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  杜甫
 秦州の詩

84 秦州雑詩二十首(1)

58 秦州雑詩二十首 1-4
0)  (1)  (2)  (3)  (4)   (5)   (6)   (7)   (8)   (9)  (10) 
    (11)  (12) (13) (14) (15) (16) (17)  (18) (19)  (20)

(0)乾元2年759年48歳
 「秦州雑詩二十首」は五言律詩の二十首に亘る連作で、官を辞して、家族全員で旅に出た。
 杜甫は四十数年、士官だけを念頭にし生きてきた。自分の思いと現実のはざま、杜甫は約一年悩み、王維らに相談し、出した結論でした。そこに追い込んだのは皇帝の失政でしょう。@安禄山の叛乱は予測できたこと、Aそれに対する策が全くとらていなかったこと、B反乱を起こさせる数々の失政があった-税のこと、-府兵制の崩壊、-節度使に分権していったこと、C叛乱直後圧倒的な戦力を持ちながら陥落していったこと、などなど、これらすべてこの48歳秦州での詩の前後数年の詩から読み取れます。当時の状況から、直接的な表現をすると、叛乱軍とされます。200首ぐらいの詩にちりばめて以上のことを表現しています。確かに一部の師団長の叛乱から10年近く唐の全土に安穏の場所はないくらい大殺戮と略奪の数々あり、詩人は生きた心地がしなかったのである。そういった社会情勢の中、杜甫が家族を守れる手段は逃避しかなかった。最前線に赴任され守る方法も生きていく力もなくした杜甫は官を辞すよりなかったのです。東方、北方、南方すべて戦場、叛乱軍により、大殺戮があり、西方のみが逃避可能と考えられたのである。
 こうして秦州に逃げ込んだというわけであるが、まだ、官に心残りがあり、詩人として生きていく決意はしているものの葛藤している様子がうかがえる。

 秦州へ向かう杜甫の一行は、妻が杜甫より十歳下の三十八歳、長女は十三歳、長子
宗文は十歳、次子宗武は七歳、次女は五歳であった。ほかに異母弟の杜占が加わっている。家族は七人、ほかに従僕が二人くらいはいたので、総勢十人の大移動だ。杜甫は馬に乗り、家財を載せた車に小さな子供を同乗させた旅である。
 隴山を越える困難の旅は七月中に秦州に到着した。五言律詩の連作「秦州雑詩二十首」は秦州作、杜甫の人生を変える時期であったときの有名な作品集である。

「秦州雑詩」二十首は、四首ずつの五部構成になっているので、それに合わせページを
変更することとする。





杜甫s(1) 秦州雑詩二十首 其一(満目悲生事)
秦州雑詩二十首 其一(第一首は全体についてのぺる、あたかも総序の如くである。

満目悲生事、因人作遠遊。
遅廻度隴怯、浩蕩及関愁。
水落魚龍夜、山空鳥鼠秋。
西征問烽火、心折此淹留。

見わたす限り  世は悲しいことばかり
人をたよりに  遠方へ旅をする
隴山を越えるときは  怯えて道ははかどらず
関所にたどり着くと  愁いは増すばかりである
水嵩の落ちた魚龍川の夜
ひとけのない鳥鼠山の秋
西に旅して戦争のようすを聞き
心もくじけて  秦州に留まることにする

自分は今、悲しいことには目にふるるもの皆自己の生活に都合あしき事ばかりであって、他人の力に由りて遠方へたびをするのである。進みて陳坂の険路をとおるときはみちもはかどらず心がおぴえることであり、想像してみるとこれからさき辺境の関所のあるところまでゆくのだとおもうと気心もぱっとしてしまりなく愁えを催されノるのである。魚竜川のあたりの夜には水かさの減っているのがめだち、鳥鼠山の秋は何人も居らぬ寂しさが想像される。西方に旅行して前路に蜂火の有るや無きゃを問うてみると蜂火は有るのであって、それがため前進の心もくじけてしまい、ここの秦州で滞在するのである。

