杜牧の詩 01 晩唐 352 杜牧詩
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1 江南の春 杜牧 kouman no haru toboku |
千里鶯啼緑映紅、水村山郭酒旗風。
南朝四百八十寺、多少楼台煙雨中。
千里四方に鶯が啼き木々の緑が花の紅色にと映る。
水際の村 山沿いの街 酒屋ののぼりが風にたなびいている。
南朝からの四百八十寺、
その多くの楼台が春雨のそぼ降る靄の中にある。
見渡す限りのそこらじゅうで鶯が啼いていて木々の緑は花の紅色で映えているし。
水際の村、山沿いのまちで 酒屋ののぼりが春風にたなびいている。
古都金稜は南朝以来の四百八十寺といわれるほど、
その多くの楼台が春雨のそぼ降る靄の中にある。
1.江南春絶句
わざわざ「絶句」を強調しているが、この作品は詞ともされ、『江南春』という詞牌でも呼ば れている。絶句というには詞の「構成」、平仄上で問題がある。これは近体詩の詩形の絶句ではなく、感動のあまり、ことばがつまって出なくなった意と考える。江南の春はこれ以上の言葉で言い表せない、待ち遠しかった春がやってきて、野の花も、鳥も寺も、人々もその喜びを述べている。やはり題も詩の一貫でとらえると、江南春絶句と絶句をつけると付け以内で趣きが全然違ってくる。文法上の問題を語れない、杜牧の感情が伝わってきます。
2.千里鶯啼拷f紅:
江南の地方一帯に鶯が啼き、若葉の緑が紅い花に照り映えている。
・千里鶯啼:遥かに広がる江南に、ウグイスの鳴き声が聞こえ。
・千里:遥かに離れた距離を表す。実数ではない。
・鶯啼:ウグイスが啼く。ウグイスで春を示している。「千里の春」のこと。 ・拷f紅:若葉の緑が、紅い花に照り映えている。若葉の緑が紅い花を引き立たせている。 ・香F草木の色。 ・紅:(赤い)花。
なお、「百里」は一邑(村、一地方)で人が一日程度で移動できるできる距離になる。「千里」は遠い距離で、風俗が異なる。邦国が単位となろう。「萬里」は遙か遠くはなれたところ。人間業としては到達し難(がた)い距離。
3.水村山郭酒旗
水辺の村や山辺の村里では酒屋の旗印に吹く風が(のどかである)。
・水村:水辺の村。水郷。
・山郭:山沿いの聚落の外周の建物。
・酒旗風:酒屋の看板になっている旗・酒簾に吹く風。
4.南朝四百八十寺
南朝の四百八十寺の、多くの樓臺は烟雨の中だ
・南朝:四二〇年〜五八九年の間に、江南の地に興った六朝(呉、東晉、宋、斉、梁、陳)の中の宋、斉、梁、陳の四王朝で、建康を首都とした。ここでは、同義に使われている。なお、北朝が異民族の王朝が主なことに対して、南朝は漢民族の王朝が続いたので、漢人にしてみれば、南朝が主流になる。
・四百八十寺:首都建康を始めとする江南各地にあった寺院数。「四百八十寺」を伝統的に「しひゃくはっしんじ」と読む。「十」の部分の平仄は本来○になるべきところだが「十」は●で、些か不都合。それゆえ、こんな読み方をしている。
5.多少樓臺烟雨中
四百八十寺の多くの建物が、霧雨の中(で、霞んでいる)。
・多少:多くの。また、どれほどの。
・樓臺:高い建物。
・烟雨中:霧雨のなかにある。
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煙籠寒水月籠沙、夜泊秦淮近酒家。
商女不知亡國恨、隔江猶唱後庭花。
秦淮(しんわい)に泊す
煙は寒水を籠め月は沙を籠む,
夜秦淮に泊して酒家に近し。
商女は知らず亡國の恨,
江を隔てて猶唱(うた)ふ 後庭花。
1.泊秦淮
建康の歓楽街である秦淮に泊まる。
・秦淮:建康(現・南京)を貫流して長江へ注ぐ古代の運河。詩詞によく詠い込まれている。この一帯は遊覧の地でもあり、秦淮といえば、その方の意味もある。
