中国の時代と詩人のたち |
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晩唐の詩人 |
このページは 「李商隠」 漢詩 |
1.夜雨寄北 李商隱 | |
中国では、左遷された人がいい詩を残します。不遇であればあったほうがいい詩を残している。 貧乏のほうがいい詩をのこす。 たくさん詩人はいるが、絶頂の時いい詩を残した詩人は皆無ではないか。 「俺はこんなにすごいだろう」というのは中国人にはない思想である。 李商隱の生きた9世紀は儒教と道教が盛んであり、仏教もともに根強いものがあった。どちらも戒律を大 切にし、国は世界の真ん中にあり、す素晴らしいものであり、国に忠誠を尽くし、個人はつつましく謙虚に生き るというのを基本にした。このことを歴代の王朝は政治的に利用し、国の宗教としたのである。 李商隠の時代は晩唐、安史の乱以降朝廷の威光は薄くなっていたが、貴族時代は依然続いている。上 流階級は圧倒的に地縁血縁、氏素性が一番大切なものとした。 文系、軍系とはず、祖先を継承していく人たちが、朝廷の中、地方都市の出先機関でもその傾向は強か った。能力のあるものを採用するための科挙試験も一定程度の家柄がないとなかなか受かりはしない。官僚 は必ず派閥に属し、試験に受験する段階から、どこかに属していないと役割そのものがないのである。 権力闘争で、敗れた派閥は、左遷、流刑、死罪となる。影響力の少ないほど左遷のほうになり、強ければ 蘇東坡のように海南島など遠島に島流しされている。 |
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李商隱 りしょういん | 唐:晩唐は827〜906年 李商隱は晩唐の詩人 |
813−858 字を義山。号を玉谿先生。懐州河内の人。 | |
この詩は李商隱37歳のときの作品。都長安にいる妻が蜀(四川省)の国に出かけた夫李商隱の送った詩、妻の立場で書いている。李商隠は47歳で没している。 | |
夜雨寄北 君問歸期未有期、巴山夜雨漲秋池。 何當共剪西窗燭、卻話巴山夜雨時。 |
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あなたは いつ帰ってくるのでしょうか、いつ帰れるかわからないのでしょ、 巴山の夜雨はよく降って池の水もあふれかえる (さびしい夜を溢れかえるほど過ごす) いつになるの?いっしょに西の窓辺の灯心を切る(夜長を過ごせる)のを いつ話しくれるの? 巴山の夜雨のこと(昔話として)を |
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中国、漢詩では、自分がこう思うとか、自分がさびしい、という直接的な表現をしないのが通常です。 「きっとこう思ってくれている」という表現ほうが強調されるということもありますが、そういう直接的表現は野暮ったいとされています。この詩も妻の口を借りてその寂しさを詠っています。 |
夜雨寄北 君問歸期未有期、巴山夜雨漲秋池。 何當共剪西窗燭、卻話巴山夜雨時。 |
夜雨北に寄す 君帰期を問うも 未だ期有らず 巴山の夜雨 秋池に漲(みなぎ)る 何(いつ)か当に共に西窓の燭を剪(き)りて 却(かえ)って巴山夜雨の時を話(かたる)るべき |
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妻の口を借りると一層さびしが募るからです。高適の「除夜作」でも故郷できっと自分のことを思ってくれていると表現します。王維の九月九日憶山東兄弟でも同様な表現をしています。 この技巧的表現法は唐宋時代では受け入れられており、高い評価を受けていた。 |
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確かに表現として寂しい状況はあらわされていると思います。 寂しい雨の量が池いっぱいになって溢れるほどだと。この詩の作地は四川省成都です。当時4,5万人の大都市です。初夏と秋には夜になると雨が降るのが特徴で、多くの詩に夜の雨といえば蜀=成都の雨と詠われます。 しかし、私にはこの表現法はよくわかるけど、なにか心が伝わってこない。本当に妻にさびしさを訴えているのか、若い芸妓に今自分は寂しいからと口説きのための詩のように思えてならない。 なぜそう思うかといえば、通常は絶句構成4句のうち一句のみで人の口を借りるものです。こんなにはじめっから最後までというのは、私にはいいとは思えません。 誠実さに欠けると感じるからです。(芸妓と夜雨の長い夜を過ごして、造られた詩のように感じる。私だけだろうか) |
