように生活に必要なものを生産や流通させる仕事をするものが少ないのにたいして、消費する者はすべてのものなのである。したがって生活が困窮して、盗みをするということになるのである。世の常識としてそういう結果にならざるをえないということだ。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-8>U中唐詩580 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1886

6段目
古之時,人之害多矣。
古代には人々にとっての害が多かった。
有聖人者立,然後教之以相生養之道。
そのため、智徳の最高にすぐれた聖人が帝位について継承して人を治めるということがなされ、それから後にこれを人に教えるのに、人々が互いに助け合って生き養う道を自らが行うことを示したのである。
為之君,為之師,
そして人民の君主となって治め、人民の師となって教えまず文明をもたらしたのである。
驅其蟲蛇禽獸,而處之中土。
先に述べた四分類からはみ出した人民を苦しめる盗賊を虫や蛇、鳥や獣を追いなくした。国土の中央を中原として豊かにすることで害のない処としたのだ。
寒,然後為之衣。飢,然後為之食。
まず寒さについて、即位後武具よりもはじめて衣服作りを優先させ、飢えにたしてはその後に武器生産より食糧生産を挙げることで食を成立させたのである。
木處而顛,土處而病也,然後為之宮室。
それまで木の上に棲んで落ちるものがおおく、土の穴(ヤオトン)に住んでいるため病気も発生した、だから帝位について後に人民の家を造りを進めたのである。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-9>U中唐詩581 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1890

為之工,以贍其器用。
人民のための工業職をつくって、それでもって人々の器物を作り作業が十分にできるようにした。
為之賈,以通其有無。
その生活の不足を補うために商業、商店を作って、それでもって物資を有るところから無い所に運び商売をさせた。
為之醫藥,以濟其夭死。
人民のための医者や薬材を造くらせ、それでもって若か死することの治療にたいしてと、老死を少しでも救う手だてを作った。
為之葬埋祭祀,以長其恩愛。
人民のための死者の埋葬の礼法や祭りの儀式をつくって、それでもって、彼らの死者や先祖にたいして慈恩精神や、愛する心を増すこととなったのだ。
為之禮,以次其先後。
彼らの身分制度、社会制度を道徳形式をつくり定めることでもって、彼らの身分の後先順序、社会秩序を整えたのである。
為之樂,以宣其?鬱。
人民のための音楽を作って情操教育とし、それでもって彼らの沈みふさがった心をのびのびと発散させるものとしたのだ。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-10>U中唐詩582 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1894

為之政,以率其怠倦。
人民のための施政を行う指針の政策を作った。それにより、飽きたり、厭になったり、なまけたりしている人民の心を引き立て、持ち直すようにしたのである。
為之刑,以鋤其強梗。
更に進めて、彼らのために刑罰を作った。それでもって横暴や暴力で邪魔をする者を鋤き取ったのである。
相欺也,為之符璽斗斛權衡以信之。
人民同士で互いに欺き合うという場合のことも考えた。彼らのために割符や印判、一斗、一斛(石)の枡や計量器を作って、それでもって誤魔化しや偽りがないように取り決めと取締りをしたのだ。
相奪也,為之城郭甲兵以守之。
また互いに争いごとや奪い合うときのことにもたいしょした。人民のために、城壁や外城壁をつくりそのなかであんぜんにくらせるようにし、、鎧や武器を作って、軍隊として整備して人民生活を守ったのである。
害至而為之備,患生而為之防。
敵よる害、災害などがの予防策もした。まず、考えられる諸災害の備えをすることをし、新たな外患、内患が生じたら、ただちにその防禦の方法を作り出したのである。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-11>U中唐詩583 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1898

7段目
今其言曰:「聖人不死,大盜不止。
今、老荘の言説にいう、「聖人が死に去らなければ、世に大盗賊はやまない。聖人が智を用いると、その智を悪用して、天下の民をあざむき盗むものが出るからである。
剖斗折衡,而民不爭。」
また桝を破り、はかりのさおを折ってしまえば、分量を計り較べることができないのである。そうすれば人民は利を争わなくなるというものだ。」と。
嗚呼!其亦不思而已矣!
ああ、このことはかれらは物の理を思わないからこそ、このようなことをいうのである。
如古之無聖人,人之類滅久矣。
もし古代に聖人がいなかったら、人類は生活できずに、滅亡していて久しくなることであっただろう。
何也?無羽毛鱗介以居寒熱也,無爪牙以爭食也。
それは何故なのだろうか。それは、人類には羽や毛皮や、うろこや貝殻などの、寒熱の地に居るための防護のすべがないということからである。また爪やきばなど、それをもって食物を争い取る武器を動物のように具えていないのである。ということで、生活の技術を教えてくれなければ、人類は死滅するよりほかなかった。
原道  韓愈 (韓退之)<115-12>U中唐詩584 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1902





