孟郊 交友論六首










唐孟郊の交遊の詩(1)「求友」


孟郊の長安の交遊者五首(紀 頌之選定)について
「求友」、「択友」、「結交」、「勤友」、「審交」孟郊作
30年近くもその人生のほとんどを科挙試験に費やした特異な人生で誰から見てもおかしくない友情関係はできないであろうはずである。周りの援助によりつづけられたものである、まともな人生観は無かろうというものだ。。

求友
北風臨大海、堅冰臨河面。
北風は冬である大海原に臨み春を待つことになる。清廉潔白を示す堅い氷にたいし、水は東流するのが道理である河面に臨むものなのである。
下有大波瀾、對之無由見。
人生にはその過程でよいこと、悪いことの大きな波乱があるものである、これに対してそれを見ていていちいち理由づけをしないものだ。
求友須在良、得良終相善。
友人を求めるなら根っから良い人物でなければならない。本質的な良い人物が得られれば、死ぬまで仲よくできる。
求友若非良、非良中道變。
友人を求めていたとして、もしも良い人物でなかったら、その良くない人物はきっと途中で心変わりするものだろう。
欲知求友心、先把黄金錬。
普通の人たちが友人を求める心を知ろうとするならば、まず黄金を精錬する門閥を見つけ出すことからということだ。

友を求む
北風 大海に臨み、堅冰 河面に臨む。
下に大波瀾有れども、之に対するに見る由無し。
友を求むるは須らく良に在るべし、良を得れば終に相善し。
友を求めて若し良に非ざれば、非良 中道にて変ず。
友を求むるの心を知らんと欲せば、先づ黄金を把つて錬ぜよ。


交遊者五首(紀 頌之選定) 現代語訳と訳註
(本文) 求友
北風臨大海、堅冰臨河面。
下有大波瀾、對之無由見。
求友須在良、得良終相善。
求友若非良、非良中道變。
欲知求友心、先把黄金錬。

(下し文) 友を求む
北風 大海に臨み、堅冰 河面に臨む。
下に大波瀾有れども、之に対するに見る由無し。
友を求むるは須らく良に在るべし、良を得れば終に相善し。
友を求めて若し良に非ざれば、非良 中道にて変ず。
友を求むるの心を知らんと欲せば、先づ黄金を把つて錬ぜよ。

(現代語訳)
北風は冬である大海原に臨み春を待つことになる。清廉潔白を示す堅い氷にたいし、水は東流するのが道理である河面に臨むものなのである。
人生にはその過程でよいこと、悪いことの大きな波乱があるものである、これに対してそれを見ていていちいち理由づけをしないものだ。
友人を求めるなら根っから良い人物でなければならない。本質的な良い人物が得られれば、死ぬまで仲よくできる。
友人を求めていたとして、もしも良い人物でなかったら、その良くない人物はきっと途中で心変わりするものだろう。
普通の人たちが友人を求める心を知ろうとするならば、まず黄金を精錬する門閥を見つけ出すことからということだ。

(訳注)
北風臨大海、堅冰臨河面。
北風は冬である大海原に臨み春を待つことになる。清廉潔白を示す堅い氷にたいし、水は東流するのが道理である河面に臨むものなのである。
○北風 五行思想で北は冬、海原の蒼は春を示す。寒さに立ちむかう人生訓。○堅冰 氷は清廉潔白を示す。水は東流する。道理と清廉を示す。

下有大波瀾、對之無由見。
人生にはその過程でよいこと、悪いことの大きな波乱があるものである、これに対してそれを見ていていちいちいち理由づけをしないものだ。
○大波瀾 人生にはいろんな出来事がある。○由見 見ていることへの理由づけのこと。

求友須在良、得良終相善。
友人を求めるなら根っから良い人物でなければならない。本質的な良い人物が得られれば、死ぬまで仲よくできる。
○誰かにとって良いというのでは、時代、時期状況によって変化するもの。

求友若非良、非良中道變。
友人を求めていたとして、もしも良い人物でなかったら、その良くない人物はきっと途中で心変わりするものだろう。
○求友 友人を求める。自分が相手に抑止相手もよくするという友人関係の設定ではなく、その性格はその人に備わったものとしている。孟郊の生活環境から普通との違和を感じさせるものである。

欲知求友心、先把黄金錬。
普通の人たちが友人を求める心を知ろうとするならば、まず黄金を精錬する門閥を見つけ出すことからということだ。
○貧乏生活、科挙の試験のための浪人生活が長いための内容である。


 詩の前半は儒教精神を表現したものであり、いびつな青春を過ごしてきた人間にとっての友を求めるのである。疑う気持ちをもって求めることでよい朋ができるものであろうか。詩は詩として語を並べた感がしてならないものである。
 受験という目標を持った生活の中で本来なら本音の付き合いができるはずのものである。門閥・コネと賄賂で便宜を図られる科挙試験の中で親友が求められたのかというとなかなか難しい。







孟郊の交遊の詩(2)「擇友」 #1



孟郊の長安の交遊者五首(紀 頌之選定)について
「求友」、「択友」、「結交」、「勤友」、「審交」孟郊作
30年近くもその人生のほとんどを科挙試験に費やした特異な人生で誰から見てもおかしくない友情関係はできないであろう。受験は母の力強い応援があったことは孟郊の詩に残っている。しかし、周りの援助がなかったら続けられなかったであろう。その生活から、まともな人生観は無いだろう。今回は2回目、孟郊の友を選ぶ条件とはなんであろうか、という詩である。

