晩行口號 杜甫970





北征紀行
954 述懐  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 177
ID 詩 題 摘要  (至徳二載 秋〜冬757年 杜甫46歳 五言古詩)
970 ?行口號  ?州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971 徒?歸行 ?州へ赴く出発の詩
972 九成宮 ?州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
974 行次昭陵 ?州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。大宗の施政が仁徳のあるものであったと賛美し、暗に粛宗の愚帝ぶりを批判している。秀作。
973 玉華宮  ?州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
975 北征 五言百四十句の長篇古詩。至徳二載六月一日、?州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃。八月初めに鳳翔より出発し,?州に到著して以後に作ったもの。旅の報告と上奏文であり、ウイグルに救援を求める粛宗批判といえる内容のものである。一番の秀作。
977 羌村三首 ・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
978 ・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
979 ・村の長老たちと帰還の祝い。 
981 重經昭陵 帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID 詩 題 摘要  (至徳二載 秋〜冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980 收京三首 王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末〜十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれるものである。が、一方、この時期の作品は左拾位としての役目をしようとする杜甫の誠実さを浮き彫りにするものでもある。秀作ぞろいである。ウイグル援軍要請批判は安禄山軍に拘束された時期、「黄河二首」「送楊六判官使西蕃」から一貫している。


晩行口號  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 199
杜甫は鳳翔からごしゅう?州まで約200キロの道を、閏八月の初めから半月ばかりかかって、馬は与えられなかったために、途中で馬を借りるまでは徒歩で、何人かの下僕を供にして麟遊県―?州−宜君県−?州という経路で帰っていった。


杜甫詩、杜甫の人生を語る重要な作品。

このときの旅で作られたのが旅の全体詩が「北征」の詩である。北征の詩の前に上の表で示した『?行口號』、『徒?歸行』、『九成宮』、『玉華宮』、『行次昭陵』(行くゆく昭陵に次る)と見ていくことにする。  




鹿州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。

晩行口號
?州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
三川不可到,歸路?山稠。
出発して間もないので三川というにはなかなかゆきつけるものではないが、家路を急ぐものであっても、夕暮れの山々が多く聳えているのが目に入る。 
落雁浮寒水,饑鳥集戍樓。
聳えた山を見下ろすかのように飛ぶ雁が降りてきた、そして、寒そうな水に浮いている、一方、餓えて食をあさる烏は兵卒の番をしている高楼閣のうえに集まって群れを成している。
市朝今日異,喪亂幾時休?
今日においては国都長安の朝廷、王宮、東西の市、各坊のさまも以前とは全く変わってしまった。このような無政府状態の兵乱の止むことがいつになったらできることであろう。
遠愧梁江總,還家尚K頭。
遠い昔の人と比べると同じ家へ戻るとはいうものの、梁の江総がまだ黒い頭をしながら家へ還ったのに対して、わたしは年老いてしまったとはいえこの白髪頭で帰るというのはちょっと恥いいものである。
 
(晩行口号)
三川には到る可らず 帰路 晩山稠し
落雁 寒水に浮び  饑鳥 戍樓に集まる
市朝 今日異なり  喪乱 幾時か休せん
遠く娩ず梁の江総が 家に還りしとき尚黒頭なりしに



現代語訳と訳註
(本文) 晩行口號
三川不可到,歸路?山稠。
落雁浮寒水,饑鳥集戍樓。
市朝今日異,喪亂幾時休?
遠愧梁江總,還家尚K頭。


(下し文)
三川には到る可らず、帰路 晩山稠(おお)し。
落雁 寒水に浮び、饑鳥(きう)戍樓(じゅうろう)に集まる。
市朝(しちょう)今日(こんにち)異(こと)なり、喪乱 幾時か休せん。
遠く娩(は)ず梁(りょう)の江総(こうそう)が、家に還りしとき尚黒頭なりしに。