○秦州 駅西省筆昌府秦州。作者寓居の地。○雄詩 寅居中の種種のことについてのべたゆえひとまとめにして雑詩という。○生事 生活上の事、この句は生活の意の如くならぬことをさしていう。○因人 他人のカによる。これはその誰なるか不明であるが、秦州において作者を世話するから来いといってくれた人があったのであろう。○遠遊 華州の方より秦州まではみちがとおい。○遅廻 みちのはかどらぬさま。〇度陳怯 度は経過すること、陳は陳砥・瀧坂のこと、駅西省鳳翔府隣州の西北六十里にある大きな坂地である。○浩蕩 大きなさま、心の散漫なさまをいうのであろう。○及関 関は或は一般に辺地の関をさすとし、或は特に陳山の下の関をさすとする。前説が可なるに似るが、前説をとるときは「及」は「及ばんとする」ということで、将来にかかる語となるであろう。○水落 落は水量が減じて低落すること。○魚竜 川の名、折水のこと、隣州の南にあり、東南流して洞水に入る、これは自己のすでに経過した地についていう。○山空 空とは人の居らぬことをいう。○鳥鼠 山の名、鳥鼠同穴山ともいう、甘粛省蘭州消波県の西にある、これは未踏の地を想像してのべたもの。魚竜の旬は度陳の句を承け、鳥鼠の句は及関の句を承けるとみるべきである。○西征 征はゆくこと、征伐の意ではない。○間煙火 煙火は兵乱の急を告げるもの、問とはその有無を問うこと、当時陳西にわたって吐春の乱があった。○心折 心がくじけおれること。○此 秦州をさす。○掩留 ひさしくとどま

満目悲生事、因人作遠遊。
遅廻度隴怯、浩蕩及関愁。
水落魚龍夜、山空鳥鼠秋。
西征問烽火、心折此淹留。

満目 生事を悲しむ、人に因(よ)りて遠遊を作(な)す
遅廻(ちかい) 隴(ろう)を度(わた)りて怯(おび)え、浩蕩(こうとう)関(かん)に及んで愁う
水は落つ 魚龍の夜、山は空し 鳥鼠(ちょうそ)の秋
西征(せいせい)して烽火(ほうか)を問い、心(こころ)折(くだ)けて此(ここ)に淹留(えんりゅう)す

其の一で杜甫は「人に因りて遠遊を作す」と言っており、他人に頼る旅で、前途に何らかの成算のある旅ではなかった。
 杜甫は秦州につくとそこより西方は吐蕃との戦が激しくなっていることを聞き、秦州にとどまったのだ。「心折(くだ)けて」と官僚の世界に夢を捨てたと詠います。




杜甫s(2) 秦州雑詩二十首 其二(秦州城北寺)                
秦州雑詩二十首 其二(此の欝は随嵩の故跡をみたことと兼ねて懐郷の情をのべる。

秦州城北寺、勝跡隗囂宮。
苔蘚山門古、丹青野殿空。
月明垂葉露、雲逐渡渓風。
清渭無情極、愁時独向東。

秦州の城の北(東北)に寺が存しているが、これは風景すぐれた古跡でもとは随意の宮殿なのである。
見ればこけむして寺門も古びており、彩色もはげちょろけて野なかのごてんにはさっぱり人影さえ見えぬ。
夕方には下方へ垂れる葉においた露のうえに月の光がうつろい照り、渓をわたる風のために雲が逐いつ逐われつしている。
洞水のすんだ流れをみるとそれは情知らずの極みであって、この自分がこんなに愁えておるのをも知らずがおに彼の水は自分だけ東の方長安に向かってながれゆくのである。

秦州城北寺、勝跡隗囂宮。
○城北 北は東北をいったもの。○勝跡 景色のよい古跡。○随若宮 随喜は人名、秦州は漢代の天水郡にして前漢の末、王葬の時、随苦がこの地によって雄と称した、秦州の東百里に麦横山があり、山の北を離葉谷といい、上に晩嵩の避暑宮があり、風景は甚だ佳であるという。○苔辞 あおごけ、ぜにごけ。

苔蘚山門古、丹青野殿空。
○山門 寺門。○丹青 宮殿の彩色。○野殿 山野にあるごてん。○空 人のいないこと。

月明垂葉露、雲逐渡渓風。
○垂葉露 下垂した葉においた露。○雲逐 逐とはおわれるのみではなく、おいつおわれつするさまをいう。

清渭無情極、愁時独向東。
○清洞 すんだ洞水、これは秦州の北を流れて東南流する。○無情極 おもいやりの無いことのきわみ、水を罵っていう。○愁時 作者の心のうれうるときに。○独 自分ばかり、水につけていう。○向東 東は長安、作者の故郷とする地である。

秦州城北の寺、勝跡(しょうせき) 隗囂(かいごう)の宮
苔蘚 山門古(ふ)り、丹青(たんせい)野殿(やでん)空(むな)し
月は葉に垂(た)るる露に明らかに雲は渓(たに)を渡る風を逐(お)う
清渭無情の極み、愁時(しゅうじ)独り東に向かう