擇友 #1 孟郊
獸中有人性,形異遭人隔。
獣の心の中に人の様な性があるという、実際の獣は人と姿形がちがうのであったとしても人とは分け隔てられるものである
人中有獸心,幾人能真識。
人の中にも獣の心があるのである、はたして何人が本当のことを知っているのだろうか。
古人形似獸,皆有大聖コ。
古代人は生産手段が未発達で姿は獣に似ていたものである、しかし、皆、三皇五帝などが示すように大きな聖徳の政治がおこなわれた。
今人表似人,獸心安可測。
今人は表面は人に似ているのである、しかし、その人間に獣の心があることをどうして測り知ることができよう
雖笑未必和,雖哭未必戚。
人というもの表面で笑ってはいても必ずしも和やかであるというものではない、それからすると、人は声をあげて泣いていても必ずしも悲しんではいないということもあるのだ。
面結口頭交,肚里生?棘。
表面的な事を示すことは口先ばかりの交際をしていることがある、そういう人の腹のうちにはイバラのようなとげのある悪口を生じているものである。
#2
好人常直道,不?世間逆。惡人巧諂多,非義苟且得。
若是效真人,堅心如鐵石。不諂亦不欺,不奢複不溺。
面無吝色容,心無詐憂タ。君子大道人,朝夕恒的的。
#1
獣中に人性有り、形異なり 人の隔つるに遭ふ。
人中に獣心有り、幾人か能く真に識る。
古人 形 獣に似るも、皆 大いなる聖徳有り。
今人 表は人に似るも、獣心 安んぞ測るべけん。
笑ふと雖も未だ必ずしも和せず、哭すと雖も未だ必ずしも戚ならず。
面は口頭の交はりを結ぶ、肚(はら)の裏は?棘を生ず。
#2
好き人は常に直道し、世間の逆に順はず。
悪しき人は巧諂(こうてん)多く、非義にして苟且に得る。
是くの若く真人に效(なら)えば、堅き心は鉄石の如し。
諂(へつら)わず 亦 欺(あざむ)かず、奢(おご)らず複た溺れず。
面 色容を吝(お)しむ無く、心 憂タ(ゆうてき)を詐(いつわ)る無し。
君子は大道の人、朝夕 恒(つね)に的的たり。




擇友 現代語訳と訳註
(本文) #1
獸中有人性,形異遭人隔。
人中有獸心,幾人能真識。
古人形似獸,皆有大聖コ。
今人表似人,獸心安可測。
雖笑未必和,雖哭未必戚。
面結口頭交,肚里生?棘。

(下し文) #1
獣中に人性有り、形異なり 人の隔つるに遭ふ。
人中に獣心有り、幾人か能く真に識る。
古人 形 獣に似るも、皆 大いなる聖徳有り。
今人 表は人に似るも、獣心 安んぞ測るべけん。
笑ふと雖も未だ必ずしも和せず、哭すと雖も未だ必ずしも戚ならず。
面は口頭の交はりを結ぶ、肚(はら)の裏は?棘を生ず。
(現代語訳)
獣の心の中に人の様な性があるという、実際の獣は人と姿形がちがうのであったとしても人とは分け隔てられるものである
人の中にも獣の心があるのである、はたして何人が本当のことを知っているのだろうか。
古代人は生産手段が未発達で姿は獣に似ていたものである、しかし、皆、三皇五帝などが示すように大きな聖徳の政治がおこなわれた。
今人は表面は人に似ているのである、しかし、その人間に獣の心があることをどうして測り知ることができよう
人というもの表面で笑ってはいても必ずしも和やかであるというものではない、それからすると、人は声をあげて泣いていても必ずしも悲しんではいないということもあるのだ。
表面的な事を示すことは口先ばかりの交際をしていることがある、そういう人の腹のうちにはイバラのようなとげのある悪口を生じているものである。

(訳注)
獸中有人性,形異遭人隔。
獣の心の中に人の様な性があるという、実際の獣は人と姿形がちがうのであったとしても人とは分け隔てられるものである。
○獸中有人性 獣中の獣とは人の中の獣の心情、異民族の生活習慣を含むものと考える。○形異 形が違う。○遭人隔 遭えば人と隔てられる。
 
人中有獸心,幾人能真識。
人の中にも獣の心があるのである、はたして何人が本当のことを知っているのだろうか。
○幾人 幾人〜だろうか。○能真識 本当のことを知っているのだろうか。
 
古人形似獸,皆有大聖コ。
古代人は生産手段が未発達で姿は獣に似ていたものである、しかし、皆、三皇五帝などが示すように大きな聖徳の政治がおこなわれた。
○古人 昔の人。また、昔のすぐれた人。この場合古代人を言うのであろうか。○形似獸 生活様式が未発達のことを言うのか。農耕民族でなく狩猟民族のことを言うのであろうか。○大聖コ 三皇五帝など古代には仁徳のある政治が行われていたということを言う。

今人表似人,獸心安可測。
今人は表面は人に似ているのである、しかし、その人間に獣の心があることをどうして測り知ることができよう。
○今人 古代人に対して今の人間。○表似人 表面は人に似ている。○安可測 どうして測り知ることができよう。

雖笑未必和,雖哭未必戚。
人というもの表面で笑ってはいても必ずしも和やかであるというものではない、それからすると、人は声をあげて泣いていても必ずしも悲しんではいないということもあるのだ。
○必和 必ず和やかであるさま。○必戚 必ず悲しむさま。

面結口頭交,肚里生?棘。
表面的な事を示すことは口先ばかりの交際をしていることがある、そういう人の腹のうちにはイバラのようなとげのある悪口を生じているものである。
○面結 表面的な事。表面でおこった出来事。○口頭交 口先ばかりの交際をしている。○肚里 はら【腹/肚】 [名]1 動物の、胸部と尾部との間の部分。胴の後半部。また、背に対して、地に面する側。人間では、胸から腰の間で中央にへそがある前面の部分。横隔膜と骨盤の間で、胃腸のある部分。腹部。○生?棘 イバラのようなとげのある悪口を生じているもの。





1(2)擇友 #2
擇友 孟郊
#1
獸中有人性,形異遭人隔。人中有獸心,幾人能真識。
古人形似獸,皆有大聖コ。今人表似人,獸心安可測。
雖笑未必和,雖哭未必戚。面結口頭交,肚里生?棘。
#2
好人常直道,不?世間逆。
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
惡人巧諂多,非義苟且得。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
若是效真人,堅心如鐵石。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
不諂亦不欺,不奢複不溺。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要である。
面無吝色容,心無詐憂タ。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。
君子大道人,朝夕恒的的。
君子はそのような大道にたつ人であるのだ、朝夕、いつも明らかな存在であるのである。
#1
獣中に人性有り、形異なり 人の隔つるに遭ふ。
人中に獣心有り、幾人か能く真に識る。
古人 形 獣に似るも、皆 大いなる聖徳有り。
今人 表は人に似るも、獣心 安んぞ測るべけん。
笑ふと雖も未だ必ずしも和せず、哭すと雖も未だ必ずしも戚ならず。
面は口頭の交はりを結ぶ、肚(はら)の裏は?棘を生ず。
#2
好き人は常に直道し、世間の逆に順はず。
悪しき人は巧諂(こうてん)多く、非義にして苟且に得る。
是くの若く真人に效(なら)えば、堅き心は鉄石の如し。
諂(へつら)わず 亦 欺(あざむ)かず、奢(おご)らず複た溺れず。
面 色容を吝(お)しむ無く、心 憂タ(ゆうてき)を詐(いつわ)る無し。
君子は大道の人、朝夕 恒(つね)に的的たり。

