襄陽歌 李白48


 陶淵明と李白との共通点を見てみると、@社会風刺の作品が少ない、Aどことなく孤独感が感じられる、B身分階級の高さを感じなく、C虚勢を張って居る感がある、D酒を題材とする作品が多い、E非凡俗性、F子供は出てくるが妻は全くでない、
違いは、@李白は明るい、陶淵明は暗い、A家族に対する姿勢、李白はあんまり考えていない、B李白は頽廃的な感じをもっている、C李白は職業詩人に徹している、などだろうか。もちろん、李白の「寄東魯二稚子」と陶淵明の「責子」だけで比較できるわけではないが、李白の唯一詩で子供のことをこれだけ知らないでいられる人間性はどこから来るのであろうか。お酒を飲んで論じ合っていて、竹渓の六逸と称していても社会風刺、社会批判がないのはどうしてなのか。
一言で、詩人李白は、天才なのだ。それも群を抜いた天才なのだ。陶淵明や、杜甫のように社会と自分と生活;貧乏と戦ってそれを肥やしにして成長していく天才と、李白は努力をしなくても圧倒的な詩が詠えるのである。その天才的芸術世祖育んだのが道教と考える。
唐朝の成立と道教と密接な関係のあることは承知のことである。そして、武則天、韋后の政策によって、仏教を重んじられ始めたのを玄宗により、それまで以上に道教が重んじられ、玄宗は道教が儒教や仏教の上位にあるという詔を下し、老子が孔子や釈迦牟尼より上位であると規定し、仏教の発展を制限した。
全国に老子廟を立て、政治的に利用したため、道教は隆盛を極めていった。李白の成長に合わせたかのように呼応である。玄宗は道教の文学芸術の発展にも努力し、彼自身も道教音楽を作り、煉丹・斎などの宗教活動を提唱して、道教を大いに発展させた。唐代の公主が出家して女冠になり、朝廷内の賀知章などの大臣が道士になったことは、道士・女冠の社会的な地位がかなり高かったことを物語っている。

こうした社会的背景があってこそ李白の遊学生活が成り立ったと考える。
李白の生活ぶりを示す襄陽歌、襄陽曲四首 をあげる。

襄陽歌
落日欲沒見山西。倒著接籬花下迷。
襄陽小兒齊拍手。欄街爭唱白銅蹄。
旁人借問笑何事。笑殺山翁醉似泥。』
鷺飼杓。    鸚鵡杯。
百年三萬六千日。一日須傾三百杯。
遙看漢水鴨頭香B恰似葡萄初醗昧。
此江若變作春酒。壘麹便筑糟丘台。』
千金駿馬換小妾。笑坐雕鞍歌落梅。
車旁側挂一壺酒。鳳笙龍管行相催。
咸陽市中嘆黄犬。何如月下傾金罍。
君不見晉朝羊公一片石。 龜頭剥落生莓苔。』
涙亦不能為之墮。心亦不能為之哀。
清風朗月不用一錢買。玉山自倒非人推。
舒州杓。 力士鐺。李白與爾同死生。
襄王云雨今安在。江水東流猿夜聲。』

まっ赤な夕日が幌山の西にしずもうとしている。白い帽子をさかさまにかぶって、花ざかりの木の下を、ふらりふらりとさまよう。

すると、裏陽の街の子供たちが大勢よってきて、いっせいに手をたたきながら、道いっぱいにふさがり、「白銅提」 の歌を口口にうたってはやしたてる。

いったい何でそんなに笑っているのかと、通りかかった人がたずねる。子供はこたえる、あのおじさんのベロベロに酔っぱらった恰好がおかしい。』

段通の柄杓。そして、艶鵡のさかずき。どちらもすばらしく立派なうつわだ。

人の一生は、百年であり、しょせん三万六千日。一日に三百杯、飲むことが必要だ。

はるかに洪水が見える。水はあおあおとして、ちょうど鴨の頭のような緑色。葡萄が醗酵しはじめる時の色によく似ている。

この川の水が、もしも春の酒に変るものなら、うずたかい麹で、酒の粕の高台を築いてやろう。』

千金の値うちのあるスマートな足の早い馬を、おれの女と取り換えてもらい、にっこり笑い、見事な彫り物をほどこした鞍にまたがり、「落梅」の歌を口ずさむ。
お供の車には傍に一重の酒がぶらさげてあり、鳳の笠やら竜の笛が、道をゆきつつ、酒を飲めと催促している。

