(樊二十三侍禦が漢中判官に赴くを送る)
侍御史の官である樊某が漢中王の判官となって任に赴くのを送る詩。製作時は至徳二載の初め、鳳翔の行在所に赴いたころの作。
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送樊二十三侍禦赴漢中判官
威弧不能弦,自爾無寧歳。
川穀血流,豺狼沸相噬。』
天子從北來,長驅振凋敞。
頓兵岐梁下,卻跨沙漠裔。
二京陷未收,四極我得製。
蕭索漢水清,緬通淮湖税。』
使者紛星散,王綱尚旒綴。
南伯從事賢,君行立談際。
坐知七曜歴,手畫三軍勢。
冰雪淨聰明,雷霆走精鋭。』
幕府輟諫官,朝廷無此例。
至尊方刊食,仗爾布嘉惠。
補闕暮徴入,柱史晨徴憩。
正當艱難時,實藉長久計。』
廻風吹獨樹,白日照執袂。
慟哭蒼煙根,山門萬重閉。
居人莽牢落,遊子封迢遞。
徘徊悲生離,局促老一世。
陶唐歌遺民,後漢更列帝。
恨無匡複姿,聊欲從此逝。』
我が唐の朝廷は威力あるべき弓に弦を加えてその威力を発揮させることができなかったので、それからこのかた安寧なる年とては無くなった。川や谷には戦血が横さまに流れ、豺狼の様な盗賊がお湯のわきたつように起って人をかみつつある。』
そのとき我が粛宗皇帝は霊武の北地から鳳翔の方へおいでになり、遠地を駆け来られて人民の凋敞をおすくいになる。岐山・梁山の下なる鳳翔の地方に兵をとどめられてはいるが卻って他方には回乾と連絡をとって遠く沙漢のはてまで足をのばされる。長安・洛陽の二京は賊軍に陥ってまだ官軍の手へは収められないが、四方のはてまで我が朝廷が之を制御し得るのである。いまこのさびしい漢水の清く流るるところ、漢中の地ははるかに准水両湖の地方の租税を通運し得る場所である。』
中央朝廷から使者が八方へとび散っており、帝道はなお張られてあって遠方の地方は王室に対して旗のびらびらが旗についている如くつながってはなれずにあるのである。南方の伯たる漢中王はその部下に賢者が集まっておる。君はそこへ赴任するのであるが、そこへいって立ちながらはなしをするとき、君は胸には七星の暦のことをよくこころえながら、手ずから三軍の形勢を図にかきしめし、冰雪の様なすっきりした聡明さで、軍の精鋭を雷霆の如く走らせるであろう。』
地方の幕府でありながら諌官の職にあった人をつなぎつけておくという事は朝廷にこれまで先例の無いことだ。(君の場合に於て始めて之をみるのである。)今軍務多忙で陛下は食事さえ日たけてからなされるという始末で、君のカによって人民に対し恵をしかれんとしておる、やっと夕方に補闕の官として君をおめし入れになったのに、晨にはその柱史(侍御史)がまた旅立ちの路に就かんとしてしばし路傍にいこう。いまはちょうど国家艱難の時にぶっつかっておる。之を救うには実に経済上の供給をうまくやるという長久の計によらねばならぬ。』
君に別れようとすれば、路傍の一本木を吹きまわしの風が吹く、君の袂を手にする所を太陽が照らしかける。自分が蒼煙横わる所の樹根に慟哭すると、周囲には門の如くつっ立った山々がいくえにも閉ざしている。この居残る自分は茫漠としてよるべなくおちぶれている。旅人たる君はそれをすてて傾斜地をはるかにすすんでゆく。自分はあたりをさまよいながら君との生きわかれを悲しくおもい、かくもせぐくまっでのびることのできないさまでこの世に老いゆくのかと思う。』
陶唐氏は永く遺民に歌われて忘れらるることなく、後漠は光武帝の中興以後幾人か代々の天子がかわられた。(我が唐もその様に遺民はその徳をしたい、その君は幾代もつづくことであろう。)ただ自分は不才であって君失を正し、王室を回復するに足るだけの資質をもたぬから、今からここをたち去って山林へゆこうとおもうのである。
○樊侍禦 樊は姓、名は未詳、侍御は侍御史の官。○漢中判官 漢中は今の陝西省漢中府南部県治、判官は蓋し時の漠中王璃の下において判官となったのである。 ○威弧不能弦 「易」繋辞下に「木二弦シテ弧卜為シ、木ヲ創リテ失卜為シ、弧矢ノ利、以テ天下ヲ威ス。」とみえる。威弧とは威力ある弓をいう。弦とはつるをかけること、弓につるをかけなければ弓の用を為さぬ。玄宗は禄山に対して早く刑罰を用いることができなかったことをいう。〇自爾 そのときから。 ○寧歳 安らかな年。 ○血 戦死者の血。 ○豺狼 盗賊をいう。 ○沸 わきたつ。 ○噬 人をかむ。 ○天子 粛宗。 ○従北 来北とは霊武をさす、粛宗は初め霊武に即位し、後に鳳翔にやって来た。○長駆 長遠の路をかけて来る。○振凋敞 振は趣、すくうこと。凋敵は民力のしぼみつかれたこと。○頓兵 頓は止めることをいう。