8段目
是故君者,出令者也。
このゆえに、君主というものが必要で、人間社会には政治・施政が必要な事あるのだ。そして、君主は政治・施政のために命令を出さなければいけない者であるのだ。
臣者,行君之令而致之民者也。
そしてそれの実現のためには臣下が必要で、臣下は君主の命令を行って、これを人民に施すもの、及ぼす者であるのだ。
民者,出粟米麻絲,作器皿,
人民は穀物・米・麻・生糸を生産し、供出するし、器物や皿など日常生活用品を生産するのである。
通貨財,以事其上者也。
こうして、物資や貨幣、財宝というものが生じてくると、この生産物や労働力、兵役を負担することでもって君主に仕えるということになるのである。
君不出令,則失其所以為君。
君主がその施政職務のための命令を出すことをしなければ、それは君主たる理由を失うもので君主であり続けることはできないのである。
原道  韓愈<115-13>U中唐詩585 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1906

臣不行君之令而致之民,則失其所以為臣。
臣下は君主の命令を実行して、これを人民に施し、及ぼすことができなければ、臣下の臣下たる存在理由がなくなるわけであり、その地位を失うことになるのだ。
民不出粟米麻絲,作器皿,
人民は穀物・米・麻・生糸を生産し、供出するし、器物や皿など日常生活用品を生産し、
通貨財,以事其上,則誅。
物資や貨幣、財宝というもの、この生産物や労働力、兵役を負担することでもって、君主に仕えるということをしなければ、罪によって殺されることになるのである。
今其法曰:「必棄而君臣,
ところが、儒者以外の老荘・仏教者の道ではこういう、「まずはじめに、あなたの主従、君臣の関係を破棄解消を必ずすることだ。」
去而父子,禁而相生養之道。」
そして、「あなたの親子関係にたいして道から離脱し、互助して生き養う生活のあり方を禁じるのである。」と。
原道  韓愈 (韓退之)<115-14>U中唐詩586 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1910

以求其所謂清淨寂滅者。
それでもって老荘のいう所の無欲で汚れがない清浄、、仏者のいう所の煩悩を去って寂かに、生死の業苦を滅することを求めて涅槃にはいる寂滅、これらをそれぞれをもとめるところとしている。」と。
嗚呼!其亦幸而出於三代之後,
ああ、これは道理に合わぬことなのに、幸いに夏・殷・周三代の後に出た思想なのだ。
不見黜於禹、湯、文、武、周公、孔子也。
だから、夏の禹王・殿の湯王・周の文王・武王・周公且や孔子に退けられなかっただけのことなのである。
其亦不幸而不出於三代之前,
そのことは、また別の言い方をすれば、三代の前に出なかったことは不幸なことなのだ。
不見正於禹、湯、文、武、周公、孔子也。
なぜなら、禹・湯・文・武・周公・孔子にその誤りを正されなかったということなのである。それだからこそ、今の世に、平気で誤った説を述べつづけているわけである。
原道  韓愈 (韓退之) <#15>U中唐詩587 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1914

9段目
帝之與王,其號名殊,其所以為聖一也。
帝というものを王と比較してみる。よびかたにおいてはそれぞれ違っている。しかし、その聡明さ、至徳の聖人であることは同一なのである。
夏葛而冬裘,?飲而飢食,其事殊,
そのことは夏は葛の繊維で織った衣をつけ涼しくし、冬は毛衣を着てあたたかくする、またのどが渇けば水を飲むし、腹がすけば飯を食うということなのだ。
其所以為智一也。
夏と冬、飲むと喰う、それぞれすることはちがっていても、それが生活上の工夫や智恵(なくてはならないもの)であるわけは同一である。
今其言曰:「曷不為太古之無事?」
ところがいま、老子の言説ではいう、「どうして人々は太古の時代の無為自然、何も心身をわずらわすことの無い、自然に同化した為すがままの生活をしないのか」と。
是亦責冬之裘者曰:「曷不為葛之之易也?」
これもまた、冬に毛衣を着るのを責めて、「なぜ葛の衣を着る自然のままの暮らしをしないのか」というのである。
責飢之食者曰:「曷不為飲之之易也。」
腹の空いている者が飯を食うのを責めて、「なぜ水を飲むという容易なことをしないで、わざわざ苦労して飯を食うのか」というのと同じである。
*老荘家は、安易素朴を旨とし、実生活の必要から人智の考え出した生活文化を排斥し、隠遁し、自然の塵の一つになるという、仙人になるを良しとする主張をするのである。自然に生きることで仙人になるといい。智慧による生活の改善、文化向上を嫌うものである。
原道  韓愈 (韓退之) <115-16>U中唐詩 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1918 