成陽の町のまん中で「黄いろい犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた秦の李斯のさいごを思うと、たとえ出世しなくとも、月の下で、こがねのさかずきを傾けているほうが、どれだけよいことか。』

君は見ないか。あの立派な人格者の菅の羊公でさえ、いまは一かけらの石じゃないか。台石の亀の頭は、むざんに欠け落ちてしまって、苔が生えてるじゃないか。
「涙を堕す碑」とよばれるのに、涙さえおとすことも出来ない。心もかれのために、かなしむことが出来ない。

すがすがしい風、まるい明るい月、こんなすてきなものが、一銭も出さずに買える。風に吹かれ、月を眺め、その上、酒を飲むなら、これにまさることはない。

いわゆる「玉山が倒れるように」、人が押さないのに防手に倒れてしまうぐらい、飲むにかざる!

常州の杓よ、力士のうつわよ。李白はたとえ死んでも、まして生きてるうちは、おまえをぜったい離さない。

襄王がたのしんだという巫山の雲や雨は、いまはいずこにありや。けっきよく、はかない夢ではなかったか。現に巫山には、そんなものは跡かたもない。山あいを長江の水がとうとうと東にむかって流れ、江を挟む山の中で、猿が夜になると、啼くだけだ。』


襄陽歌
襄陽の歌。漢水に臨む都会で、湖北省の北部にある。李白が三十歳前後、十年ほど住んでいた安陸からいえば、西の方二百キロぐらいの所にある。李白はこの詩のほかに、「嚢陽の曲」という詩を四首つくっている。それには、そのあたりの名所旧蹟がうたわれている。襲陽の街はむかしから浮かれ遊ぶのに楽しい場所である。晋の『襄陽兒童歌』に合わせて作った。歴史上の襄陽の人物の飲酒の故事等を蹈まえて作った飲酒の歌。 ・襄陽:〔じょうよう〕襄州。

落日欲沒見山西、倒著接籬花下迷
まっ赤な夕日が見山の西にしずもうとしている。白い帽子をさかさまにかぶって、花ざかりの木の下を、ふらりふらりとさまよう。 ・落日:夕陽。 ・欲沒 沈もうとしている。 ・?山 〔けんざん〕襄州の東南すぐに接してある山。その東を漢水が囲むように流れる。三者の位置関係は、西から東へ、襄州・山・漢水と並ぶ。 ・倒著:逆さまにつける。 ・接籬:〔せつ〕頭巾の総称。白い頭巾。白帽。本来は後出・晋の山簡の酒に酔ったときの様をいう。酔っては、頭巾を逆さまに被った ・迷:さまよう。

襄陽小兒齊拍手、欄街爭唱白銅蹄
すると、裏陽の街の子供たちが大勢よってきて、いっせいに手をたたきながら、道いっぱいにふさがり、「白銅提」 の歌を口口にうたってはやしたてる。
・小兒 子ども。 ・齊 一斉に。 ・拍手 手を拍(う)っている。 ・欄街 通せんぼ をする。 ・欄〔らん〕さえぎる。 ・爭唱 きそって歌う。 ・白銅蹄 六朝時代に襄陽で流行した童謡。ここでは童謡の『襄陽白銅』のこと。白銅の馬蹄の意。

傍人借問笑何事、笑殺山公醉似泥
いったい何でそんなに笑っているのかと、通りかかった人がたずねる。子供はこたえる、あのおじさんのベロベロに酔っぱらった恰好がおかしい。
 ・傍人 傍らの人。 ・借問 お訊ねする。質問の内容は後出の「笑何事」になる。 ・笑何事 何をそんなに笑っているのか。 ・笑殺 笑って問題としない。大いに笑う。笑いとばす。山公のことでありまた李白のことでもある。 ・−殺 用言に附き、程度の甚だしさを表す。 ・山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一の山濤の子。 ・醉似泥 泥のように酔いつぶれる。

鷺飼杓 鸚鵡杯 
段通の柄杓。そして、艶鵡のさかずき。どちらもすばらしく立派なうつわだ。 
・鷺飼〔ろじ〕カワウ。鵜(う)。首の長い水鳥。「杓」とは首の長い酒を注ぐ酒器。 ・杓 〔しゃく〕しゃく。ひしゃく。 ・鸚鵡〔おうむ〕ここでは、オウムガイのことになる。