秦州城北に一寺あり
隗囂の宮殿の跡という
山門は苔むして古び
丹塗りのはげた廃殿に  人影はない
月影は葉末の露にきらめき
雲は谷風とともに流れてゆく
清らかな渭水の流れは  無情の極み
憂愁の季節の中  ひとり東へ流れてゆく

 詩中の「隗囂の宮」は、新の王莽(おうもう:漢末の纂奪者)のころ、秦州で覇を称え
た隗囂の別宮の跡で、麦石山(ばくせきざん)の北にあったと言われている。杜甫は単
に梟雄の遺跡を滅び去った栄華の跡の荒廃のさまを詠った。まさに今、玄宗皇帝は成
都に逃避し、都長安、東都洛陽、を比喩している。渭水は東流し、都長安があり、さ
らに洛陽がある。





杜甫s(3) 秦州雑詩二十首 其三(州図領同谷)
秦州雑詩二十首 其三(降虜と漠民と姓処のさまを写)
州図領同谷、駅道出流沙。
降虜兼千張、居人有万家。
馬驕朱汗落、胡舞白題斜。
年少臨桃子、西来亦自誇。

この秦州の地図でみると南は同谷がここの管轄となっており、西北の方はうまやじが流抄の方へ出られるようにつらなっておる。ここでは降参したえびすがたくさん居り、千ばかりもある天幕がみなそれであり、本土人に属する住民は一万戸ばかりもある。駿馬を走らせるものがあるがその馬はあかい汗をおとす、またえびすが舞いなどをするが首をかしげ自重をぬったひたいつきおかしくゆがめてまう。西の方臨挑からわかい男子がくるが、彼らもやはり、えびすとおなじく騎惇な夷俗をもっていることをほこりとしている。

州図領同谷、駅道出流沙。
○州図 秦州の地図。○領同谷 領とは管領、支配すること、秦州は唐の時、都督府を置き天水(秦州)、陳西、岡谷の三郡を領した。同谷は秦州の南、階州成県に属する地。○駅道 うまやじ。○出流抄 出はそちらへ進出することができることをいう、流抄は唐の沙州で、今の甘粛省安西州焼塩県以北の地方、新彊省に通ずる道路をさす。

降虜兼千張、居人有万家。
○降虜 唐に降ったえびす、吐事。○兼千帳 兼とはそのすべてがということ、千帳とは多くの天幕をいう、虜は天幕の内に生活する。○居人 住居する本土民、虜に非ざるものをいう。

馬驕朱汗落、胡舞白題斜。
○朱汗 あかい汗、駿馬は血のあせを流すという。○胡舞 えぴすのまい。○白題斜 題はひたい、えびすの習俗はひたいに自重をぬるという、斜とは首をかたむけて舞うゆえにひたいもななめになるのをいう。別説に自題は胡種の名であるといい、或は毛おりものをかぶせた笠のことともいう。

年少臨桃子、西来亦自誇。
○年少 としわか。○臨桃子 臨桃は葦昌府眠州の地、秦州の酉にあたる、子とは男子をいう。○亦自誇 詩とはその騎伴についてはこることをいう。

州図(しゅうと)同谷を領(りょう)す、駅道(えきどう)  流沙(りゅうさ)に出(い)ず
降?(こうりょ)千張(せんちょう)を兼ね、居人(きょじん)  万家(ばんか)有り
馬驕(おご)りて朱汗(しゅかん)落ち、胡(こ)舞いて白題(はくだい)斜なり
年少(ねんしょう)の臨?子(りんとうし)、西より来たりて亦(ま)た自ら誇る

秦州の管下に  同谷があり
道は砂漠につらなっている
帰服した胡人の帷(とばり)は千張もあり
漢人の家は   万戸を数える
駿馬は駆けて  血の汗を流し
胡人は舞って  白い額を傾ける
臨?の若者たちは西から来て
剽悍の風俗を  みずから誇る

 秦州には都督府があり、天水(秦州府)、隴西(ろうせい)、同谷の三郡を管轄していた。同谷は天水の南にあり、そこには降服してきた胡人の包(パオ)が集まっており、異国の生活様式がうかがわれ、気風も荒かったようだ。杜甫は、秦州が国境の街になっていることを痛感する。





杜甫s(4) 秦州雑詩二十首 其四(鼓角縁辺郡)  
其四(辺境の鼓角の声をうつし、かねて自己のよるべなきさまをのべる。)
鼓角縁辺郡、川原欲夜時。
秋聴殷地発、風散入雲悲。
抱葉寒蝉静、帰山独鳥遅。
万方声一慨、吾道竟何之。