擇友 現代語訳と訳註
(本文) #2
好人常直道,不?世間逆。
惡人巧諂多,非義苟且得。
若是效真人,堅心如鐵石。
不諂亦不欺,不奢複不溺。
面無吝色容,心無詐憂タ。
君子大道人,朝夕恒的的。

(下し文) #2
好き人は常に直道し、世間の逆に順はず。
悪しき人は巧諂(こうてん)多く、非義にして苟且に得る。
是くの若く真人に效(なら)えば、堅き心は鉄石の如し。
諂(へつら)わず 亦 欺(あざむ)かず、奢(おご)らず複た溺れず。
面 色容を吝(お)しむ無く、心 憂タ(ゆうてき)を詐(いつわ)る無し。
君子は大道の人、朝夕 恒(つね)に的的たり。 
(現代語訳)
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要である。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。

孟郊(2)擇友 #2  (訳注)
好人常直道,不?世間逆。
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
○好人 好まれる良い人物。○直道 筋の通ったまっすぐなもの言いをする。○不? 流れに従わないこと。○世間逆 世間の人々の行う邪な道をいう。

惡人巧諂多,非義苟且得。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
○惡人 悪い人間とされるもの。○巧諂 巧みな言葉、媚び諂うこと。○非義 正義にそむくこと。○苟且得。
いやしく‐も【苟も】 [副]《形容詞「いやし」の連用形+係助詞「も」から》1 仮にも。かりそめにも。「―人の上に立つ者のすべきことではない」2 もしも。万一。ここではごまかすことそしてものを得る。

若是效真人,堅心如鐵石。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
○效 お手本にすること。○真人 真っ当な人。○堅心やろうと思って決心をした心持。

不諂亦不欺,不奢複不溺。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要なのである。

面無吝色容,心無詐憂タ。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。
○面無 表面的な事はないということ。○吝色容 容貌と顔色。みめかたち、また、みめかたちのよいこと、美貌に関して惜しむものだ。○心無 心の思いがないこと。○詐憂タ 憂えおそれる気待ちを詐ったりはしない。

君子大道人,朝夕恒的的。
君子はそのような大道にたつ人であるのだ、朝夕、いつも明らかな存在であるのである。
○大道人 大道にたつ人。○恒的的いつも明らかな存在である。



擇友 孟郊
#1
獸中有人性,形異遭人隔。人中有獸心,幾人能真識。
古人形似獸,皆有大聖コ。今人表似人,獸心安可測。
雖笑未必和,雖哭未必戚。面結口頭交,肚里生?棘。
#2
好人常直道,不?世間逆。惡人巧諂多,非義苟且得。
若是效真人,堅心如鐵石。不諂亦不欺,不奢複不溺。
面無吝色容,心無詐憂タ。君子大道人,朝夕恒的的。

獸中有人性,形異遭人隔。
獣の心の中に人の様な性があるという、実際の獣は人と姿形がちがうのであったとしても人とは分け隔てられるものである。
○獸中有人性 獣中の獣とは人の中の獣の心情、異民族の生活習慣を含むものと考える。○形異 形が違う。○遭人隔 遭えば人と隔てられる。
 
人中有獸心,幾人能真識。
人の中にも獣の心があるのである、はたして何人が本当のことを知っているのだろうか。
○幾人 幾人〜だろうか。○能真識 本当のことを知っているのだろうか。
 
古人形似獸,皆有大聖コ。
古代人は生産手段が未発達で姿は獣に似ていたものである、しかし、皆、三皇五帝などが示すように大きな聖徳の政治がおこなわれた。
○古人 昔の人。また、昔のすぐれた人。この場合古代人を言うのであろうか。○形似獸 生活様式が未発達のことを言うのか。農耕民族でなく狩猟民族のことを言うのであろうか。○大聖コ 三皇五帝など古代には仁徳のある政治が行われていたということを言う。

今人表似人,獸心安可測。
今人は、表面は人に似ているのである、しかし、その人間に獣の心があることをどうして測り知ることができよう。
○今人 古代人に対して今の人間。○表似人 表面は人に似ている。○安可測 どうして測り知ることができよう。

雖笑未必和,雖哭未必戚。
人というもの表面で笑ってはいても必ずしも和やかであるというものではない、それからすると、人は声をあげて泣いていても必ずしも悲しんではいないということもあるのだ。
○必和 必ず和やかであるさま。○必戚 必ず悲しむさま。

面結口頭交,肚里生?棘。
表面的な事を示すことは口先ばかりの交際をしていることがある、そういう人の腹のうちにはイバラのようなとげのある悪口を生じているものである。
○面結 表面的な事。表面でおこった出来事。○口頭交 口先ばかりの交際をしている。○肚里 はら【腹/肚】 [名]1 動物の、胸部と尾部との間の部分。胴の後半部。また、背に対して、地に面する側。人間では、胸から腰の間で中央にへそがある前面の部分。横隔膜と骨盤の間で、胃腸のある部分。腹部。○生?棘 イバラのようなとげのある悪口を生じているもの。

好人常直道,不?世間逆。
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
○好人 好まれる良い人物。○直道 筋の通ったまっすぐなもの言いをする。○不? 流れに従わないこと。○世間逆 世間の人々の行う邪な道をいう。

惡人巧諂多,非義苟且得。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
○惡人 悪い人間とされるもの。○巧諂 巧みな言葉、媚び諂うこと。○非義 正義にそむくこと。○苟且得。
いやしく‐も【苟も】 [副]《形容詞「いやし」の連用形+係助詞「も」から》1 仮にも。かりそめにも。「―人の上に立つ者のすべきことではない」2 もしも。万一。ここではごまかすことそしてものを得る。

若是效真人,堅心如鐵石。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
○效 お手本にすること。○真人 真っ当な人。○堅心やろうと思って決心をした心持。

