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科挙の試験風景















題長安主人壁
世人 交わりを結ぶに黄金を須(もち)う
黄金不多交不深 黄金多からざれば交わり深からず
縦令然諾暫相許 縦令(たとい)然諾(ぜんだく)して暫く相許すとも
終是悠悠行路心 終(つい)に是れ悠悠たる行路の心



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中唐の詩人


張謂 題長安主人壁


301張謂 題長安主人壁  
744年天宝3載 23歳の作

この頃、杜甫は洛陽におり、夏、初めて李白と遇う。秋、梁宋(河南)に遊び、杜甫、李白、高適と吹台・琴台に登り、河を渡って玉屋山に遊ぶ。


唐の長安、そこには青雲の志をもった若者たちが集まっていました。科挙、598年〜1905年、隋から清の時代まで行われた官僚登用試験があったからです。



題長安主人壁    張謂 

世人結交須黄金、


黄金不多交不深。


縦令然諾暫相許、


終是悠悠行路心

世間の人は交際を結ぶ時に、金の力を必要としている。

金が多くなければ、交際も深くならない。

たとえ友達になろうと言われて、しばらくは親しく交際したとしても、

結局は、行きずりの人ようにの冷たい気持ちになってしまう。


張謂:中唐の詩人。721年(開元九年)〜780年(建中元年?)。字は正言。河内(現・河南省沁陽県)の人。天宝年間の進士。若い頃は嵩山にこもって勉学に励んだ。権勢にこびず、自ら気骨のあることを誇っていたという。進士に及第し、節度使の幕僚となって北方に従軍した。いくつかの官を経て、「礼部侍郎」(文部次官)、「知貢挙」(科挙の試験の総裁)になった。酒の好きな淡白な性格の人で、湖や山を訪れるのを楽しみにしていた。詩を作るのが巧みであった。

『題長安主人壁(長安の主人の壁に題す)』(七言絶句)。作者が進士の試験を受けるため長安に出てきた時、今日 世人の人情の軽薄なことを諷刺した詩である、張謂23歳の時、 宿屋の壁に書きつけた

題長安主人壁
世人 交わりを結ぶに黄金を須(もち)う
黄金不多交不深 黄金多からざれば交わり深からず
縦令然諾暫相許 縦令(たとい)然諾(ぜんだく)して暫く相許すとも
終是悠悠行路心 終(つい)に是れ悠悠たる行路の心

長安の主人の壁に題す


長安主人の壁に題す<張 謂> ちょうあんしゅじんのへきにだいす<ちょうい>
 
世人交わりを結ぶに 黄金を須う せじんまじわりをむすぶに おうごんをもちう
黄金多からざれば 交わり深からず おおごんおおからざれば まじわりふかからず
縦令然諾して 暫く相許すも たといぜんだくして しばらくあいゆるすも
終に是悠悠 行路の心 ついにこれゆうゆう こうろのこころ

 然 諾   よろしいと引受けること
 悠 悠   遙かにへだたるかたち ここでは疎遠で無関心の態度をいう
 行路心   道を行く通りすがりの人が互いに無関心のような気持をいう



世間の人は友人と交際するのにも金の力をかりている。金を多く使わないと付き合いも一向に深くならない。たとい一時はよし引受けたと心を許してつき合ってくれても、こちらが貧乏になってくるといつの間にか行きずりの人のように冷たく疎遠になってしまうのである。


乾元元年758年杜甫47歳、左拾遺として長安にあり。春、賈至・王維・岑參らと唱和す。李白58歳、関係者の努力で死罪を免れ、流罪に。武漢、洞庭湖付近の各地を経て、夜郎に向かう時の作品。


汎眄州城南郎官湖 李白186
張公多逸興、共汎?城隅。
当時秋月好、不滅武昌都。
四坐酔清光、為歓古来無。
郎官愛此水、因号郎官湖。
風流若未滅、名与此山倶。


張公は  風流を解する人
共に眄州城隅の池に舟を浮かべる
その夜は  秋の月がことに好ましく
武昌が都であった昔の月に劣らぬほどだ
一同は  清らかな月の光に酔い
観月の楽しみは  かってないほどである
尚書郎が  この池を愛されるので
張公にちなんで  郎官湖と名づけた
今後とも  風趣が衰えないならば
名は  ?山(けんざん)とともに残るであろう

?州の城南 郎官湖に汎ぶ
張公(ちょうこう)は逸興(いつきょう)多し
共に汎(うか)ぶ  眄城(べんじょう)の隅(ぐう)
当時  秋月(しゅうげつ)好く
武昌(ぶしょう)の都に滅(げん)ぜず
四坐(しざ)  清光(せいこう)に酔い
歓(かん)を為(な)す  古来無し
郎官(ろうかん)  此の水を愛し
因(よ)って郎官湖(ろうかんこ)と号す
風流  若(も)し未だ滅せざれば
名は此の山と倶(とも)にあらん

乾元元年758年
 鄂州の対岸には眄州(武漢市漢陽区)があって、李白はここにも遊びに出かけています。今回の詩には長文の序がついており、序によると秋八月の作品です。李白は五月から八月まで江夏の周辺にいたことになります。
 尚書郎(郎中)の張謂(ちょうい)が公用で夏口(武漢市漢口区)にやってきました。?州の杜刺史と漢陽の王県令が張謂を歓迎して、一夕、?州城内にあった南湖に舟を浮かべて月見の宴を催しました。この宴に李白も招待され、同船して遊んだのです。舟には地元の知識人で文士の輔翼(ほよく)と岑静(しんせい)も同船しており、流罪の地に赴く途中の李白が参加するような夜宴とは思えない盛会です。李白は流罪人ですから、当然、護送する役目の役人が同行していたと思われますが、そんな者はいないような自由な旅であったようです。
 詩は普通の宴会用のもので、張謂が南湖の美しさを褒めたので、では名前を郎官湖と改めましょうと宴に興を添えるものに過ぎません。




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