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時代の変遷・概略 漢詩理解のための時代の解説一覧
 中国の時代と詩人のたち
上代から漢の詩人
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から三国、隋の詩人
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  ・初唐の詩人たち
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  ・盛唐の詩人たち
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  ・晩唐の詩人たち
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 宋代から近代詩人

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 李 白 楊貴妃を詠う
  李白 王昭君 二首
  白楽天 楊貴妃を詠う
 白楽天王昭君を詠う二首


 四大美女の詩



















海棠花


























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宮妓
皇帝の後宮に所属する。罪人として籍没された女性や外国や諸侯、民間から献上されていた女性が中心であった。后妃とは別に、後宮に置かれ、後宮での業務を行ったり、技芸を学び、皇帝を楽しませた。教坊で技芸を習得した女性もこれに含まれる。趙飛燕や上官婉児などのように后妃に取り立てられるものもいた。

家妓
高官や貴族、商人の家に置かれ、家長の妾姫となった。主人だけではなく、客を歓待する席でも技芸により、これをもてなす役目があった。官妓から、臣下に下賜されて家妓になるものもいた。始皇帝の母にあたる呂不韋の愛人や、西晋の石崇の愛妾である緑珠が有名。

営妓
軍隊の管轄に置かれ、軍営に所属する官人や将兵をその技芸で楽しませた。唐代に節度使が設置されてから盛んに文献に残っているが、宋代以降はその役割は小さくなっていった。唐代女流詩人の薛濤が有名。

官妓
中央政府の教坊や州府の管轄に置かれた。実際は、妓楼や酒楼は個別に運営されており、唐代・長安の北里、明代・南京の旧院は、その代表的な色町である。唐代の天宝年間以降に彼女らを題材にして、多くの士大夫が詩文にうたい、妓女となじんだという記録が盛んになる。明代までその活動は大きなものであった。唐代女流詩人の魚玄機、明代の陳円円、李香君、柳如是が有名。

民妓
民営の妓楼に所属した。売春だけを目的とした女性も含まれる。明代以降、官妓が衰退した後、大きな役割を果たすようになった。清代は上海に多くの民妓がいた。宋代の李師師が有名。




薛濤 せつとう の詩

 ほんの少し前まで女性の美徳は奥ゆかしさ、謙譲美、良妻賢母など自分の意思を出さず、その賢さを内に向けたものが理想とされてきました。

 女性が世に出て、自己の表現できるのは特殊な女性であった。皇族、支配者の家族、などとともに芸妓を持った女性だけでした。

 薛濤は杜甫、王維らが歿する頃生まれた人です。この時代までは、容姿と芸に秀でていることが最大の価値で戦の戦利、金銭などにより、やり取りされた。もっとも、奴隷制時代だから女性だけが売買の対象ではない。


 春望詞 其一柳絮 酬人雨後玩竹  海棠渓   送友人


 まったく違う詩の世界です。


春望詞 其一

 花開不同賞、花落不同悲。

 欲問相思處、花開花落時。


 春を望む 其の壱    
 花が咲く時あなたと一緒に楽しめず、花が散る時あなたと一緒に悲しめず。
 あなたと思いを共にできるところはどこにあるのでしょうか、それは花が開くときですか花が散るときですか。

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薛濤(せつとう)は768年うまれ 831年歿した。中国・中唐代の宮妓・詩人、魚玄機とならび詩妓の双璧と称される。

 字は洪度または宏度。長安の良家に生まれたが、父が地方官として赴任するのに伴われて、蜀(四川省成都)へゆき、そこで父を失い妓女となった。節度使韋皐(いこう)に愛され、召されて宴会で詩をつくり、女校書(じょこうしょ)と称された。