不諂亦不欺,不奢複不溺。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要なのである。

面無吝色容,心無詐憂タ。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。
○面無 表面的な事はないということ。○吝色容 容貌と顔色。みめかたち、また、みめかたちのよいこと、美貌に関して惜しむものだ。○心無 心の思いがないこと。○詐憂タ 憂えおそれる気待ちを詐ったりはしない。

君子大道人,朝夕恒的的。
君子はそのような大道にたつ人であるのだ、朝夕、いつも明らかな存在であるのである。
○大道人 大道にたつ人。○恒的的いつも明らかな存在である。


解説
 古人が良くて、今人が良くないといっているのではない。「最近の若い者は、昔の人は・・・・・」といういみであろう。自分が生きていて経験していることが、今人としてのものを述べていて、古人と表現されるものは、いわゆる儒家の思想である。
 
この詩で、孟郊の言い分の痛烈な言葉としては「巧諂多」,「非義」「苟且得」「奢」である。当時の唐王朝、初期の「貞観の治」では科挙試験のみならず、若い時に地方知事に赴任させ、仁徳をもってよく収めたものを中央の高級官僚にして行くシステムがあった。次の「開元の治」では玄宗の無能により、李林甫の「巧諂多」,「非義」「苟且得」「奢」の奸臣を重用、政治のバランスに異民族を登用した。韓愈・孟郊の時代は「中興の治」といわれるが、宦官の力が強大になり、実質の政治を動かしたのである。この時代、皇帝も宦官の差し出す、媚薬により、短命で、頽廃的にならざるを得なかった。そのような情勢下で30年も科挙のための浪人生活をしていた孟郊である。作詩自体は、レベルは高いが、内容的にはこの程度かという内容である。韓愈の詩と対照的である。盛唐の、李白、杜甫、王維、孟浩然などの詩のレベルが強烈なため、多くいる中唐の文人、詩人は独自性を出していくのに大変苦労したと思う。







孟郊の交遊の詩(3)「結交」

「結交」

結交
鑄鏡須青銅,青銅易磨拭。
鏡を鋳造するには黄金食に輝く青銅を必要とする。青銅は磨くときれいにかがやきやすいからである。
結交遠小人,小人難姑息。
人と腹を割った付き合いをするには度量の小さい「小人」を遠ざけることである。小人は根本的な解決ではなく、一時しのぎをするので根本の解決をすることが難しいからである。
鑄鏡圖鑒微,結交圖相依。
鏡を鋳造するのは、微かな顔の変化ということでも映し出してあきらかにしようとするからである。人と腹を割った交際するのは、互いに相関することをかんがえているからである。
凡銅不可照,小人多是非。
平凡な銅は鏡にしたところで照らすことができない。小人は目先の是非でもってきめていくことが多いのである。
交わりを結ぶ
鏡を鋳るには青銅を須(もち)ふ、青銅は磨拭し易し。
交はりを結ぶには小人を遠ざく、小人は姑息し難し。
鏡を鋳るは微を鑒するを図る、交はりを結ぶは相依るを図る。
凡銅 照らすべからず、小人 是非多し。



結交 現代語訳と訳註
(本文)
鑄鏡須青銅,青銅易磨拭。
結交遠小人,小人難姑息。
鑄鏡圖鑒微,結交圖相依。
凡銅不可照,小人多是非。
(下し文) 交わりを結ぶ
鏡を鋳るには青銅を須(もち)ふ、青銅は磨拭し易し。
交はりを結ぶには小人を遠ざく、小人は姑息し難し。
鏡を鋳るは微を鑒するを図る、交はりを結ぶは相依るを図る。
凡銅 照らすべからず、小人 是非多し。

(現代語訳)
鏡を鋳造するには黄金食に輝く青銅を必要とする。青銅は磨くときれいにかがやきやすいからである。
人と腹を割った付き合いをするには度量の小さい「小人」を遠ざけることである。小人は根本的な解決ではなく、一時しのぎをするので根本の解決をすることが難しいからである。
鏡を鋳造するのは、微かな顔の変化ということでも映し出してあきらかにしようとするからである。人と腹を割った交際するのは、互いに相関することをかんがえているからである。
平凡な銅は鏡にしたところで照らすことができない。小人は目先の是非でもってきめていくことが多いのである。

(訳注)
鑄鏡須青銅,青銅易磨拭。
鏡を鋳造するには黄金食に輝く青銅を必要とする。青銅は磨くときれいにかがやきやすいからである。
○鑄鏡 鋳造して鏡を作る。○青銅 放置すれば酸化銅で青緑に変色するが、磨けば黄金色に光ったもの。○磨拭 鏡の表面をよく磨きふき取ること。

結交遠小人,小人難姑息。
人と腹を割った付き合いをするには度量の小さい「小人」を遠ざけることである。小人は根本的な解決ではなく、一時しのぎをするので根本の解決をすることが難しいからである。
○結交 腹を割った付き合いをする交際。○姑息 根本的な解決ではなく、一時しのぎをする・はかること。「姑」は仮初め、「息」は休みの意。 「卑劣」と同意語のつもりで使っている例が多いが、これは誤用。○小人 器量や度量の小さい人や、人間として小さい人物を指す。また、身分の低い人を指す場合も。 この場合の読み方は"こびと"ではなく"しょうじん"となる。 孔子の言葉に「唯女子と小人とは養い難し」とある。

鑄鏡圖鑒微,結交圖相依。
鏡を鋳造するのは、微かな顔の変化ということでも映し出してあきらかにしようとするからである。人と腹を割った交際するのは、互いに相関することをかんがえているからである。
○鑒微 〔「かがみ(鏡)」と同源。映し見る意から〕規範とすべきもの。模範。手本。亀鑑(きかん)。○相依 相関関係をいう。

凡銅不可照,小人多是非。
平凡な銅は鏡にしたところで照らすことができない。小人は目先の是非でもってきめていくことが多いのである。
 「鋳鏡」と「青銅」、「結交」と「小人」が、蝉聯体、反復的表現を多用しながら述べられる。