○岐梁下 岐山・巣山の下、二山は鳳翔境内にある。○卻跨 かえってまたがる、跨とはその方面へまで足をのはすことをいう。○沙漠裔 裔は衣のすそ、遠地をさす。沙漠とは回?をさす、此の時回?より援兵を出さんと請うてきた。〇二京 長安・洛陽。○収 官軍の手へとりこむ。〇四極 四方のはての地。○我 朝廷をさす。○制 制御すること。○粛索 さびしいさま。○漢水 漢中府にある。○通准湖税 准水及び湖南湖北地方の租税を通運させた。至徳元載七月、随西公璃を漢中王・梁州都督・山南西道来訪防禦使と為し、十月、第五埼は江涯の租庸を以て軽貨を買い、江漢より揮って洋州(漢中府洋県)に至り、漢中王璃をして陸運して扶風に至らしめて官軍を助けんと請うた、天子はこれに従った。当時漢中は南方の貨物を鳳翔の行在へはこぶ要路にあたっていたのである。○使者 朝廷から派出される使。○紛 みだれるさま。○星散 星の如くちらぼる、八方へ出ること。○王綱 王者の綱紀、帝王の大道をいう。○旒綴 「詩経」の長発の詩に「小球大球ヲ受ケテ、下国ノ綴旒為り。」とみえる。旒綴の綴はつづりつけること、旒は旗のへりにつけであるびらびらをいう、天子は諸侯の国から献ずる小玉大玉を受けてそれらの国々の係属する所となることが旗のびらびらが旗につく如くであるというのである。ここも其の意を用いる。○南伯 南方の伯、漢中王?をさす。文字は「詩経」のッ高の詩の「王申伯二命ジ、是ノ南邦二式タラシム。」に本つくのであろう。○従事 王の属官のものをさす。○君行 君は欒侍御をさす。○立談 たちながら話す、兵馬忽忙の時であるからである。〇七曜暦 七曜は七星、七星は日月と、歳星・焚惑星・填星・太白星・辰星の五星とをいう。七曜暦はそれ等の星象に関する暦、昔は兵事は星象と関係があると考えられていた。○手画 手で図をかく。〇三軍勢 官軍の陣勢。○冰雪淨聰明,雷霆走精? 此の二句は「聡明冰雪浄、精鋭雷霆走」と同義である。聡明は樊の耳目のさとくあきらかなこと、冰雪の如く浄らかとはすっきりとして凝滞なきことをいう。精鋭は軍隊の力のすぐれたものをさす、宮霧の如く走るとは威力のあることをいう。○幕府 漢中王の府をいう。○輟諫官 仇氏は輟を綴に作るべきであるという。今はこれに従う。諌官は侍御史の計をいう、諌官を綴るとは、諌官たる身分の人をそこへつなぎつけておくことをいう。焚は朝廷の侍御史であったために王の幕府へ判官として赴任したのである。○此例 さような先例。○至尊 粛宗。○?食 あさ日がたけて食を取る、軍務のせわしきためである。○爾 汝に同じ、樊をさす。○布嘉恵 人民に対しょきめぐみをしく。○補闕 欠点を補う。侍御史は諌官にして天子のかけている処を補う職。○徴入 召して朝廷へ入れる。○柱史 侍御史のこと。周の柱下史、或は侍御史が後世の侍御史にあたる。○晨征憩 晨は上の「暮」に対する。征は征行、旅路へでかけようとすること。憩はちょっとやすむこと、これは作者と別れようとするためである。下節の通風吹独樹の句はこの「憩」の字をうけて書かれている。○艱難時 兵乱の時をいう。○長久計 樊が判官となって行在の糧食等の通運を掌るのは一時の計ではなくして未来長久にわたっての計である。○廻風 ふきまわす風。○獨樹 一本の大木、これはたまたま別処にあったものを写す。○照執袂 執袂とは別れを惜しんであいての枚をつかまえること、そのうえに太陽がてりかかる。○蒼煙根 根とは上の独樹の根であり、そのうえに青煙がよこたわる。○山門 門の如く立っている山峰。〇万重 いくえにも。○居人 此の句は自己をいう、居人はここにいのこる人。○莽 茫漠としてたよりないさま。○牢落 おちぶれるさま。○遊子 樊をさす。○迢遞 高低があって且つはるかなさま。○徘徊 さまよう。○悲生離 此の句は自己をいう、樊との生別をかなしむ。○局促 身のせぐくまるさま。自己をいう。○老一世 この一代において老いゆく。○
陶唐歌遺民 「左伝」嚢公二十九年に呉の季札が魯に至って周の楽を観たいと請うたところが、魯が唐の詩を歌ったので、「思ウコト深イ哉、其レ陶庶民ノ遺民有ル乎」といった。昔時唐民が陶唐氏を謳歌したごとくに、今の唐民は唐を思うことをいうのであろう。○後漢更列帝 更二列帝一とは代々の帝がつぎつぎにかわったことをいう。これは代わったことをいうのが主ではなく、光武帝の中興があってその後永く続いたことをいうのであり、唐も亦た粛宗の中興以後しかあるべしというのである。○匡復資 君の過失を正し、王室を回復するの資質。○従此逝 逝とは去ること、ここを去って山林中に向かって往き隠れること、此よりとは今よりということ。