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晩唐の詩人

355 李商隱の詩



  このページは 「李商隠」 漢詩
頁先頭 1.夜雨寄北Yau-kihoku 2.嫦娥Joga 3.漢宮詞Kangushi 4.登樂遊原
Touranyugen 5.錦瑟Kinhitsu 6.瑤池Yochi


1.夜雨寄北 李商隱 
 中国では、左遷された人がいい詩を残します。不遇であればあったほうがいい詩を残している。

貧乏のほうがいい詩をのこす。

たくさん詩人はいるが、絶頂の時いい詩を残した詩人は皆無ではないか。

「俺はこんなにすごいだろう」というのは中国人にはない思想である。


 李商隱の生きた9世紀は儒教と道教が盛んであり、仏教もともに根強いものがあった。どちらも戒律を大
切にし、国は世界の真ん中にあり、す素晴らしいものであり、国に忠誠を尽くし、個人はつつましく謙虚に生き
るというのを基本にした。このことを歴代の王朝は政治的に利用し、国の宗教としたのである。

 李商隠の時代は晩唐、安史の乱以降朝廷の威光は薄くなっていたが、貴族時代は依然続いている。上
流階級は圧倒的に地縁血縁、氏素性が一番大切なものとした。

 文系、軍系とはず、祖先を継承していく人たちが、朝廷の中、地方都市の出先機関でもその傾向は強か
った。能力のあるものを採用するための科挙試験も一定程度の家柄がないとなかなか受かりはしない。官僚
は必ず派閥に属し、試験に受験する段階から、どこかに属していないと役割そのものがないのである。

 権力闘争で、敗れた派閥は、左遷、流刑、死罪となる。影響力の少ないほど左遷のほうになり、強ければ
蘇東坡のように海南島など遠島に島流しされている。

李商隱 りしょういん 唐:晩唐は827〜906年
李商隱は晩唐の詩人
813−858 字を義山。号を玉谿先生。懐州河内の人。
 この詩は李商隱37歳のときの作品。都長安にいる妻が蜀(四川省)の国に出かけた夫李商隱の送った詩、妻の立場で書いている。李商隠は47歳で没している。
  夜雨寄北
君問歸期未有期、巴山夜雨漲秋池。
何當共剪西窗燭、卻話巴山夜雨時。


 あなたは いつ帰ってくるのでしょうか、いつ帰れるかわからないのでしょ、

      巴山の夜雨はよく降って池の水もあふれかえる

          (さびしい夜を溢れかえるほど過ごす)

いつになるの?いっしょに西の窓辺の灯心を切る(夜長を過ごせる)のを

         いつ話しくれるの? 巴山の夜雨のこと(昔話として)を
 中国、漢詩では、自分がこう思うとか、自分がさびしい、という直接的な表現をしないのが通常です。
 「きっとこう思ってくれている」という表現ほうが強調されるということもありますが、そういう直接的表現は野暮ったいとされています。この詩も妻の口を借りてその寂しさを詠っています。
夜雨寄北
君問歸期未有期、巴山夜雨漲秋池。
何當共剪西窗燭、卻話巴山夜雨時。
夜雨北に寄す
君帰期を問うも 未だ期有らず
巴山の夜雨 秋池に漲(みなぎ)る
何(いつ)か当に共に西窓の燭を剪(き)りて
却(かえ)って巴山夜雨の時を話(かたる)るべき
 妻の口を借りると一層さびしが募るからです。高適の「除夜作」でも故郷できっと自分のことを思ってくれていると表現します。王維の九月九日憶山東兄弟でも同様な表現をしています。

 この技巧的表現法は唐宋時代では受け入れられており、高い評価を受けていた。
 確かに表現として寂しい状況はあらわされていると思います。
 寂しい雨の量が池いっぱいになって溢れるほどだと。この詩の作地は四川省成都です。当時4,5万人の大都市です。初夏と秋には夜になると雨が降るのが特徴で、多くの詩に夜の雨といえば蜀=成都の雨と詠われます。
 しかし、私にはこの表現法はよくわかるけど、なにか心が伝わってこない。本当に妻にさびしさを訴えているのか、若い芸妓に今自分は寂しいからと口説きのための詩のように思えてならない。
 なぜそう思うかといえば、通常は絶句構成4句のうち一句のみで人の口を借りるものです。こんなにはじめっから最後までというのは、私にはいいとは思えません。