解説 
文人、あるいは、浪人、志を持っている者に対して、肉親、親族など周りのものは応援するものであり、富豪、貴族は優秀なものを発見し、育てるのが役割であった。儒教的なものは、書生に援助をすることは当然のことであった。そういう中での友人関係を述べているわけで、お互いが頼りあえるものでなければ友人ではなかったのだ。したがって、小人の打算、姑息を徹底的に排除すべきであるとしたのだろう。
これは、初唐代では最も強調されたもので詩題に弱くなるが近代まで続いた通念であった。政治的経済的な援助を期待するという考えは普通のこととして存在した。援助したものは、その人間が出世すれば、数倍になって帰ってくることも通念であった。
孟郊が交友における「利」を否定することも矛盾しない。友人に助けてもらおうとするのは、当時は決して「利」を求めることではなかったのである。





孟郊の交遊の詩(4)「勸友」




「勸友」

勸友 孟郊
至白涅不緇,至交淡不疑。
白いものの中で真っ白の物を選んでこれ以上の白はないという白は黒く染めようとしても黒くならない。親密な上に親密な交際というものは気持をあっさりして疑いの心がないことをいうのである。
人生靜躁殊,莫厭相箴規。
人生というものは、静かにすごすことと忙しく騒がしくすごすこととはことなるものだ、いましめて行動や判断のよりどころとなる基準に従うことをいやがってはならない。
膠漆武可接,金蘭文可思。
膠と漆のような堅い友情は後々まで継続していくものである。金蘭の美しい非常に親密な交わりは彩のある文章にすることを思わないといけない。
堪嗟無心人,不如松柏枝。
ああ、悲しいことではないか、心のない人がいるという、そのことは、いつも常緑の葉をつけて信念を曲げない松柏の枝には及ばないことである。

友を勧む
至白は涅すれども緇(くろ)まず、至交は談けれども疑わず。
人生 靜躁 殊なる、相 箴規するを厭ふ莫かれ
膠漆 武(あと)接ぐべく、金蘭 文 思ふべし。
嗟くに堪へたり 無心の人の、松柏の枝に如かざるを。




勸友 現代語訳と訳註
(本文) 勸友 孟郊
至白涅不緇,至交淡不疑。
人生靜躁殊,莫厭相箴規。
膠漆武可接,金蘭文可思。
堪嗟無心人,不如松柏枝。

(下し文) 友を勧む
至白は涅(くり)すれども緇(くろ)まず、至交は淡けれども疑わず。
人生 靜躁 殊なる、相 箴規するを厭ふ莫かれ
膠漆(こうしつ) 武(あと)接ぐべく、金蘭 文 思ふべし。
嗟くに堪へたり 無心の人の、松柏の枝に如かざるを。

(現代語訳)
白いものの中で真っ白の物を選んでこれ以上の白はないという白は黒く染めようとしても黒くならない。親密な上に親密な交際というものは気持をあっさりして疑いの心がないことをいうのである。
人生というものは、静かにすごすことと忙しく騒がしくすごすこととはことなるものだ、いましめて行動や判断のよりどころとなる基準に従うことをいやがってはならない。
膠と漆のような堅い友情は後々まで継続していくものである。金蘭の美しい非常に親密な交わりは彩のある文章にすることを思わないといけない。
ああ、悲しいことではないか、心のない人がいるという、そのことは、いつも常緑の葉をつけて信念を曲げない松柏の枝には及ばないことである。

(訳注)
至白涅不緇,至交淡不疑。
白いものの中で真っ白の物を選んでこれ以上の白はないという白は黒く染めようとしても黒くならない。親密な上に親密な交際というものは気持をあっさりして疑いの心がないことをいうのである。
○至白 白いものの中で真っ白の物を選んでこれ以上の白はないというもの。○涅 (1)水の底によどんだ黒い土。黒色の染料として用いる。[和名抄] (2)「涅色(くりいろ)」の略。○至交 親密な交際の中でもさらに上級なもの。○淡 1 色などが濃くない。あわい。「淡黄・淡彩・淡粧/濃淡」 2 塩けがない。「淡湖・淡水」 3 気持ちがあっさりしている。情が厚くない。「淡交・淡淡・淡泊/枯淡・恬淡(てんたん)・冷淡」.

人生靜躁殊,莫厭相箴規。
人生というものは、静かにすごすことと忙しく騒がしくすごすこととはことなるものだ、いましめて行動や判断のよりどころとなる基準に従うことをいやがってはならない。
○靜躁 しずかなことと、騒がしいこと○殊 普通とは違っている。特に。ことに。「殊遇・殊勲・殊勝/特殊」○箴規 1 いましめ。いましめの言葉。箴言(しんげん)。きそく、とりきめ。2 行動や判断のよりどころとなる基準

膠漆武可接,金蘭文可思。
膠と漆のような堅い友情は後々まで継続していくものである。金蘭の美しい非常に親密な交わりは彩のある文章にすることを思わないといけない。
○膠漆 にかわとうるし。きわめて親しく離れがたい関係のたとえ。「膠漆の交わり」○武可接 武は継続すべきこと。跡。先人の残した事業。○金蘭 非常に親密な交わり。非常に厚い友情。 2 ラン科の多年草。低山の木陰に生える。高さ約50センチ。葉は互生し、披針形で粗い縦じわがある。春、黄色の花を総状に10個ほどつける。○文可思 ・文はいろどり、学問、書物、文章、てがみ、韻文、詩文、文人。

堪嗟無心人,不如松柏枝。
ああ、悲しいことではないか、心のない人がいるという、そのことは、いつも常緑の葉をつけて信念を曲げない松柏の枝には及ばないことである。






孟郊の交遊の詩(5)「審交」
「審交」

審交 孟郊
種樹須擇地,惡土變木根。
樹を植えるには土地を選ぶことが必要なことだ。悪い土地は木の成長をだめにする根を変化させるのだ。
結交若失人,中道生謗言。
人が交際をするということは、たとえば人が自分から離れていくことがある、その人から悪口を言われ、世間で風評となることがあるのだ。
君子芳桂性,春榮冬更繁。
君子のもっている性は匂いのよい桂のようなものであり、春にさかんに香るのは当然で、冬になってもますます生い繁るというものだ。
小人槿花心,朝在夕不存。
小人というものは、その心は木槿の花のようであり、朝咲いて夕方にはしぼんでなくなっている。
莫躡冬冰堅,中有潛浪翻。
冬の氷が堅くなるものであるがうっかり踏んではならないのだ。表面では固くても中ではゆるやかで波が翻っているのだ。
唯當金石交,可以賢達論。
ただ、だれも思うことは、金石のような変わらぬ交際のためには、その賢達についての人物について論ずるべきなのである。
交わりを審(つまびら)かにす
樹を種うるは須らく地を択ぶべし、悪土は木根を変ず。
交はりを結んで若し人を失へば、中道にて謗言を生ず。
君子は芳桂の性、春栄え 冬更に繁る。
小人は槿花の心、朝在るも 夕べは存せず。
躡(ふ)む莫かれ 冬冰の堅きを、中に潜浪の翻る有り。
唯だ金石の交わりに当たっては、賢達の論を以てすべし。

