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題鄭牌亭子


 この三首は杜甫の心情、その後の行動を考慮し、三首とも味わい深い。

  題鄭牌亭子   崔氏東山草堂   望  岳  九日藍田崔氏荘




1008 題鄭牌亭子
華州の鄭県にある亭にかきつけた詩、実はそこにある竹に題した詩である。作者が華州へ赴任しょうとするときの作であろう。

題鄭縣亭子
鄭縣亭子澗之濱,戸窓憑高發興新。
雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。
巣邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。
更欲題詩滿青竹,晩來幽獨恐傷神。

 (鄭県の亭子に題す)
鄭県の宿場の傍、谷間の水辺にある、その宿場の戸や窓から高処に寄って眺めると新しく興が沸き起こる。雲が途絶えて華岳の蓮峰が大道にさしかかっており、空は晴れ渡って河向かいの長春宮のあたりに柳が小暗く見えている。やや近くでは燕の巣の傍へ野らの雀どもがやって来てそれをあなどっており、花樹のあいだを通って行く人を山蜂が同じようにどこどこまでもとくっついて行く。(遠景近景ともにおもしろい。)そこで自分はもっと詩をかきつけて宿場の傍の青竹の幹にいっぱいになるほどにしようかと思うのではあるが、いかにせん、夕方になって寂しい一人の身のことであれば、ただ心が傷ましくなっていることを深く考えてしまうのである。(だから詩もそんなにたくさんはできまい。)


題鄭縣亭子
鄭県の宿場というか、あずまやとの壁に題したもの。普段なら、詩が湧き上がってくる情景であるのに夕暮れと長安の都から遠ざかってゆく身を詠ったもの。前作の高式顔との出会いのときと同じときで分かれた後であろう。この赴任は左遷である。

鄭縣亭子澗之濱,戸窓憑高發興新。: 鄭県の亭子澗の浜、?? 高きに憑れば発興新なり。
○鄭県 華州の城郭にくっついて置かれた県の名。○亭子 ちん、四阿、小さな休み場所。あずまや。子は助詞。亭:宿場、宿駅、○澗 たにの水、鄭県にある西渓をいう。○浜 ほとり。○戸窓はかべの窓、この二字は副詞にみるべきである。○憑高 たかいところによってながめる、戸窓からながめる。○発興 興味をおこす。

雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。: 雲断えて岳蓮大路に臨み、天晴れて宮柳長春に暗し
○岳蓮 筆山の姿をいう、葦山は華州の東南にある。蓮は蓮花峰をいう、山頂に池があって千葉蓮花(かさなりのはちす)を生ずるのによって名づけるという。○大路 衝道をさす。○宮柳 長春宮のやなぎ。宮の字を一に官に作る、官柳は官よりうえたやなぎをいう。○暗 葉のしげってかすんでいるさまをいう。○長春 宮の名、駅西省同州府朝邑県にあり、黄河をへだてて華州よりは東北にあたる、肉眼ではそのあたりまでは見えないであろうがさように感ぜられることをいう。

巣邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。: 巣辺には野雀羣がりて燕を欺り、花底には山蜂遠く人を趁う
○巣 つばめのすをいう。○欺 俗用のときは欺侮の義、あなどることであざむくとは異なる。○花底 百花の中央をつきぬけることをいう。○趁 あとからおいついてくること。

更欲題詩滿青竹,?來幽獨恐傷神。晩来幽独にして恐らくは神を傷ましめん
〇滴青竹 青竹ははえている竹の幹をいう。満はいっぱいにかきつける。○幽独 しずかにただひとりおる。○傷神 こころをいたましめ、かなしましめる。

韻は、新、春、人、神。



鄭県の亭子澗の浜、?? 高きに憑れば発興新なり。
雲断えて岳蓮大路に臨み、天晴れて宮柳長春に暗し。
巣辺には野雀羣がりて燕を欺り、花底には山蜂遠く人を趁う
更に詩を題して青竹に満てんと欲するも、晩来幽独にして恐らくは神を傷ましめん


 

1013崔氏東山草堂 
前詩の崔氏と同じく藍田の崔氏であり、東山は藍田県の東南にある藍田山、即ち玉山であり、草堂はかやぶきの堂である。此の堂は前詩の別荘とは異なるものである。此の詩は崔氏の東山の草堂において作る。前詩と同時期の作。

崔氏東山草堂
愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
有時自發鐘磬響,落日更見漁樵人。
盤?白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。
何為西莊王給事,柴門空閉鎖松??