10段目
傳曰:「古之欲明明コ於天下者,先治其國。
古人の言説を伝えた書『礼記』大学篇にいう、「古人の中で、人間の光輝ある徳性を天下に明らかに示して施政、教化しょうとする者は、先ずその諸侯としての国を治めるものでなくてはならない。
欲治其國者,先齊其家。
自分の国を治めようとする諸侯は、まずその家族を過不及なく整え治めるものでなければならない。
欲齊其家者,先修其身。
そして、自分の家族を整え治めようと思う者は、まず自分の身の行いを善くするのである。
欲修其身者,先正其心。
わが身の行いを善くしようと思うものは、まず自分の心の判断を正しく安定させることにある。
欲正其心者,先誠其意。」
自分の心を安定し正しくしようと思う者は、先ずその心の動きを誠実にすること、そのことが真実にてらすことで矛盾のないものであることである。」と。
原道  韓愈 (韓退之) <115-17>U中唐詩 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1929

然則古之所謂正心而誠意者,將以有為也。
自分自身に誠実であるならば、古人のいうところの心を正しくし目的意識を誠実にすることにより、窮極において、天下国家にたいして教化を為すということになるのである。
今也欲治其心,而外天下國家,
ところがいま、老荘思想、仏教思想においては、それを心の問題として、その心を治めようとしているのだ、だから天下国家についての考えは論の外においているのだ。
滅其天常;子焉而不父其父,
人間が天然に持って生まれ、どこでも、いつでも妥当な道徳性の五常と五倫、すなわち君臣の義、父子の親、夫婦の一別、長幼の序、朋友の信などの道を滅ぼし棄て、家を出、国を捨て、家業をやめて出家して山にはいる。そして、子が自分の父を父として孝行,扶養しないで捨て去るのである。
臣焉而不君其君,民焉而不事其事。
それが、臣下でありながら自分の君主を君主として忠節を尽くすことを放棄し、人民でありながら、自分の仕事を仕事として努力しない、人民としての義務を果たさない考えが支配するようになるということなのだ。
原道  韓愈 (韓退之)<115-18>U中唐詩590 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1934

11段目
孔子之作春秋也,諸侯用夷禮,
孔子が大義名分を明らかにして、『春秋』を著し歴史を作った。諸侯が真の礼ではなく異民族の礼を用いた場合は、これを異民族として扱うものである。
則夷之,進於中國,則中國之。
中国は進歩して、夷狄のものが中国の礼を用いた場合には、これを中国の諸侯なみに扱って記述している。
經曰:「夷狄之有君,不如諸夏之亡!」
「経」聖人の教えの書である『論語』八?篇に、「東夷や北狄の未開な国は、その国の君主が具わっていても、文化道徳が劣っているために、わが中国の諸侯の中で君がなくて乱れているのにも及ばない。」といっている。
君主のない国でも、礼楽制度が行われているので、社会は維持されているからである」とある。
詩曰:「戎狄是膺,荊舒是懲。」
『詩経』にいう、「未開で中国を侵す戎狄こそは撃ち、剤蛮や紆国の未開の民こそは懲らしめる」とある。
今之舉夷狄之法,而加之先王之教之上,
中国は周囲の異民族より高い文化を誇りとしていたものである。ところが今や、えびすの道、仏法すなわち印度の仏教を取り挙げて、これをわが先王以来の教えにもとづく儒教の上に置き、これを尊ぶのである。
幾何其不胥而為夷也!
今後いくばくの間、いったい相連れ立って皆が夷狄の文化にならないでおられるだろうか。(このままでは、まもなく中国本来の文化は失われるであろう。)
#19

12段目
#1
夫所謂先王之教者,何也?
それでは、いったい謂うところの中國古来の先王の教えとは何であるか。
博愛之謂仁,行而宜之之謂義,
博く徳を以て愛する、これを仁といい、徳を以て行って宜しくする、これを義という。
由是而之焉之謂道,足乎己無待於外之謂コ。
それをそれを一つ一つ重ね通って行くのを、これを道といい、自分に十分に持っていて、外から与えられるのを待たない人間のもっている性、これを徳というのである。
其文,詩書易春秋;
その教えの書かれた文書が、『詩経』『書経』『易経』『春秋』である。
其法,禮樂刑政;
その従うべきもの法としては、身分規定のもとである「礼」や人間感情の和合の作用をする「音楽」、悪人を処分する「刑罰」や人民を統率する「政治・施政」である。 
其民,士農工賈;
その人民の範疇としては、士・農・工・商の四民である。
其位,君臣父子師友賓主昆弟夫婦;
それから、社会の地位は、君と臣、父と子、師と友、客と主人、兄と弟、夫と妻など、脱離できない人間関係、社会的立場、身分の貴賤が定ま目書かれているのである。
#20