審交 現代語訳と訳註
(本文)
種樹須擇地,惡土變木根。
結交若失人,中道生謗言。
君子芳桂性,春榮冬更繁。
小人槿花心,朝在夕不存。
莫躡冬冰堅,中有潛浪翻。
唯當金石交,可以賢達論。
(下し文) 交わりを審かにす
樹を種うるは須らく地を択ぶべし、悪土は木根を変ず。
交はりを結んで若し人を失へば、中道にて謗言を生ず。
君子は芳桂の性、春栄え 冬更に繁る。
小人は槿花の心、朝在るも 夕べは存せず。
躡(ふ)む莫かれ 冬冰の堅きを、中に潜浪の翻る有り。
唯だ金石の交はりに当たっては、賢達の論を以てすべし。
(現代語訳)
樹を植えるには土地を選ぶことが必要なことだ。悪い土地は木の成長をだめにする根を変化させるのだ。
人が交際をするということは、たとえば人が自分から離れていくことがある、その人から悪口を言われ、世間で風評となることがあるのだ。
君子のもっている性は匂いのよい桂のようなものであり、春にさかんに香るのは当然で、冬になってもますます生い繁るというものだ。
小人というものは、その心は木槿の花のようであり、朝咲いて夕方にはしぼんでなくなっている。
冬の氷が堅くなるものであるがうっかり踏んではならないのだ。表面では固くても中ではゆるやかで波が翻っているのだ。
ただ、だれも思うことは、金石のような変わらぬ交際のためには、その賢達についての人物について論ずるべきなのである。

(訳注)
種樹須擇地,惡土變木根。
(樹を種うるは須らく地を択ぶべし、悪土は木根を変ず。)
樹を植えるには土地を選ぶことが必要なことだ。悪い土地は木の成長をだめにする根を変化させるのだ。
○種樹 友という樹を植えるならということだが、朋の存在するグループということである。○悪土 利害関係を指す。友人グループの全体の持っている成り立ち、派閥の性格などをいう。

結交若失人,中道生謗言。
(交わりを結んで若し人を失へば、中道にて謗言を生ず。)
人が交際をするということは、たとえば人が自分から離れていくことがある、その人から悪口を言われ、世間で風評となることがあるのだ。
○中道 世間で言われること。世間で風評となること。
○失人 この時代の人を失うとは、グループの離脱を意味するもので、何らかの力が働くか、誤解の上でこじれてグループを離脱することであるため、誹謗中傷につながる。○謗言 誹謗 (ひぼう) する言葉。悪口。

君子芳桂性,春榮冬更繁。
(君子は芳桂の性、春栄え 冬更に繁る。)
君子のもっている性は匂いのよい桂のようなものであり、春にさかんに香るのは当然で、冬になってもますます生い繁るというものだ。
○君子 儒教の君子という意味もあるが、グループ内でのよきリーダーということもいえるのではなかろうか。孟郊は青春を受験で過ごしており、詩や、世界観が極端に狭いので、孟郊の使う語句には奥行、味わい深さというものが全くない。

小人槿花心,朝在夕不存。
(小人は槿花の心、朝在るも 夕べは存せず。)
小人というものは、その心は木槿の花のようであり、朝咲いて夕方にはしぼんでなくなっている。
○槿花 むくげの花が朝咲いて、夕暮れには散ることからいう。 ・「槿花」はむくげの花。はかないたとえ。また、「小人、槿花の心」(つまらない人の心はむくげの花のように移ろいやすい)などといって、人の心は変わりやすいことのたとえ。

莫躡冬冰堅,中有潛浪翻。
(躡(ふ)む莫かれ 冬冰の堅きを、中に潜浪の翻る有り。)
冬の氷が堅くなるものであるがうっかり踏んではならないのだ。表面では固くても中ではゆるやかで波が翻っているのだ。
○冰堅 氷の結晶をいうのであるが、いろんなグループからの誘いを示すもの。孟郊の詩は遇言詩である。この場合も過去の苦い経験からグループを検討することを示すもの。

唯當金石交,可以賢達論。
(唯だ金石の交はりに当たっては、賢達の論を以てすべし。)
ただ、だれも思うことは、金石のような変わらぬ交際のためには、その賢達についての人物について論ずるべきなのである。
○賢達 賢者の尊敬語。グループ内の賢者の人物、そのなかで尊敬でき得る人物であるから、立派な尊敬できるリーダーということ。
 朝開いていた花が夕方にはしぼんで亡くなっているような友人ではどうしようもない。年中緑の葉を留めている松であっても、その地が悪い土地に変化していけばやがて枯れることになる。
 友はグループ全体を見なければいけない、そして、賢者の中で最も尊敬できる人との論議を重ねていくことが人生にとって良いことなのだと説いている。







孟郊の交遊の詩(6) 結愛

結愛


結愛 孟郊
心心複心心,結愛務在深。
心の中のこころ、そして、そのなかの心の中の心で思うことがある、愛を結び通い合わせることは、心の奥底に必ず置いておかないといけないのだ。
一度欲離?,千迴結衣襟;
ひとたび別れることを思って別れたら、千回繰り返しても前身ごろを結んでしまってしまうものだ。
結妾獨守志,結君早歸意。
妾と結ぶにはひとり志を守らないといけない、芸妓と結ぶには一番に自分の思いを決め、そこに気持ちを置いてはいけない。
始知結衣裳,不如結心腸。
まず、はじめに知ることは衣服、衣裳を結ぶことである、心と体腹の底まで武?部以外にないのだ。
坐結行亦結,結盡百年月。
常日頃、結ぶということはこちらら行動して、そのあとで結ばれる、そうして結ばれたという場合、屡々百年の月日続くというものだ。