自分は深く愛す、君のこの玉山の草堂は聞静であって、秋の爽かな気と山の色とがたがいに新鮮をきそうておる様であることを。また時としては近い寺ででもならすのか鐘や磐のおとがひとりでにおこってくるし、日の落ちかかるときそのうえ漁夫樵人らがかえりゆくのをみることができる。また食物についてみると、大きな皿には白鴉谷のほとりでとれた栗が皮をむいて盛りだされ、ご飯にまぜては青泥坊でとれた蓴采が煮られる。ここへ西どなりの王維でも居るといっそういいのだが、どうしたためか彼の別荘はいたずらに柴門が閉じられて松竹林中にかぎをおろしてある。


(崔氏が東山の草堂)
愛す汝が玉山草堂の静かなるを、高秋の爽気相鮮新
時有ってか自ら発す鐘磬の響、落日更に見る漁樵の人
盤には剥ぐ白鴉谷口の栗、飯には煮る青泥坊底の蓴(じゅん)
何為ぞ西荘の王給事、柴門空しく閉じて松?に鎖す

崔氏東山草堂
愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。:愛す汝が玉山草堂の静かなるを、高秋の爽気相鮮新
○玉山 すでにみえる。○高秋 天たかき秋。○爽気 さわやかな気。○相鮮新 鮮新は新鮮に同じ、あたらしくあざやか。相とは蓋し山色に関していう、山色の翠と秋気の澄碧とがたがいにその新鮮をきそうことをいう。

有時自發鐘聲響,落日更見漁樵人。:時有ってか自ら発す鐘磬()しょうけいの響、落日更に見る漁樵の人
○発 おこる。○鐘磬響 かね、磬磐石の音、これは附近に寺があるのであろう。○漁樵人 魚をとる人、薪や柴をとる人。

盤?白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。:盤には剥ぐ白鴉(はくあ)谷口(こくこう)の栗(りつ)、飯(はん)には煮る青泥坊底の蓴(じゅん)
○盤 大きなさら。〇割 皮をむくこと。〇日鶉谷 県の東南二十里にある谷の名、栗によろしい地であるという。○青泥坊 坊は防と通ずる、「つつみ」をいう、青泥城は県南七里にあるというのからすれば防はその城の水をたくわえるつつみである。○蓴 沈徳潜の説に芹(きん)は十二文の韻字であるから蓴の字の誤りであろうという、芹はせり、蓴はじゅんさい。

何為西莊王給事,柴門空閉鎖松??:何為ぞ西荘の王給事、柴門空しく閉じて松?に鎖す
○西荘 雀氏草堂の西にある別荘。 ○王給事 王経のこと。王維は宋之間の藍田の別聖を得て住んだ。即ち綱川荘である。粛宗が長安に還るや経は太子中允となり、また給事中となった、このとき経は長安にあって荘にいなかった。 ○柴門 王経の荘の柴でつくった門。 ○鎖松? ?は竹の膚の青色をいうが竹そのものの義として用いる。松?に鎖すとは松竹の林の中にとざすことをいう。(尾二句については作者が王維に早く仕をやめてかえるべきことを諷したとの説があるが予は取らぬ。ただたまたま維の不在を見て維を思う情をのべたものとみる)
たまたまではない。この詩も宋だし、このころの詩のほとんどに朝廷荷対する不満が語られています。
このとき王維も杜甫も、朝廷に嫌気がさしていました。わけのわからない人事、宦官の台頭、軍事組織の崩壊、このころ、詩人たちは、行き場のないところに追い詰められていた。杜甫の知人の官僚、幕僚、軍人は降格か左遷されている。朝廷は体制を整えることより、権威を振りかざした。節度使の忠誠心はなく、ただ、安禄山それに変わる安慶緒、忠思明、が他より少しだけ抜けているだけで安定した力はない。したがって叛乱はこのあと5,6年治まらない。これに外敵からの挑発が盛んになされます。経済的にも律令体制が機能しなくなり、貿易でも不平等なものが多く、朝廷の財政を悪化させている。
詩人のほとんどは高級官僚です、これらに批判的でないはずがありませんが、朝廷の無作為に対する批判勢力の配置転換、長安を奪還して以降の数年は朝廷は疑心暗鬼の塊です。
かといって、それらを文章で残すと発見されると処刑されました。