 誠実さに欠けると感じるからです。(芸妓と夜雨の長い夜を過ごして、造られた詩のように感じる。私だけだろうか)
 誠実さの世界的代表者といえば、杜甫です。次が王維でしょう。漢文委員会は誠実さを基本としていま
す。
 そして、この技巧的な表現に革命を起こしたのは杜甫です。この「野暮ったい田舎のおっさん」(註)の表現は
当時世の中はなかなか受け入れられませんでした。杜甫の詩と比べてみてください。杜甫の詩は初めの句で
あたり全般、世の中のこと、あるいは「夜雨が町全体に降っている」からはじまって、段々庭や部屋の状況場
面に移り、そうして「自分は今こう思うのだ」とか、「これからこうなるのだ」と詠いあげました。心の叫びをぶっつ
けました。 (註) かなり長いこと杜甫の表現は宮廷詩人の間では野暮ったいと思われていた。



  このページは 「李商隠」 漢詩紹介のページです。
頁先頭 1.夜雨寄北Yau-kihoku 2.嫦娥Joga 3.漢宮詞Kangushi 4.登樂遊原Touranyugen 5.錦瑟Kinhitsu 6.瑤池Yochi


李商隠 813−858懐州河内(河南)の出身。字は義山、号は玉渓子。令孤楚に見出されて837年24歳で進士科に及第し、た。牛僧儒と李徳裕令の死後は李党の王茂元の娘を娶ったことで牛党に変節を憎悪され、小官の歴任と罷免に終始して官界では不遇だった。早くから詩人として知られ、自然に情緒を託した詩を好んだが、故事熟語を多用した技巧重視の難解なものが多く、晩唐の詩風の代表者と称される。作詩に際しては周囲に古典資料を並べたため、魚を並べるカワウソに喩えて“獺祭魚”と呼ばれた。

 『古今説海』収録の『雑纂』は日本文学に影響を与え、特に『枕草子』の文学的形式成立の重要な契機となった。
 李商隠の詩風は北宋前期に“西崑体”と称され、楊億・銭惟演・丁謂らによって『西崑酬唱集』が編まれるなど一世を風靡したが、多くは詩句の外形的な模倣にすぎず、華美晦渋な作品が多い。

   中国では、かぐや姫のことを不老不死の薬を飲んだ後、月で暮らすようになったという伝説上の仙女として「嫦娥」ととも「常羲」とも呼ばれている。
2.嫦娥  李商隠


雲母の屏風、燭影沈む。
長河漸く落ちて、暁星沈む。
嫦娥は応に悔ゆるべし、霊薬を偸みしを、
碧海、青天夜夜の心

 嫦娥とは、夫のもらった不老不死の霊薬を盗み
去って月に逃げ去り、月の女神となった女性の
事。
月は、女性的で、また、満ち欠けしながらも常に
空に輝き続けるので、古来中国で永遠のシンボ
ルとなっており、そこからこのような伝説がうまれ
た。
この詩は、李商隱が裏切られた愛を、この伝説に
託した詩である。故事を詩にする、李商隠独特
の世界観です。
 不老不死の体となってしまった為に、月世界で
孤独感をかこつ事となってしまった。嫦娥は人間
世界に戻ったとしても、永遠の命をもつが故に、
孤独に光り続けるのです。
 永遠の媚薬を手にしたこと、しかしそれは永遠に
孤独で光り続けること、寂しさを詠う詩です。
(この詩もなぜか心が伝わらない)
     嫦娥

雲母屏風燭影深、長
河漸落暁星沈。


嫦娥応悔偸霊薬、碧
海青天夜夜心。



 雲母を張り詰めた屏風にはろうそくの影が
深々と映り、一人寂しい夜を過ごしている。何時の間に
か夜も白み、天の川も傾き、明の明星も沈んでしまっ
た。このような寂しい夜を過ごしながら月の女神である
嫦娥は、不老不死の霊薬を盗み去ってしまった事を後
悔しているだろう。彼女は、青い海原にも似た夜空を毎
夜、さむざむとした気持ちで眺めているのではないだろう
か?)
 