心の心を 複た心の心,愛を結ぶには 深く在るに務む。
一度 離?せんと欲す,千たび迴る 衣襟を結ぶ;
妾に結ぶは獨り志を守り,君と結ぶは早に意を歸す。
始に衣裳を結ぶを知り,心腸を結ぶに如かざるを。
坐に行き亦 結びて結び,盡ばしば百年月を結ぶ。


結愛 現代語訳と訳註
(本文)
心心複心心,結愛務在深。
一度欲離?,千迴結衣襟;
結妾獨守志,結君早歸意。
始知結衣裳,不如結心腸。
坐結行亦結,結盡百年月。
(下し文)
心の心を 複た心の心,愛を結ぶには 深く在るに務む。
一度 離?せんと欲す,千たび迴る 衣襟を結ぶ;
妾に結ぶは獨り志を守り,君と結ぶは早に意を歸す。
始に衣裳を結ぶを知り,心腸を結ぶに如かざるを。
坐に行き亦 結びて結び,盡ばしば百年月を結ぶ。
(現代語訳)
心の中のこころ、そして、そのなかの心の中の心で思うことがある、愛を結び通い合わせることは、心の奥底に必ず置いておかないといけないのだ。
ひとたび別れることを思って別れたら、千回繰り返しても前身ごろを結んでしまってしまうものだ。
妾と結ぶにはひとり志を守らないといけない、芸妓と結ぶには一番に自分の思いを決め、そこに気持ちを置いてはいけない。
まず、はじめに知ることは衣服、衣裳を結ぶことである、心と体腹の底まで武?部以外にないのだ。
常日頃、結ぶということはこちらら行動して、そのあとで結ばれる、そうして結ばれたという場合、屡々百年の月日続くというものだ。

(訳注)
心心複心心,結愛務在深。
(心心 複 心心,愛を結ぶには 深く在るに務む。)
心の中のこころ、そして、そのなかの心の中の心で思うことがある、愛を結び通い合わせることは、心の奥底に必ず置いておかないといけないのだ。

一度欲離?,千迴結衣襟;
(一度 離?せんと欲す,千たび迴る 衣襟を結ぶ;)
ひとたび別れることを思って別れたら、千回繰り返しても前身ごろを結んでしまってしまう。
○衣襟 前身ごろ.○下の句から以降は、結ばれる事例としてかかる。

結妾獨守志,結君早歸意。
(妾に結ぶは獨り志を守り,君と結ぶは早(つと)に意を歸す。)
妾と結ぶにはひとり志を守らないといけない、芸妓と結ぶには一番に自分の思いを決め、そこに気持ちを置いてはいけない。
○妾 一人称の人称代名詞。謙遜の意味があり主に女性が使う。貴人に仕える女性、神に仕える女性、女子、という意味がある。また〔春秋左氏伝・僖公十七年〕から「女を人妾と爲す」を引用し、「娉(めと)らざるなり」と、めかけの意味を載せる。

始知結衣裳,不如結心腸。
(始に衣裳を結ぶを知り,心腸を結ぶに如かざるを。)
まず、はじめに知ることは衣服、衣裳を結ぶことである、心と体腹の底まで武?部以外にないのだ。

坐結行亦結,結盡百年月。
(坐に結び 行きて 亦 結び,盡ばしば百年月を結ぶ。)
常日頃、結ぶということはこちらら行動して、そのあとで結ばれる、そうして結ばれたという場合、屡々百年の月日続くというものだ。





春雨後」孟郊(7)
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五言絶句
万物の性・哲学
唐宋詩202 Z孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 「春雨後」孟郊(7)
春雨後 
昨夜一霎雨、天意蘇群物。
昨夜、わずか短い時間、雨が降った、天の意志で、群れを成し関連しあった万物を復活させるおつもりなのだ。
何物最先知、虚庭草争出。
その天意を最初に知ることになったのは何だろうか、冬枯れした庭の雑草が先を争って生えだした。

春雨の後
昨夜 一霎(いっしょう)の雨、天意 群物を蘇らす。
何物ぞ 最も先ず知る、虚庭 草 争い出ず。
春雨後 現代語訳と訳註
(本文)
昨夜一霎雨、天意蘇群物。
何物最先知、虚庭草争出。
(下し文) 春雨の後
昨夜 一霎(いっしょう)の雨、天意 群物を蘇らす。
何物ぞ 最も先ず知る、虚庭 草 争い出ず。

(現代語訳)
昨夜、わずか短い時間、雨が降った、天の意志で、群れを成し関連しあった万物を復活させるおつもりなのだ。
その天意を最初に知ることになったのは何だろうか、冬枯れした庭の雑草が先を争って生えだした。

(訳注)
昨夜一霎雨、天意蘇群物。
(昨夜 一霎(いっしょう)の雨、天意 群物を蘇らす。)
昨夜、わずか短い時間、雨が降った、天の意志で、群れを成し関連しあった万物を復活させるおつもりなのだ。
○一霎 短い時間 霎眼 瞬く間に. 霎?, 霎?? 一瞬の間.○天意 1 天の意志。造物主の意志。また、自然の道理。 2 天の意志。天子の思い、おぼしめし。○群物 群れを成し関連しあった万物。
何物最先知、虚庭草争出。
(何物ぞ 最も先ず知る、虚庭 草 争い出ず。)
その天意を最初に知ることになったのは何だろうか、冬枯れした庭の雑草が先を争って生えだした。
○虚庭 冬枯れした庭。手入れがなく荒廃した庭。○草争出 雑草が先を争って生える。

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 「古別離」孟郊(8)
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唐宋詩203 Z孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 「古別離」孟郊(8)

古別離
欲別牽カ衣,カ今到何處。
男が出かけようとするとき、男の着物を引っ張っている。そして言うことは、あなたは、今どこへ行こうとしているのですか。
不恨歸來遲,莫向臨?去。
あなたが帰るのが遅くなっても恨めしくは思ったりはしないけど。あの駆け落ちをしたという臨?(りんきょう)の様なことだけはしてくれるな。