其服,麻絲;
またその衣服は、道服や僧衣のような特異なものではなく、麻とか生糸で織り普通の衣服なのだ。
其居,宮室;
その住居は、仏寺や道院などの人里離れた所でなくて、城郭の宮殿のおそばの普通の家屋に住む。
其食,粟米果蔬魚肉:
また、その食物は、粟米や野菜果物、魚や獣肉などを普通にたべるのである。
其為道易明,而其為教易行也。
だから、修行ということで、仙人食の松の葉や霞などでもなく、僧のように精進料理に限るわけでもないものなのである。そして、その道というものは日常生活の人のあり方であるからわかりやすく、その教えは行いやすいというものである。
是故以之為己,則順而祥;
このように、先王の道をもって自分の身を修めるというものであるから、道理にかなっており、幸いを得られるものなのだ。
以之為人,則愛而公;
これが儒教であり、これをもって人を治めるならば、愛情深く公平にすることができるのである。
以之為心,則和而平;
これをもって人の心を修めるならば、穏やかに平等でありうるのである。
以之為天下國家,無所處而不當。
この儒教精神でもって天下国家を治めていくことなのであり、そうすればいかなることも対処でき、これほど適格・適切にできることはないということなのだ。
是故生則得其情,死則盡其常;
このゆえに、人々はこの先王の道によって、生きているときには、人情・感情・心情に適宜であり、死者に対しても、世間の定まった儀礼を十分におこなうものとなるのである。
郊焉而天神假,廟焉而人鬼饗。
天子が冬至に都城の南郊で天を祭る行いは、天神がその仁徳を喜び、讃えて祭壇に至るものであり、祖先の御廟に向かっては、人間の霊魂は、先祖を敬うことを受けて、喜んでその供物を食するものである。
#21

13段目 -#1
曰:「斯道也,何道也?」
わたしは自問自答をしてみる「この道とは何の道であるか」と問いかける。
曰:「斯吾所謂道也,非向所謂老與佛之道也。」
答えていう、「これは私のいうところの人間の在り方であります。さきに述べた黄老・老荘の道と仏教の道などではないのです。」
堯以是傳之舜,舜以是傳之禹,
「先王の堯帝はこれを舜帝に伝え、舜帝はこれを夏の禹王に伝えたのです。」
禹以是傳之湯,湯以是傳之文武周公,
そして「禹王は、この道を殷の湯王に伝え、湯王はこれを周の文王・武王・周公且に伝えました。」
文武周公傳之孔子,孔子傳之孟軻。
さらに「文・武・周公はこれを孔子に伝え、孔子はこれを孟子に伝えました。」
#22

軻之死,不得其傳焉。
孟子が死んだあとは、其の道を伝え得ないで終わった。
荀與揚也,擇焉而不精,語焉而不詳。
その後、戦国の荀子と漢の揚雄とは、儒家の道を異端の説と区別して択び取るのに精密でないし、またその論述も詳細でなく、そざつであるとしかいいようがないために、先王の儒学の道が明確でなくなったのである。
由周公而上,上而為君,故其事行;
それに周公より以前の先王は、民の上にいて君主であった。それ故その儒教の道を政治の上の仕事に実施したのである。
由周公而下,下而為臣,故其?長。
ところが周公より後世の、孔子・孟子その他の人々については、身分が下で臣下であった。それゆえこれを政事・施政として行えなかったが、その學説は書物に記述することができ、長く後世に伝えられるところとなったのである」と。
#23

14段目【最終】
然則如之何而可也?
それならは何をどうしたらよいのか
曰:「不塞不流,不止不行。
私は結論をいう、「老荘、仏教の思想を塞がなければ、先王の道は流れ広がらないということである。
人其人,火其書,廬其居,
この異端の思想をひとが止めなければ、わが儒教の道は行われない。そこで僧や道士を普通の民に戻すことである。それらの書物を焚き捨て、その修行場である隔離された寺院や道観から一般の普通の宿舎に住まわせることである。
明先王之道以道之,鰥寡孤獨廢疾者,
先王の道徳を明らかにし、そしてこれらの道を教え導くこと、やもめ、後家、親の無い子、子のない親、不治の病人・肢体不自由な人たちに目を向けることである。
有養也,其亦庶乎其可也。」
それはその者たちの生活が保護されなければいけないのだ。そういったことであればそれでよいということに近いというものだ。」と。
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