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誠実さの世界的代表者といえば、杜甫です。次が王維でしょう。漢文委員会は誠実さを基本としていま す。 そして、この技巧的な表現に革命を起こしたのは杜甫です。この「野暮ったい田舎のおっさん」(註)の表現は 当時世の中はなかなか受け入れられませんでした。杜甫の詩と比べてみてください。杜甫の詩は初めの句で あたり全般、世の中のこと、あるいは「夜雨が町全体に降っている」からはじまって、段々庭や部屋の状況場 面に移り、そうして「自分は今こう思うのだ」とか、「これからこうなるのだ」と詠いあげました。心の叫びをぶっつ けました。 (註) かなり長いこと杜甫の表現は宮廷詩人の間では野暮ったいと思われていた。 |
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このページは 「李商隠」 漢詩紹介のページです。 |
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5.錦瑟 李商隱 |
錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。 莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。 滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。 此情可待成追憶、只是當時已惘然。 (夫婦仲の良いことをいう琴瑟の片方で、かつて妻が奏でた)立派な瑟(おおごと)がわけもなく(悲しげな音色を出す)五十弦の。 一本の絃(げん)、一つの琴柱(ことじ)を(見るにつけ)、若く華やいでいた年頃を思い起こさせる。 荘周(さうしう:そうしゅう=荘子)が夢で、蝶(ちょう)になり、自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのか、と迷い。(そのように、あなたの生死について迷い)。 蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。 青い海に月が明るく照らして、人魚は(月の精ともいうべき)真珠の涙をこぼして。曾て、真珠は海中の蚌(はまぐり)から生まれるものと思われた。また蚌(はまぐり)は月と感応しあって、月が満ちれば真珠が円くなり、月が缺ければ真珠も缺けると思われた。また、中秋の名月の時期になると、蚌は水面に浮かび、口を開いて月光を浴び、月光に感応して真珠が出来るとされた。 (作者の妻が葬られた近辺の)藍田山(らんでんさん)に日(ひ)が暖かに射して、藍田に産する玉(=妻の容貌)が靄(もや)を生(しょう)じているように、朧(おぼろ)に輝いてくる。 わたしのこの(哀しみの)心情は、(時間が経過して)当時のことを追憶とする今となってのみ、可能なことだったのだろうか(いや、違う。その当時からすでにあったのだ)。 それはあなたが亡くなった当時から、已(すで)に気落ちしてぼんやりとしていたのだ。 錦瑟:立派な瑟(おおごと)。夫婦仲の良いことをいう琴瑟の片方で、かつて妻が奏でた瑟(おおごと)に感じて詠う。悼亡詩であり、また、官途で不遇を託(かこ)ったことを追憶しての詩である。 錦瑟無端五十弦: (夫婦仲の良いことをいう琴瑟の片方で、かつて妻が奏でた)立派な瑟(おおごと)がわけもなく(悲しげな音色を出す)五十弦の。 ・無端:何の原因もなく。ゆえなく。わけもなく。端(はし)無く。これというきざしもなく。思いがけなく。はからずも。唐・賈島に『渡桑乾』「客舍并州已十霜,歸心日夜憶咸陽。無端更渡桑乾河水,卻望并州是故ク。」とある。 ・五十弦:古代の瑟は五十弦であったが、後に二十五弦と改められたと、琴瑟の起源とともに伝えられている。『史記・封禪書』「或曰:『太帝使素女鼓五十弦瑟,悲,帝禁不止,故破其瑟爲二十五弦。』」