川ぞいの原野が夜になりかかるころ、国境一帯の郡で鼓角が鳴る。秋の空気のすんだときその音をきくと大地のそこから宵がとどろくようにおこってくるし、またそれは風に吹きちらされて雲のうえまでいりこんでかなしそうである。木の葉につかまっている蜩の声はなきほそり、一羽の鳥がのっそりと山の方へと帰りゆく。どの方面をみわたしてもこの鼓角の声の無いところはない、結局自分がふまえてゆく道路はどちらへ向かってゆけばよいのであるか。


○鼓角 太鼓、つのぷえ。○縁辺郡 辺境によりそうた郡。○秋聴 秋にあたってきをつけてきく。○殿 雷のようにひびくさま。○発 鼓角の声がおこる。○風散 声が風にちらされる。〇人雲 たかくのぼることをいう。○抱菓二句 夜になろうとするときの景。○寒蝉 ひぐらし。○独鳥一羽のとり。〇万万 四万におなじ。○声 鼓角のこえ、ここに至って始めてこの字を出した。〇一概一様。○吾道 道は有形のみち、自己の脚でふむ道路。○何之 何処に行こうか。


鼓角の声は  国境の郡に鳴りわたり
川沿の野に  夜の帷(とばり)が降りようとする時
秋に聞けば  地をどよもして鼓角は鳴り
風に吹かれ  雲間にはいって悲しげに響く
生き残りの蜩(ひぐらし)は  葉にすがりついて鳴きもせず
山に帰る鳥は  のろのろと飛んでゆく
天下いたる所  戦乱の声に覆われ
わが人生は   結局どこへ向かって行くのだろうか

 其の四の詩は吉川幸次郎氏の『杜甫ノート』(P97から)に詳しい解説され。この詩をよく理解できる。
 吉川幸次郎は抒情詩の完成したものと絶賛している。
 「47歳の秋、後半生の漂泊のきっかけとして、甘粛省の秦州に、しばし足をとどめた時期である。今は天水県と呼ばれるこの国境の町の異様な風物は、杜甫の神経を極度に刺激して、病的にまた、尖鋭な詩を生んだ」としている。間違いなく杜甫の詩は、この秦州雑詩から急激な変化を生じる。
(その前兆の作が、題鄭牌亭子   崔氏東山草堂   望  岳と考える。)


鼓角縁邊郡:軍陣で使う鼓や角笛が(聞こえてくる)辺疆部の。
 ・鼓角:〔こかく〕陣中で時を知らせるなどの合図に用いる、つづみとつのぶえ。戦鼓とラッパ。 ・縁邊:周辺。外周り。ここでは、国境、辺塞のことになる。 ・郡:古代の行政区劃で、国の下に置かれる区劃。更にこの下に郷、里がある。

川原欲夜時:広い平原が夜になろうとする時。 ・川原:〔せんげん〕平原。広野。広々として人影のないところ。平川広野。一川。「かわら」ではない。また、川のみなもと。川源。 ・欲夜時:夜が更けようとする時刻(に)。 ・夜:夜になる。動詞。角笛からすべての事項がこの時に集約される。

秋聽殷地發:秋に、地を震わせて起こってくるのが聞こえて。
 ・秋聽:秋に…を聞く。「秋聽」という単語はない。 ・殷:〔いん〕震わす。音声の響くさま。雷の音。 ・地: ・發:

風散入雲悲:(その音は)風が吹き散らして雲の間に入りこむがほどに(響き渡って)悲しいものである。 ・風散:(鼓角の響きを)風が吹き散らして。 ・入雲:雲の間に入り込む。

抱葉寒蝉靜:(もう秋なので、嘗て世を賑わしていた)秋口のセミも葉にくるまって、静かにしており。 
 ・抱葉:(寒気を避けるために)木の葉を体に巻き付ける。木の葉を抱(いだ)く。 ・寒蝉:秋口のセミ。
歸來獨鳥遲:戻ってくべき、一羽だけの鳥は、なかなか帰ってこない。
 ・歸來:(故郷や、我が家など、本来帰ってくべきところに)帰ってくる。戻ってくる。「歸山」ともする。対句だけを考えれば後者の方が完成度が高いが味わいは前者にある。 ・獨鳥:一羽だけの鳥。 ・遲:スピードが遅い。のろのろとしている。ぐずぐずとしている。

萬方聲一概:四方八方から聞こえてくる物音は、(全て軍鼓であって)一様であるので。
 ・萬方:四方の国々。諸方。各方。 ・聲:音声。音。 ・一概:一様である。すべていっしょに。大体に。いっさい。すべて。