(現代語訳)
?州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
出発して間もないので三川というにはなかなかゆきつけるものではないが、家路を急ぐものであっても、夕暮れの山々が多く聳えているのが目に入る。 
聳えた山を見下ろすかのように飛ぶ雁が降りてきた、そして、寒そうな水に浮いている、一方、餓えて食をあさる烏は兵卒の番をしている高楼閣のうえに集まって群れを成している。
今日においては国都長安の朝廷、王宮、東西の市、各坊のさまも以前とは全く変わってしまった。このような無政府状態の兵乱の止むことがいつになったらできることであろう。
遠い昔の人と比べると同じ家へ戻るとはいうものの、梁の江総がまだ黒い頭をしながら家へ還ったのに対して、わたしは年老いてしまったとはいえこの白髪頭で帰るというのはちょっと恥いいものである。


(訳注)
晩行口號
鹿州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。


三川不可到、歸路?山稠。
三川には到る可らず、帰路 晩山稠(おお)し。
出発して間もないので三川というにはなかなかゆきつけるものではないが、家路を急ぐものであっても、夕暮れの山々が多く聳えているのが目に入る。 
三川 ?州。○不可到 到るのが得られないの意味、徒歩あるきにて道のはかどらないといういみにもとれるが、ここでは、出発し気間もない時期であるから、当面の目標地にも届いていないことを踏まえて、下句以降の風景を導くための挿入語である。杜甫の常套の進め方である。
帰路 家をさしてゆく路であるから帰路という。 ・晩山 夕ぐれの山。


落雁浮寒水、饑鳥集戍樓。
落雁 寒水に浮び、饑鳥(きう)戍樓(じゅうろう)に集まる。
聳えた山を見下ろすかのように飛ぶ雁が降りてきた、そして、寒そうな水に浮いている、一方、餓えて食をあさる烏は兵卒の番をしている高楼閣のうえに集まって群れを成している。
落雁 空より下った雁。 ・戍楼 兵卒の番をしている高楼閣。


市朝今日異、喪亂幾時休。
市朝(しちょう)今日(こんにち)異(こと)なり、喪乱 幾時か休せん。
今日においては国都長安の朝廷、王宮、東西の市、各坊のさまも以前とは全く変わってしまった。このような無政府状態の兵乱の止むことがいつになったらできることであろう。
・市朝 長安城、洛陽城とも官吏の会する朝廷の所在と、商売賈の会する市を東と西を区別、王宮と行政府と分け、それぞれ違う位置に設け、住まいも坊で区切った。これは国都の正常なさまをいう。・異 安史軍によって占拠された都の様相が、従前とさまが変わりしていること。 ・喪亂 多くの人が亡くなり、世が乱れること。無政府状態をいうこともある。・幾時 何時。 ・ 止むこと。


遠愧梁江總、還家尚K頭。
遠く娩(は)ず梁(りょう)の江総(こうそう)が、家に還りしとき尚黒頭なりしに。
遠い昔の人と比べると同じ家へ戻るとはいうものの、梁の江総がまだ黒い頭をしながら家へ還ったのに対して、わたしは年老いてしまったとはいえこの白髪頭で帰るというのはちょっと恥いいものである。 
・遠塊 遠は時間のうえについていう。   ・梁江総 陳の後主の〈狎客〉だった人。梁の太清三年に台城が陥ったとき、総は年三十一であったが、これより外に流離すること十四、五年、陳の天嘉四年に至ってはじめて朝に還った。総年四十五。 ・黒頭 頭髪の黒いこと。 梁江総の謂わゆる「家に還まて 尚 黒頭」であるという。此の詩は至徳二載の作、杜甫は四十六歳であるが、白髪が多く、二十首も自分の白髪を詩に読んでいる。その制作時期により使い方も違っていて面白いので、杜甫の人生の何度目かの「区切り」についてふれる後のブログで取り上げる。ここまでで「白髪」を詠った詩は以下である。
『得家書』(家書を得たり)『送樊二十三侍禦赴漢中判官』





○ 詩型 五言律詩
○ 押韻 到,稠。樓。休。頭。