とある。作者は大中五年(851年)には妻の王氏を喪っており、その後作者自身が亡くなるまでの七年間のうちにこの詩を作ったことになる。 一弦一柱思華年: 一本の絃(げん)、一つの琴柱(ことじ)を(見るにつけ)、若く華やいでいた年頃を思い起こさせる。 *作者は五十歳を前にした満四十七歳で亡くなっており、詩を作った当時の年齢である「五十歳」に近づいた感慨を、古琴の「五十弦」に重ねていよう。 ・柱:ことじ。琴箏の胴の上に立てて弦を支え、その位置を変えて音調の高低を調節し、発する音を共鳴胴に伝えるための具。 ・華年:若く華やいでいた年頃。少年。 莊生曉夢迷蝴蝶: 荘周(さうしう:そうしゅう=荘子)が夢で、蝶(ちょう)になり、自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのか、と迷い。(そのように、あなたの生死について迷い)。 ・莊生:荘周。荘子。 ・迷:自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのかということで迷う。 ・蝴蝶:荘周が夢の中で蝶になり、夢からさめた後、荘周が夢を見て蝶になっているのか、蝶が夢を見て荘周になっているのか、一体どちらなのか迷った。 望帝春心托杜鵑: 蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。 ・望帝:蜀の望帝。蜀の開国伝説によると、周の末に蜀王の杜宇が帝位に即き、望帝と称した。杜宇(望帝)が死ぬとき、ほととぎすが鳴いたとも、その魂がほととぎすになったともいう。 ・春心:春を思う心。春を傷(いた)む心。女性(異性)を思う心。 ・春心托杜鵑:(蜀の望帝が)春を傷(いた)む心は、血を吐きながら悲しげに鳴く杜鵑(ホトトギス)に托す、ということは、作者自身の官途が不遇であって、個人的にも妻を失った悲しみにも耽っているさまをいう。 ・杜鵑:〔とけん〕ほととぎす。血を吐きながら悲しげに鳴くという。 滄海月明珠有涙: 青い海に月が明るく照らして、人魚は(月の精ともいうべき)真珠の涙をこぼして。曾て、真珠は海中の蚌(はまぐり)から生まれるものと思われた。また蚌(はまぐり)は月と感応しあって、月が満ちれば真珠が円くなり、月が缺ければ真珠も缺けると思われた。また、中秋の名月の時期になると、蚌は水面に浮かび、口を開いて月光を浴び、月光に感応して真珠が出来るとされた。 ・滄海:青い海。青々とした海。大海原。 ・珠:ここでは真珠。「蚌中の月」。 ・有涙:鮫人の涙。南海に住み、水中で機(はた)を織り、泣くときは真珠の涙をこぼすという。 藍田日暖玉生煙: (作者の妻が葬られた近辺の)藍田山(らんでんさん)に日(ひ)が暖かに射して、藍田に産する玉(=妻の容貌)が靄(もや)を生(しょう)じているように、朧(おぼろ)に輝いてくる。 ・藍田:陝西省藍田県東南にある山の名で、名玉を産する。 ・日暖:(藍田の山に)陽光が射す。 ・生煙:(藍田の山に日が射せば)五色の雲煙が生じて宝気が立ち上るという。瑟の音色の形容でもあり、追憶の情景でもあろう。 此情可待成追憶: わたしのこの(哀しみの)心情は、(時間が経過して)当時のことを追憶とする今となってのみ、可能なことだったのだろうか(いや、違う。その当時からすでにあったのだ)。 *此情:この(鬱々とした)心情。 ・可待:何を待とうか。待つまでもないことだ。反語的な語気を含む。 只是當時已惘然: それはあなたが亡くなった当時から、已(すで)に気落ちしてぼんやりとしていたのだ。 ・當時:その頃。その時。(妻が亡くなった)その頃。 ・已:とっくに。すでに。 ・惘然:〔ぼうぜん〕気落ちしてぼんやりするさま。 |
錦瑟きんしつ端無はし なくも 五十弦ご じふげん, 一弦いちげん一柱いっちゅう 華年くゎねんを思う。 莊生さうせいの曉夢げう むは 蝴蝶こ てふに迷い, 望帝ばうていの春心しゅんしんは 杜鵑 と けんに托たくす。 滄海さうかい 月つき 明あきらかにして 珠たまに涙 有り, 藍田らんでん 日ひ 暖かにして 玉たまは煙けむりを生しゃうず。 此この情 追憶と成なるを待つ可べけんや, 只ただ是これ當時より 已すでに惘然ばうぜん。 |
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