百年三萬六千日、一日須傾三百杯
人の一生は、百年であり、しょせん三万六千日。一日に三百杯、飲むことが必要だ。 ・百年:人の一生。
・須 …する必要がある。すべからく…べし。 ・傾 (盃を)傾ける。酒を飲む。 ・三百杯 後漢の大学者鄭玄が別れの席で、一日300人以上から酒を注がれて、すべて飲み干しても酔わなかったという。

遙看漢水鴨頭香A恰似葡萄初醗昧
はるかに洪水が見える。水はあおあおとして、ちょうど鴨の頭のような緑色。葡萄が醗酵しはじめる時の色によく似ている。 
・遙看:遥かに眺める。 ・漢水:襄陽を流れる川。現在の武漢(漢口、漢陽)で長江に合流する川の名。陝西省に発して、湖北省襄陽、襄樊を経て漢口に至る大河。 ・鴨頭:カモの頭。 ・恰似:まるで…にそっくりだ。まるで…のようだ。 ・初醗昧:〔はつばい〕醗酵する。絞る前の出来立ての濁り酒。

此江若變作春酒、壘麹便築糟丘臺
この川の水が、もしも春の酒に変るものなら、うずたかい麹で、酒の粕の高台を築いてやろう。 
・若:もし。 ・變作:…と変わる。変わって(いって)…となる。 ・作:…となる。 ・春酒:去年仕込んだできたての新酒。 ・壘麹:積み重ねた麹(こうじ)。 ・麹:〔きく〕米、麦などを蒸して暖室に置き、麹黴(こうじかび)を繁殖させたもので、酒の醸造の原料となる。 ・便:するとすぐに。すぐに。すなわち。 ・糟丘臺:殷の帝紂が築いた酒の糟(かす)で造った小山。

千金駿馬換小妾、笑坐雕鞍歌落梅
千金の値うちのあるスマートな足の早い馬を、おれの女と取り換えてもらい、にっこり笑い、見事な彫り物をほどこした鞍にまたがり、「落梅」の歌を口ずさむ。
お供の車には傍に一重の酒がぶらさげてあり、鳳の笠やら竜の笛が、道をゆきつつ、酒を飲めと催促している。 
・千金:千枚の黄金。多額の金銭。 ・駿馬換小妾:後魏の曹彰が駿馬を見つけ、それを何とか手に入れたいと思って、馬主に対して「自分には好い妾(つま)たちがいるので、あなたがすきな妾を選び、それと馬とを交換しよう」と持ちかけたという故事。『獨異志』。 ・駿馬:〔しゅんめ〕すぐれた馬。良馬。足の速く強い馬。 ・換:交換する。 ・小妾:〔しょうしょう〕若いめかけ。 ・雕鞍:立派な彫り物を施した鞍(くら)。 ・歌:うたう。動詞。 ・落梅:笛の演奏用の『落梅花』という曲名のこと。

車旁側挂一壺酒、鳳笙龍管行相催
お供の車には傍に一重の酒がぶらさげてあり、鳳の笠やら竜の笛が、道をゆきつつ、酒をのめと催促している。
・車旁:車の側壁。 ・側挂:ぶら下げている。つり下げている。 ・鳳笙龍管:鳳の鳴き声のような(鳳の姿のような)笙に、龍のなき声のような笛の音。」  ・行:行きながら。ゆくゆく。 ・相催:促してくる。 ・相-:動詞の前に附き、動作の及ぶ趨勢を表す。…てくる。…ていく。

咸陽市中歎黄犬、何如月下傾金罍
成陽の町のまん中で「黄色い犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた秦の李斯のさいごを思うと、たとえ出世しなくとも、月の下で、黄金の杯を傾けているほうが、どれだけよいことか。
 ・咸陽:〔かんよう〕秦の首都。秦・始皇帝がここに都を置く渭城。 ・歎黄犬:李斯の故事をいう。・何如:どうして及ぼうか。なんぞしかん。また、いかん。ここは、前者の意。 ・傾:(酒器を)傾ける。酒を飲むこと。かたぶく。下二、四段活用。 ・金罍:〔きんらい〕雷雲の模様を画いた黄金製の酒かめ。黄金製の酒器。