3.漢宮詞  李商隱
七言絶句。囘・臺・杯(平声灰韻)。

青雀西飛竟未囘、君王長在集靈臺。
侍臣最有相如渇、不賜金莖露一杯。
漢宮詞(かんきゅうし)
青雀 西に飛んで竟(つい)にいまだ回(かえ)らず
君王 長(とこし)えに集霊台にあり
侍臣 もっとも相如(しょうじょ)の渇あれども
金茎の露 一杯を賜(たま)わらず
4.登樂遊原 李商隱

登樂遊原

向晩意不適、驅車登古原。
夕陽無限好、只是近黄昏。

樂遊原に 登る
夕暮れ時、気分がすっきりとしない、車を駆って樂遊原に登る。
夕日は限りなくすばらしいが、程なく黄昏になる。

            
向晩意不適:

夕暮れ時、気分がすっきりとしない。

 ・向晩:夕方。暮れ方。名詞。 ・意:思い。心。気分。 ・不適:調子がわるい。具合が悪い。不快感がある。かなわない。


驅車登古原:

車を駆って樂遊原に登る。

 ・驅車:車を駆って。馬車に乗って。馬車を出して。 ・古原:由緒ある古くからの原。ここでは長安の東南にあって、長安を眺め渡すことができる景勝地のことになる。 ・夕陽:夕日。 ・無限好:(白話か)限りなくよい。「好」は、「良」「佳」「善」「美」…等とは意味が違う。「好」は、似合って形の良いことをはじめとして、口語では広く使われることば。「良」は、悪(あく)ではなくて、善良なこと、という具合に使い分けが儼然としている。


夕陽無限好:

夕日は限りなくすばらしい(が)。


只是近黄昏:

(夕日が限りなく麗しい)が、程なくたそがれになり、(その美しい姿も見えなくなる)。

 ・只是:ただ…ではあるが(しかし)。ただし。だが。 ・近黄昏:たそがれに近い。間もなくたそがれになる。



晩(くれ)に向(なんな)んとして  意(こころ) 適(かな)はず,

車を驅(か)りて  古原に登る。

夕陽  無限に好し,

只だ是れ  黄昏に近し。






5.錦瑟  李商隱
錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
此情可待成追憶、只是當時已惘然。

(夫婦仲の良いことをいう琴瑟の片方で、かつて妻が奏でた)立派な瑟(おおごと)がわけもなく(悲しげな音色を出す)五十弦の。 
一本の絃(げん)、一つの琴柱(ことじ)を(見るにつけ)、若く華やいでいた年頃を思い起こさせる。
荘周(さうしう:そうしゅう=荘子)が夢で、蝶(ちょう)になり、自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのか、と迷い。(そのように、あなたの生死について迷い)。
蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
青い海に月が明るく照らして、人魚は(月の精ともいうべき)真珠の涙をこぼして。曾て、真珠は海中の蚌(はまぐり)から生まれるものと思われた。また蚌(はまぐり)は月と感応しあって、月が満ちれば真珠が円くなり、月が缺ければ真珠も缺けると思われた。また、中秋の名月の時期になると、蚌は水面に浮かび、口を開いて月光を浴び、月光に感応して真珠が出来るとされた。
(作者の妻が葬られた近辺の)藍田山(らんでんさん)に日(ひ)が暖かに射して、藍田に産する玉(=妻の容貌)が靄(もや)を生(しょう)じているように、朧(おぼろ)に輝いてくる。
わたしのこの(哀しみの)心情は、(時間が経過して)当時のことを追憶とする今となってのみ、可能なことだったのだろうか(いや、違う。その当時からすでにあったのだ)。

それはあなたが亡くなった当時から、已(すで)に気落ちしてぼんやりとしていたのだ。



錦瑟:立派な瑟(おおごと)。夫婦仲の良いことをいう琴瑟の片方で、かつて妻が奏でた瑟(おおごと)に感じて詠う。悼亡詩であり、また、官途で不遇を託(かこ)ったことを追憶しての詩である。