別れんと欲して カが衣を 牽く,カ 今は 何(いづ)れの 處にか 到る。
歸來の 遲きを 恨みず,臨?(りんきょう)に 向かって去ること莫(な)かれ。





 現代語訳と訳註
(本文)
欲別牽カ衣,カ今到何處。
不恨歸來遲,莫向臨?去。
(下し文)
別れんと欲して カが衣を 牽く,カ 今は 何(いづ)れの 處にか 到る。
歸來の 遲きを 恨みず,臨?(りんきょう)に 向かって去ること莫(な)かれ。

(現代語訳)
男が出かけようとするとき、男の着物を引っ張っている。そして言うことは、あなたは、今どこへ行こうとしているのですか。
あなたが帰るのが遅くなっても恨めしくは思ったりはしないけど。あの駆け落ちをしたという臨?(りんきょう)の様なことだけはしてくれるな。 

(訳注)
古別離
楽府題。『楚辭』『招隱士』招辞の一種。
王孫遊兮不歸,春草生兮萋萋。
歳暮兮不自聊,蛄鳴兮啾啾。
『楚辭』のこの詩では、王孫とは屈原のことになる。王孫が帰ってくるのかどうかの女性の悩み。

欲別牽郎衣 郎今到何処
別れんと欲して カが衣を 牽く,カ 今は 何(いづ)れの 處にか 到る。
男が出かけようとするとき、男の着物を引っ張っている。そして言うことは、あなたは、今どこへ行こうとしているのですか。
○欲別 夫の出発に際して。別れようとする。 ○牽 引っ張る。 ○郎衣 男性の衣服。○郎 主人。夫。男性を謂う。 ○到 …に。…に到る。 ○何處 どこ。 

不恨帰来遅 莫向臨?去
歸來の 遲きを 恨まず,臨?(りんきょう)に 向かって去ること莫(な)かれ。
あなたが帰るのが遅くなっても恨めしくは思ったりはしないけど。あの駆け落ちをしたという臨?(りんきょう)の様なことだけはしてくれるな。 
○不恨 恨めしくは思わない。この語を伝統的に「恨みず」と訓ずる。「恨む」は国文法、他動詞・マ行上二段活用未然形「恨み」なので、「恨みず」。近世以降、四段化で、「恨まず」。 ○歸來 帰ってくる。もどる。 ○遲 〔ち〕おそくなる。おくれる。のろい。ゆっくり。ぐずぐずする。⇔「速」。なお、「晩」〔ばん〕(時期的に)おそい。暮れる。後になる。○莫向 …にするな。 ○臨? 〔りんきょう〕司馬相如が卓文君と恋に落ちて駆け落ちを始めたところ。男を惑わす女の居る所の意で使う。臨?は、秦の時代に置かれた県名。現・四川省?耒県。 ○去 行く。去る。
-------------------------------------
孟郊 中唐の詩人。字は東野。751年(天寶十年)〜814年(元和九年)。韓愈の哲学グループ。
韓 愈 孟郊に仕事の世話をよくしてやった。768年(大暦3年) - 824年(長慶4年)
-------------------------------------
女性の口を借りて、詠っているのであるが、儒教者の発想そのものである。風流なものを求めるわけではないが、司馬相如の故事のとらえ方が一般的でない。臨?という語、駆け落ちであるとか、女性との遊びということに限定して詩にしている。詩に奥深さがないのは儒教者の特徴である。逆に、下手なおやじギャグを見るようなのであるが、そこがとても好感を持てる詩というものである。





渭上思帰」孟郊(9)
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五言絶句
感謝
唐宋詩204 Z孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 「渭上思帰」孟郊(9)

渭上思帰
獨訪千里信、囘臨千里河。
ひとり長安で試験に臨んでいる、千里先の故郷の母は信頼し、及第することを信じてくれている、そしてまた、渭水は千里の先で故郷とつながっているだからこの川にのぞむと母につながっていることを感じるのである。
家在呉楚郷、涙寄東南波。
実家は呉と楚の国の地方の水郷にある、春風の波から夏の風の波に変わりつつある、また次の都市の試験を思うと涙が止まらない。
渭上の思帰
ひとり千里の信を訪う、また千里の河に臨む。
家は在り呉楚の郷、涙は寄す東南の波。




渭上思帰 現代語訳と訳註
(本文)
獨訪千里信、囘臨千里河。
家在呉楚郷、涙寄東南波。

(下し文)
ひとり千里の信を訪う、また千里の河に臨む。
家は在り呉楚の郷、涙は寄す東南の波。

(現代語訳)
ひとり長安で試験に臨んでいる、千里先の故郷の母は信頼し、及第することを信じてくれている、そしてまた、渭水は千里の先で故郷とつながっているだからこの川にのぞむと母につながっていることを感じるのである。
実家は呉と楚の国の地方の水郷にある、春風の波から夏の風の波に変わりつつある、また次の都市の試験を思うと涙が止まらない。

(訳注)
獨訪千里信、囘臨千里河。
ひとり千里の信を訪う、また千里の河に臨む。
ひとり長安で試験に臨んでいる、千里先の故郷の母は信頼し、及第することを信じてくれている、そしてまた、渭水は千里の先で故郷とつながっているだからこの川にのぞむと母につながっていることを感じるのである。
○千里信 長安と江南は千里以上もある。その間を信頼という絆でつながっている。あるいは、母の慈愛であろうか。○千里河 渭水は黄河に灌ぎ、黄河は運河を通じて長江のつながっている。都、長安の食料の大半が江南地方の生産物に頼っていた。

家在呉楚郷、涙寄東南波。
家は在り呉楚の郷、涙は寄す東南の波。
実家は呉と楚の国の地方の水郷にある、春風の波から夏の風の波に変わりつつある、また次の都市の試験を思うと涙が止まらない。
○呉楚郷 呉と楚の国の地方の水郷。浙江省、安徽省にある。○東南波 東の風は春を示す、春風に倚る波。春は、科挙の試験の季節。南は夏風による波、季節の移り変わりを詠ったものである。夏になる前から受験の準備にかかる。受験生は、毎年こうした季節を感じているのである。
 隋時代から始まった科挙試験、20歳前後から30年近く受験し続けた孟郊がすごいのか、息子を元気づける母親がすごいのか。現代人に理解できるのか。当時は貴族時代。当時としては科挙試験を宿命づけられた人にとって、頑張り続けるより道はなかったのだ。通常40歳を超え、45歳までにあきらめる場合が多かったようだが。