2.煙籠寒水月籠沙
もやが寒々とした冬の川にたちこめて、月光が河の砂州辺りを明るくしている。
・煙籠寒水:もやが寒々とした冬の川にたちこめ。
・煙:霞(かすみ)や靄(もや)等の白くかすむ天然現象。
・寒水:寒々とした冬の川。ここでは、冬の秦淮河を指す。
・月籠沙:月光が河の砂に射している。
・籠:たちこめる。
・沙:砂州。
3.夜泊秦淮近酒家
夜、秦淮河の畔(の歓楽街)で、酒家が近くにあるところに泊まった。
・夜泊:宿泊する。船旅が多い時代で川沿いに発達した宿所に泊まる。
・酒家:酒屋。飲み屋。蛇
4.商女不知亡國恨
妓女は(陳の、また南朝の)亡国の哀しいできごとを知らないので。
・商女:妓女。歌い女(め)。
・不知亡國恨:商女のような庶民は後主が酒色に耽り、国を亡ぼしたという、故事を知ることが無い。
5.隔江猶唱後庭花
川向こうより、(歴史の悲哀を省みることもなく)なおも淫靡な亡国の歌曲である『玉樹後庭花』を唱っている(歌声が聞こえてくる)。
・隔江:川を隔てて。川向こうから。
・猶唱:(歴史の悲哀を省みることもなく)なおもうたっている。
・唱:うたう。同じ意味で少しずつ違うものには、ご存じの通り「歌謡吟嘯謳…」、また、「誦詠…」など多くあるが、「唱」は演劇用語や白話としても一番一般的で、日本語での「歌」の動詞としての使い方に匹敵する。
・後庭花:淫靡な、亡国の響きのある歌。『玉樹後庭花』。南朝の陳の後主が作った淫靡な詩(本来は音楽)。
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遠上寒山石徑斜、白雲生處有人家。
停車坐愛楓林晩、霜葉紅於二月花。
1.山行
山路を行く。
2.遠上寒山石徑斜:遠くはるばると晩秋の山に登ってみたが、石の小道がくねくねと続いて。
・遠上:はるばると上って。
・寒山:晩秋から初冬にかけての山。寒々とした山。地名ではない。
・石徑:山道。石の小径。
・斜:山道がくねくねとなりながら、上へ続いているさま。
3.白雲生處有人家
(遠くを見渡せば)仙境ともいうべき深山にも、人が住んでいる。 *寂静の光景中に生動があるという対比の妙。
・白雲:はくうん。人間世界を離れた、超俗的な雰囲気を持つ語で、仏教、道教では、「仙」「天」の趣を漂わせる。ただの白い雲ではない。
・白雲生處:仙境。深山をいう。人煙が昇る処ではない。
・有人家:人家がある。
4.停車坐愛楓林晩
車を停めて、漫然と楓の林に訪れた夕暮れを味わえば。或いは、車を停めたのは、楓の林に訪れた夕暮れを味わうためである。
・停:(途中で)とめる。一時的にとまる。とどめる。
・車:人力で担ぐ輿、山駕籠のようなもの。
・坐:伝統的に「そぞろに」と読んでいる。「坐」字の意味は、「故無く、原因が無く」で、これは、「そぞろに」に当たる。また、「…のために」という意味もあり、こちらで解釈する場合もある。
・楓林:楓(かえで)の林。
・晩:くれ。宵。
5.霜葉紅於二月花
霜のあたった葉は、二月に咲く花よりも紅い。
・霜葉:紅葉。霜のために紅くなった葉のこと。
・紅於:…よりも紅い。「…[形容詞(A)]+於B」で、「…は、Bよりも Aい」「…は、…よりも □い」という意味を持つ。
・二月:陰暦二月。仲春の二月。日本風にいえば如月(きさらぎ)のこと。「じげつ」とも読むが…。
・二月花:〔にぐゎつのはな〕陰暦二月の頃に中原の地に咲く花。古来、梅や多くの花が比定されてきた。
山行
遠く寒山に上れば石徑斜めなり,
白雲生ずる處 人家有り。
車を停(とど)めて 坐(そぞ)ろに愛す 楓林の晩(くれ),
霜葉は二月の花よりも紅(くれなゐ)なり