錦瑟無端五十弦:
(夫婦仲の良いことをいう琴瑟の片方で、かつて妻が奏でた)立派な瑟(おおごと)がわけもなく(悲しげな音色を出す)五十弦の。 
・無端:何の原因もなく。ゆえなく。わけもなく。端(はし)無く。これというきざしもなく。思いがけなく。はからずも。唐・賈島に『渡桑乾』「客舍并州已十霜,歸心日夜憶咸陽。無端更渡桑乾河水,卻望并州是故ク。」とある。 ・五十弦:古代の瑟は五十弦であったが、後に二十五弦と改められたと、琴瑟の起源とともに伝えられている。『史記・封禪書』「或曰:『太帝使素女鼓五十弦瑟,悲,帝禁不止,故破其瑟爲二十五弦。』」とある。作者は大中五年(851年)には妻の王氏を喪っており、その後作者自身が亡くなるまでの七年間のうちにこの詩を作ったことになる。

一弦一柱思華年:
一本の絃(げん)、一つの琴柱(ことじ)を(見るにつけ)、若く華やいでいた年頃を思い起こさせる。 *作者は五十歳を前にした満四十七歳で亡くなっており、詩を作った当時の年齢である「五十歳」に近づいた感慨を、古琴の「五十弦」に重ねていよう。 ・柱:ことじ。琴箏の胴の上に立てて弦を支え、その位置を変えて音調の高低を調節し、発する音を共鳴胴に伝えるための具。 ・華年:若く華やいでいた年頃。少年。

莊生曉夢迷蝴蝶:
荘周(さうしう:そうしゅう=荘子)が夢で、蝶(ちょう)になり、自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのか、と迷い。(そのように、あなたの生死について迷い)。 ・莊生:荘周。荘子。 ・迷:自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのかということで迷う。 ・蝴蝶:荘周が夢の中で蝶になり、夢からさめた後、荘周が夢を見て蝶になっているのか、蝶が夢を見て荘周になっているのか、一体どちらなのか迷った。

望帝春心托杜鵑:
蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
 ・望帝:蜀の望帝。蜀の開国伝説によると、周の末に蜀王の杜宇が帝位に即き、望帝と称した。杜宇(望帝)が死ぬとき、ほととぎすが鳴いたとも、その魂がほととぎすになったともいう。 ・春心:春を思う心。春を傷(いた)む心。女性(異性)を思う心。 ・春心托杜鵑:(蜀の望帝が)春を傷(いた)む心は、血を吐きながら悲しげに鳴く杜鵑(ホトトギス)に托す、ということは、作者自身の官途が不遇であって、個人的にも妻を失った悲しみにも耽っているさまをいう。 ・杜鵑:〔とけん〕ほととぎす。血を吐きながら悲しげに鳴くという。

滄海月明珠有涙:
青い海に月が明るく照らして、人魚は(月の精ともいうべき)真珠の涙をこぼして。曾て、真珠は海中の蚌(はまぐり)から生まれるものと思われた。また蚌(はまぐり)は月と感応しあって、月が満ちれば真珠が円くなり、月が缺ければ真珠も缺けると思われた。また、中秋の名月の時期になると、蚌は水面に浮かび、口を開いて月光を浴び、月光に感応して真珠が出来るとされた。
 ・滄海:青い海。青々とした海。大海原。 ・珠:ここでは真珠。「蚌中の月」。 ・有涙:鮫人の涙。南海に住み、水中で機(はた)を織り、泣くときは真珠の涙をこぼすという。

藍田日暖玉生煙:
(作者の妻が葬られた近辺の)藍田山(らんでんさん)に日(ひ)が暖かに射して、藍田に産する玉(=妻の容貌)が靄(もや)を生(しょう)じているように、朧(おぼろ)に輝いてくる。 ・藍田:陝西省藍田県東南にある山の名で、名玉を産する。 ・日暖:(藍田の山に)陽光が射す。 ・生煙:(藍田の山に日が射せば)五色の雲煙が生じて宝気が立ち上るという。瑟の音色の形容でもあり、追憶の情景でもあろう。

此情可待成追憶:
わたしのこの(哀しみの)心情は、(時間が経過して)当時のことを追憶とする今となってのみ、可能なことだったのだろうか(いや、違う。その当時からすでにあったのだ)。
 *此情:この(鬱々とした)心情。 ・可待:何を待とうか。待つまでもないことだ。反語的な語気を含む。