 浣花渓にいて、白居易、元槇、牛僧孺、令狐楚、張籍、杜牧、劉禹錫など多くの詩人たちとと唱和し、名妓として知られた。なかでも元槇と親しかった。

 彼女が作った深紅の小彩がついた詩箋(色紙のようなもの)は、当時「薛濤箋」として持てはやされた。

 王羲之の書法を学んだ書家としても認められ、その一片は宋の宮廷に秘蔵されていたという。晩年は碧溪房に居住し、吟詩楼を建てた。段文昌の墓誌が残されている。



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送友人

水国蒹葭夜有霜、月寒山色共蒼蒼。

誰言千里自今夕、離夢杳如関塞長。 


水国の蒹葭 夜 霜有り
月寒く 山色も共に蒼蒼たり
誰か言う 千里 今夕よりし  
離夢 杳如として 関塞長し










海棠渓 

春教風景駐仙霞、水面魚身総帯花。

人世不思霊卉異、競将紅纈染軽沙。


春は風景をして仙霞を駐(とど)めしめ
水面の魚身総て花を帯ぶ
人世(じんせい)思わず霊卉(れいき)の異(い)を
競って紅纈を将(も)って軽沙を染む


春の神様は、風と光に、谷いっぱいの花がすみを送り届けさせたもうた。 清らかな谷川の水に映る花影、泳ぐ魚はまるで花模様を帯びたかのよう。 世間では、この海棠の霊妙なわざに気がつきもせず、競って赤いしぼりを河原の砂の上に干している。

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柳絮  酬人雨後玩竹


酬人雨後玩竹

南天春雨時、那鑒雪霜姿。

衆類亦云茂、虚心能自持。

多留晉賢醉、早伴舜妃悲。

晩歳君能賞、蒼蒼勁節奇。


人の雨後竹を玩ずに酬ゆ   <薛 濤>
南天 春雨の時
那んぞ 雪霜の 姿を鑒わん
衆類 亦て云茂するに
虚心 能く自ら持す
多く 晉賢の 醉を留め
早に 舜妃の 悲しみに伴う
晩歳 君能く賞せよ
蒼蒼 勁節の奇なるを
 

○鑒 鑑に同じ。みきわめる。考える。 ○衆類 あらゆる植物  ○云茂 云は物の多く盛んなさま。盛んに繁る。  ○晉賢醉 中国晋代に世俗を避け竹林に集まり酒を飲み清談にふけったといわれる7人を「竹林の七賢」といった。仙人願望の始まり。  ○舜妃悲 帝王堯(ぎょう)のふたりの娘が舜の妃となっていたが 舜が死んだ巡行先に到り悲しんで泣いた涙が湘水(しょうすい)のほとりの竹に斑紋をつけたという伝説  ○晩歳 歳暮。冬になったらの意味。○勁節  強い節 節があって強く積雪などに折れないかたい節操にも掛けている

 南の空から春雨(はるさめ)が落ちてくる温暖なときには、竹が冬のはげしい雪や霜にたえている強い姿は、とても想像できません。

 あらゆる植物が盛んに繁ってその旺盛な活力を誇っているときに、竹だけはあの中味を空にして満たさず、なんの私心もなく、自分の生き方を守っています。

 竹林は晋の賢者たちが、そのなかでこのんで酒もりをしたという風流な伝説を思い出させます。また、舜帝のふたりの妃が、帝の死を悲しんで泣いたとき、その涙の跡が湘水のほとりの竹の斑紋となったという、語り伝えもあります。

 竹には、なかなか味のある話がありますが、あなたに愛していただきたいのは、年の暮れになって、ほかの植物がみなしぼんだりしているのをよそに、青々とした色を見せて雪霜のなかに強く生きている、そのような竹の姿です。いかがでしょう、そうお思いになりませんか。


 この詩の構造は平起こり五言律詩。
上平声四支(し)韻の時、姿、持、悲、奇の字が使われている。なお、現存の薛濤の詩のうち、大半が絶句で五言律詩はこれ一首だけである。

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柳絮(りゅうじょ)

二月楊花軽復微、春風揺蕩惹人衣。

他家本是無情物、一向南飛又北飛。


二月の楊花は軽復た微
春風は淫蕩にして人衣を惹く
他家(たか)本(もと)是(これ)無情の物
一向に南に飛び又北に飛ぶ



    

  

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