君不見晉朝羊公一片石、龜頭剥落生莓苔
君は見ないか。あの立派な人格者の菅の羊公でさえ、いまは一かけらの石じゃないか。台石の亀の頭は、むざんに欠け落ちてしまって、苔が生えるじゃないか。
 ・君不見:諸君、見たことがありませんか。詩をみている人に対する呼びかけ。樂府体に使われる。「君不聞」もある。そこで詩のリズムが大きく変化する。 ・晉朝羊公一片石: 晉朝 (西)晋。265年〜419年。三国の魏に代わり、265年権臣司馬炎が建てた国。280年、呉を併せて天下を統一したが、八王の乱で、匈奴の劉曜らによって316年に滅ぼされた。 ・羊公 呉と闘った西晋の名将・羊のこと。山を愛し、善政をしたため、羊の没後、民衆は羊が愛した山を望むところに石碑を築いた。 ・一片石 羊の石碑。前出の堕涙碑(紫字部分)のこと。
 ・龜頭:石碑の土台の亀の頭。石碑の土台部分は亀のような形をして、甲羅に碑を背負っている形になっている。あの亀のような動物は想像上のもので贔屓〔ひき;bi4xi4〕という。 ・剥落:剥げ落ちる。 ・莓苔:〔ばい〕こけ。

涙亦不能爲之墮、心亦不能爲之哀
「涙を堕す碑」とよばれるのに、涙さえおとすことも出来ない。心もかれのために、かなしむことが出来ない。
 ・亦:…もまた。 ・不能:…ことはできない。 ・爲:…のために。 ・之:(古びてしまった)羊の堕涙碑。 ・墮:(涙を)落とす。 ・哀:哀しむ。

清風朗月不用一錢買、玉山自倒非人推
すがすがしい風、まるい明るい月、こんなすてきなものが、一銭も出さずに買える。風に吹かれ、月を眺め、その上、酒を飲むなら、これにまさることはない。
・清風:清らかな風。涼しい風。さわやかな風。宗教的な趣を湛えた語。 ・朗月:明月。 ・不用:別に…の必要がない。 ・一錢買:お金を出して買う。外にこのような使い方があろうか。
 ・玉山自倒:竹林の七賢の一である魏の康の酒に酔ったさまは、彼の大柄さと人格の偉大さから、玉山がまさに崩れそうな様子だったという。  ・玉山:美しい容姿のたとえ。雪の積もった山。崑崙山の西にある西王母のいたところ。 ・非人…:人為的に…することは(でき)ない。

舒州杓 力士鐺。 李白與爾同死生
常州の杓よ、力士のうつわよ。李白はたとえ死んでも、まして生きてるうちは、おまえをぜったい離さない。
舒州杓 舒州はいまの安徽省潜山県一帯(省の西南隅)で、唐代では、酒器の名産地。杓は酒をくむ柄杓。
唐の豫章郡産の酒を温めるのに使う三本脚の鼎という。 ○力士鎖 いまの江西省南昌市(唐代の予革)産の堅い上質の磁器、力士の形を刻んであるともいうし、また、力士は器の作者の名前ともいう。よくわからない。・鐺:〔そう〕三本脚の鼎で、酒を温めるのにつかう。 ・與:…と ・爾:なんぢ。酒、酒器を指す。 ・同死生:生死を共にする。