只是當時已惘然:
それはあなたが亡くなった当時から、已(すで)に気落ちしてぼんやりとしていたのだ。
 ・當時:その頃。その時。(妻が亡くなった)その頃。 ・已:とっくに。すでに。 ・惘然:〔ぼうぜん〕気落ちしてぼんやりするさま。
錦瑟きんしつ端無はし なくも  五十弦ご じふげん,
一弦いちげん一柱いっちゅう  華年くゎねんを思う。
莊生さうせいの曉夢げう むは  蝴蝶こ てふに迷い,
望帝ばうていの春心しゅんしんは  杜鵑 と けんに托たくす。
滄海さうかい 月つき 明あきらかにして  珠たまに涙 有り,
藍田らんでん 日ひ 暖かにして  玉たまは煙けむりを生しゃうず。
此この情 追憶と成なるを待つ可べけんや,
只ただ是これ當時より  已すでに惘然ばうぜん。











6.瑤池 李商隱
6.瑤池

瑤池阿母綺窗開、黄竹歌聲動地哀。
八駿日行三萬里、穆王何事不重來。


崑崙(こんろん)山の瑶池(ようち)に住む(不老不死の薬を持つ)女の仙人の西王母(せいお
うぼ)は、綾絹(あやぎぬ)を張った美しい窓を開けると。
(穆王が作った民の苦しみを歌った)『黄竹詩(こうちくし)』の歌声(うたごえ)が地を揺るがせて
響いてきて哀(あわれ)なものだ。
穆王(ぼくおう)は、どうしてなのだろうか、(西王母の許へ)再び来ることはなかった。


瑤池:〔ようち〕
崑崙(こんろん)山にある池の名。西王母(せいおうぼ)が住んでいるところ。西王母とは、女の
仙人で崑崙山に住んで不死の薬を持っている。

瑤池阿母綺窗開:
崑崙(こんろん)山の瑶池(ようち)に住む(不老不死の薬を持つ)女の仙人の西王母(せいお
うぼ)は、綾絹(あやぎぬ)を張った美しい窓を開けると。
 ・阿母:〔あぼ〕お母さん。母親を親しんで呼ぶことば。ここでは、西王母のことになる。 ・綺
窗:〔きさう〕綾絹(あやぎぬ)を張った美しい(女性の部屋の)窓。

黄竹歌聲動地哀:
(穆王が作った民の苦しみを歌った)『黄竹詩(こうちくし)』の歌声(うたごえ)が地を揺るがせて
響いてきて哀(あわれ)なものだ。
 ・黄竹:民の苦しみを歌った『黄竹詩』三章のことで、「我徂黄竹。□□□□。□員?寒。帝
收九行。嗟我公侯。百辟冢卿。皇我萬民。旦夕勿忘。  我徂黄竹。□□□□。□員?
寒。帝收九行。嗟我公侯。百辟冢卿。皇我萬民。旦夕勿窮。  有皎者?。翩翩其飛。
嗟我公侯。□勿則遷。居樂甚寡。不如遷土。禮樂其民。」のこと。 ・動地:地を揺るがせ
て響く。地をどよもす。

八駿日行三萬里:
周の穆王(ぼくおう)は八頭だての馬車に乗って、一日に三万里の道のりを行けるのだが。 ・
八駿:〔はっしゅん〕八頭だての馬車。 ・駿:〔しゅん〕良馬。すぐれた馬。 ・日行:一日に…
行く。 ・日行三萬里:『穆天子傳』では穆王がに西遊して西王母の許に到る行程は、九万
里とされている。

穆王何事不重來:
穆王(ぼくおう)は、どうしてなのだろうか、(西王母の許へ)再び来ることはなかった。 ・穆王:
〔ぼおう〕周・穆王のこと。『穆天子傳』に一度だけの西遊の故事がある。 ・何事:どうしてな
のだろうか。 ・不重來:二度とは来なかった。(一度だけ来たものの)重ねては来なかった。蛇
足になるが、もし「重不來」と表現すれば「重ねて来らず」(またしても来なかった=一度も来て
いない)の意。


瑤池やう ち の阿母あぼ  綺窗 き さうを開き,
黄竹くゎうちくの歌聲うたごへ  地を動どよもして哀あはれなり。
八駿はっしゅん 日に行ゆくこと  三萬里,
穆王ぼくわう 何事なにごとぞ  重かさねては來きたらず。






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