送賈閣老出汝州 杜甫987
hht6 987 送賈閣老出汝州
賈は賈至、時に中書舎人であった。閣老とは舎人の牛深きものをいう尊称とし、或は両省相呼びていう称とする、至をさしていう。汝州は河南省南陽府に属する。至は河南洛陽の人である。此の詩は中書舎人である貿至が長安から河南の汝州へ刺史として出かけるのを送るために作る。乾元元年春の作。
送賈閣老出汝州
西掖梧桐樹,空留一院陰。艱難歸故裡,去住損春心。
宮殿青門隔,雲山紫邏深。人生五馬貴,莫受二毛侵。
中書省の垣門のそばの梧桐の樹。あの樹は君が居なくなってはいたずらに院内にわたるこかげをとどめておるばかりである。君空しの世路のなんぎなときに故郷の方へとかえり、いってしまう君も、とどまっておる自分も、ともに春の心をいたむるのである。君からみればこの都の宮殿の方ははるかに青門がへだたっており、自分からみれば君の居る紫選の雲山はおくふかく遠い。人生において五恩を用うるほどの官となれば貴い位置である。どうぞ年よらずにいて白髪なんぞに侵されぬ様にせられたい。(髪の黒いうちになっておくがよい。)
西掖の梧桐樹,空しく留む一院の陰。
難難故里に帰る 去住春心損ず
宮殿青門隔たる 雲山紫邏深し
人生五馬貴し 二毛の侵すを受くる莫れ
○西披 中書舎人は中書省に属し、中書省は東内の酉にある牒東内より中書省へ出入する西側の垣を西技という、舎人の院はそこにある。○空 其の人の在らざるゆえ「空しく」という。〇一院 院全体、院は舎人の詰め所。○陰 樹陰。○難難 世事のなんぎ。○故旦 故郷、至の故郷は洛陽であり、そこを経て汝州へ赴く、故に「帰る」という、かえりきりにかえるのではない。○去住 去ると、とどまると。去は質至についていい、住は自己についていう。○損 損傷の意。○青門 長安城の東、覇城門のこと、此の句は至よりいう。○雲山雲のいる山。○紫遊 山の名、汝州梁県にある、これは作者よりいう。〇五馬貴 五馬は太守の美称。太守を五馬というのは郡の太守(長官)は駆馬(四匹の馬)を用いるが郡内をめぐるときは更に一馬を加える故であるともいい、また太守が秩中二千石を加えられるとき(禄だか正味二千石を受く)五馬を用いる故ともいい、また北斉の柳元伯という者は、その五人の子が、同時に郡を領したのによるともいう。○受侵 おかされる。〇二毛黒白二種の毛髪、白髪のふえることをいう。
参考
970 ?行口號
梁の太清三年に台城が陥ったとき、総は年三十一であったが、これより外に流離すること十四、五年、陳の天嘉四年に至ってはじめて朝に還った。総年四十五。謂わゆる「家二還マテ尚オ黒頭」であるという。これは顧炎武の説である。此の詩は至徳二載の作として杜甫は四十六歳であるが、白髪が多かったのであろう。 ・黒頭 頭髪の黒いこと。