吾道竟何之:わたしの(とるべき)道は、(これから)一体どこへ行(けばよい)のか。 ・吾道:わたしの(採るべき)道。 ・竟:けっきょく。つまり。とうとう。ついに。 ・何之:どこに行くのか。いづくにかゆかん。 ・之:行く。

 これまで、仕官することのみを道とし、仕官かなって、天使のことを第一に考え言語行動をすることが道であった。それは、杜甫にとって全てが水泡に帰したのである。


鼓角縁辺郡、川原欲夜時。
秋聴殷地発、風散入雲悲。
抱葉寒蝉静、帰山独鳥遅。
万方声一慨、吾道竟何之。


鼓角(こかく) 縁辺(えんぺん)の郡、川原(せんげん)  夜ならんと欲するの時
秋に聴けば地に殷(いん)として発(おこ)り、風に散(さん)じて雲に入りて悲しむ
葉を抱(いだ)ける寒蝉(かんせん)は静かに、山に帰る独鳥(どくちょう)は遅し
万方(ばんぽう)  声は一慨(いちがい)なり、吾(わ)が道  竟(つい)に何(いず)くにか之(ゆ)かんとする






461秦州雜詩二十首
1
滿目悲生事,因人作遠遊。遲回度隴怯,浩蕩及關愁。
水落魚龍夜,山空鳥鼠秋。西?問烽火,心折此淹留。

2
秦州城北寺,勝跡隗囂宮。苔蘚山門古,丹青野殿空。
月明垂葉露,雲逐渡溪風。清渭無情極,愁時獨向東。

3
州圖領同穀,驛道出流沙。降虜兼千帳,居人有萬家。
馬驕朱汗落,胡舞白題斜。年少臨?子,西來亦自誇。

4
鼓角?邊郡,川原欲夜時。秋聽殷地發,風散入雲悲。
抱葉寒?靜,歸山獨鳥遲。萬方同一概,吾道竟何之!

5南使宜天馬,由來萬匹強。浮雲連陣沒,秋草遍山長。
聞?真龍種,仍殘老??。哀鳴思戰鬥,迥立向蒼蒼。

6
城上胡笳奏,山邊漢節歸。防河赴滄海,奉詔發金微。
士苦形骸K,林疏鳥獸稀。那堪往來戍,恨解?城圍。

7莽莽萬重山,孤城山谷間。無風雲出塞,不夜月臨關。
屬國歸何??樓蘭斬未還。煙塵一長望,衰颯正摧顏。

8
聞道尋源使,從天此路回。牽牛去幾許,宛馬至今來。
一望幽燕隔,何時郡國開。東?健兒盡,羌笛暮吹哀。

9
今日明人眼,臨池好驛亭。叢篁低地碧,高柳半天青。
稠疊多幽事,喧呼?使星。老夫如有此,不異在郊?。

10
雲氣接昆侖,??塞雨繁。羌童看渭水,使節向河源。
煙火軍中幕,牛羊嶺上村。所居秋草靜,正閉小蓬門。

11
蕭蕭古塞冷,漠漠秋雲低。?鵠翅垂雨,蒼鷹饑啄泥。
薊門誰自北,漢將獨?西。不意書生耳,臨衰厭鼓?。

12
山頭南郭寺,水號北流泉。老樹空庭得,清渠一邑傳。
秋花危石底,?景臥鐘邊。俯仰悲身世,溪風為颯然。

13
傳道東柯谷,深藏數十家。對門藤蓋瓦,映竹水穿沙。
?地翻宜粟,陽坡可種瓜。船人近相報,但恐失桃花。

14
萬古仇池穴,潛通小有天。神魚今不見,福地語真傳。
近接西南境,長懷十九泉。何當一茅屋,送老白雲邊。

15
未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。塞門風落木,客舍雨連山。
阮籍行多興,?公隱不還。東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。

16
東柯好崖谷,不與?峰群。落日邀雙鳥,晴天卷片雲。
野人矜險?,水竹會平分。采藥吾將老,兒童未遣聞。

17
邊秋陰易久,不複辨晨光。簷雨亂淋幔,山雲低度牆。
?? 窺淺井,蚯蚓上深堂。車馬何蕭索,門前百草長。

18
地僻秋將盡,山高客未歸。塞雲多斷績,邊日少光輝。
警急烽常報,傳聞檄?飛。西戎外甥國,何得?天威。

19
鳳林戈未息,魚海路常難。候火雲峰峻,懸軍幕井幹。
風連西極動,月過北庭寒。故老思飛將,何時議築壇?

20
唐堯真自聖,野老複何知。?藥能無婦?應門亦有兒。
藏書聞禹穴,讀記憶仇池。為報鴛行舊,鷦鷯寄一枝。







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