乾元元年の春は左拾遺として長安にあり、賈至・王維・岑參らと唱和と、詩人たちの意見交換は最高潮でした。5,6月、高適、房?の左遷、杜甫自らも左遷、すべての詩人は、疎まれていきます。

六月、房?の?州刺史に貶せらるるに座し、出されて華州司功参軍となる。秋、藍田に王維を訪い、冬末、洛陽の陸渾荘に帰る。

その後、この詩の時分、王維は長安の南の終南山の別荘にいた。王維は杜甫の言う「西莊」を経営する意欲は薄らぎ、「西莊」いわゆる?川荘は一部寺に寄贈されていた。







1009 望  岳 
華州に赴任するとき、途にて華山をのぞんで作った詩である。華山は支那五岳のうちの西岳にあたる、華州華陰県の南にある。


望嶽
西嶽崚?竦處尊,諸峰羅立似兒孫。
安得仙人九節杖,?到玉女洗頭盆?
車箱入谷無歸路,箭?通天有一門。
稍待秋風涼冷後,高尋白帝問真源。

西岳である華山はたかくけわしく、そのそびえて居すわっているさまはとうとくみえる。それにくらべると他のもろもろの峰々はつらなり立っているが華山というおおおやじの児どもか孫たちのようである。自分はどうかして仙人がもっているという九節の竹杖を得て、その杖にからだをささえられつつ頂上の玉女の洗頭盆のあたりまでゆきたいとおもうている。この山はその重箱形をした谷へはいるともどりみちもなく、やはずのようなせまくはそい天へのかよい路がただ一門あるばかりだ。だんだん秋風がすずしくつめたくなるのをまって、自分は白帝の鎮座しているこの山をたずねて仙道の本源を問いただしたいとおもう。


(岳を望む)
西岳峻崎として錬処すること尊し、諸峰羅立して児孫に似たり
安んぞ仙人の九節の杖を得て、?えられて到らん玉女の洗頭盆
車箱谷に入れば帰路無く、箭桔天に通ずる一門有り
稍く秋風の涼冷なる後を待ちて、高く自帝を尋ねて真源を問わん




西嶽崚?竦處尊,諸峰羅立似兒孫。
○峻峰 山の高いさま。 ○味処 疎は聾と通ずる、そびえる、あがる。処は居ること、上声によむ。 ○羅立 つらなつたつ。立を一に列に作る。

安得仙人九節杖,?到玉女洗頭盆?
○安得 希望をいう。○仙人九節杖 九節杖は九つのふしのある竹のつえ、仙人のつくもの。○玉女洗頭盆 山頂の玉女桐前に石臼があり、なかの水は澄碧にしてつねに増減がない。これを玉女の頭を洗う盆七号する。

車箱入谷無歸路,箭?通天有一門。
○車箱 谷の形状をいう、箱は車体(或は谷名とする解がある)。車箱入谷とは車箱のごとき形の谷に入ること。○箭栢通天 椿は筈と通ずる、箭筈はやはず、やのさきをいう。華山に天井という処があり、そこより空をのぞめはわずかに明光をみるという。箭筈は蓋し窄狭路の形状、通天とはそこより高処にかようことをいう。〇一門 上述のせまい一道をたとえていう。 

稍待秋風涼冷後,高尋白帝問真源。
〇白帝 西方の神で華山を支配する。 ○真源美浜 仙道の一まことの本源。


この詩の言わんとするところは、天子の自分に対する思いが違うところにある。
 房?の擁護をしたことがどれほどのものなのか、国を考えるとき、指導者を育てる気持ちがないといけない。


朝廷内の人材がなくなっていること、国全体が無政府状態になっている。さまざまなことを連想させる作品である。