襄王雲雨今安在、江水東流猿夜聲
襄王がたのしんだという巫山の雲や雨は、いまはいずこにありや。けっきよく、はかない夢ではなかったか。現に巫山には、そんなものは跡かたもない。山あいを長江の水がとうとうと東にむかって流れ、江を挟む山の中で、猿が夜になると、啼くだけだ。
・襄王雲雨 むかし楚の嚢王が詩人の宋玉をつれて、雲夢の丘に遊び、高唐という物見台から景色を眺めた。すると、その上に雲気が立ちこめ、高くまっすぐ上ったかと思うと、たちまち形をかえた。しばらくの間に、千変万化する。襄王がたずねた、「これは何か」。宋玉がこたえた、「いわゆる朝雲です」。「朝雲とは何か」。宋玉が説明した。
「昔先代の王さまがやはりこの高唐に遊びにきて、昼寝をされた。夢の中に一人の女が現われて言った。『わたしは巫山の女です。高唐へ遊びにきましたが、殿様もまた高唐に遊びに来られたことを聞きました。どうか、おそばに侍らせて下さいませ。』 王はお可愛がりになった。去るとき女が言った。「わたしは巫山の南の高い山の峰に住んでいますが、朝には雲となり、碁には雨となり、毎朝毎晩、南の丘の下へ行きます」。翌朝、行ってみると、果して女の言うとおりだったので、そこに社を建てて朝雲と呼んだ。興味をおぼえた嚢王は、朝雲についてその様子をききただす。宋玉は委細をつくして朝雲暮雨を歌いあげる。その話は、宋玉の「高唐の賦」にくわしい。ただし、ふつうの伝説では、夢のなかで巫山の女神と交わったのは、嚢王その人となっている。  ・今安在:今はどこにあるのか。
 ・江水:川の流れ。川の流れは、古来、時間の推移を謂う。流れ去る川の水で、歳月等の時間で一度去って再び帰らないものの譬え。 ・東流:東に向かって流れる。東流するのは中国の川の通常の姿であり、天理でもある。 ・猿夜聲:夜に猿が(悲しげになく)鳴き声。

○韻 西、迷、蹄、泥』 杯、杯、昧、台』 梅、催、罍、苔』 哀、推、鐺、生、聲』

襄陽歌
落日欲沒見山西。倒著接籬花下迷。
襄陽小兒齊拍手。欄街爭唱白銅蹄。
旁人借問笑何事。笑殺山翁醉似泥。』
鷺飼杓。    鸚鵡杯。
百年三萬六千日。一日須傾三百杯。
遙看漢水鴨頭香B恰似葡萄初醗昧。
此江若變作春酒。壘麹便筑糟丘台。』
千金駿馬換小妾。笑坐雕鞍歌落梅。
車旁側挂一壺酒。鳳笙龍管行相催。
咸陽市中嘆黄犬。何如月下傾金罍。
君不見晉朝羊公一片石。 龜頭剥落生莓苔。』
涙亦不能為之墮。心亦不能為之哀。
清風朗月不用一錢買。玉山自倒非人推。
舒州杓。 力士鐺。李白與爾同死生。
襄王云雨今安在。江水東流猿夜聲。』

襄陽の歌
落日 沒せむと欲す  見山(けんざん)の西,倒(さかし)まに 接(せふり)を 著(つ)けて 花の下に迷う。
襄陽(じょうやう)の小兒  齊(ひと)しく手を拍(う)ち,街を(さえぎ)りて 爭(きそ)ひて唱ふ 『白銅』。
傍人 借問す  何事をか笑ふと,笑殺す 山公の 醉(ゑ)ひて泥の似(ごと)きを。』
(ろじ)の杓(しゃく)、鸚鵡(あうむ)の杯。
百年  三萬 六千日,一日 須(すべか)らく傾くべし  三百杯。
遙かに看る 漢水  鴨頭の香C恰(あた)かも似たり 葡萄の 初めて醗(はつばい)するに。
此の江(かう) 若(も)し 變じて 春酒と作(な)らば,壘麹(るいきく) 便(すなは)ち 築かん  糟丘臺(そうきうだい)。』
千金の駿馬  小妾と換へ,笑ひて 雕鞍に坐して  『落梅』を歌う。
車旁 側に 挂(か)く  一壺の酒,鳳笙 龍管  行(ゆくゆ)く 相い 催(うなが)す。
咸陽の市中に  黄犬を歎くは,なんぞ 如(し)かん 月下に  金罍(きんらい)を傾(かたぶ)くるに。
君 見ずや  晉朝の羊公 一片の石,龜頭 剥落して  莓苔(ばいたい) 生ず。』
涙も亦(また) 之(これ)が爲(ため)に墮(お)つる能(あた)はず,心も亦(また) 之(これ)が爲(ため)に哀しむ能(あた)はず。
清風 朗月  一錢の買うを 用(もち)ゐず,玉山 自(おのづか)ら倒(たう)る  人の推(お)すに非ず。
舒州(じょしう)の杓,力士の鐺(さう)。李白 爾(なんぢ)と  死生を 同じくせん。
襄王(じゃうわう)の雲雨  今 安(いづく)にか在る,江水は 東流して  猿は 夜に聲(な)く。』