孟郊詩 六首
孟郊 (もうこう)
751年 - 814年 唐代の詩人。字は東野、諡は貞曜先生という。
湖州武康(浙江省)の出身。狷介不羈で人嫌いのために、若い頃は河南省嵩山に隠れた。798年、50歳の時に三度目で進士に及第し、江蘇省律栗陽の尉となった。一生不遇で、憲宗の時代に没する。
詩は困窮・怨恨・憂愁を主題としたものが多く、表現は奇異。韓愈とならんで「韓孟」と称せられる。蘇軾は賈島とならべて「郊寒島痩」、つまり孟郊は殺風景で賈島は貧弱と評す。韓愈が推奨するところの詩人であり、「送孟東野序」が知られている。『孟東野集』10巻がある。
(1)
登科後 (2)
游子吟 (3)
古別離
(4)
帰信吟 (5)
渭上思帰 (6)
京山行
(1)
登科後 孟郊
昔日齷齪不足誇、今朝放蕩思無涯。
春風得意馬蹄疾、一日看尽長安花。
むかし、あくせくしていたことは自慢にはならない
今朝は合格発表心伸び伸び嬉しさ極まりない。
春風は徳満面ひずめの音も軽やかにする
今日一日は見尽くせる長安の花を
この詩は、何度も何度も落第し、46歳になってやっと合格した作者の嬉しさを表している。昨日まで、きっと肩身の狭い思いをしていたはずである。得意満面、同じ春風も、ひずめの音も、違っている。とくに、長安の王侯貴族の庭は合格者には無礼講。長安の都はにはボタンの花でいっぱい。作者孟郊は手ばなしに喜んだ。
昔日(せきじつ)の齷齪(あくそく)誇りに足ら不(ず)
今朝(こんちょう)放蕩として思い涯(は)て無し
春風意(しゅんぷうい)を得て馬蹄疾(ばていはや)し
一日看(み)尽くす長安の花
註:科挙合格発表の日に限り合格者は一日何処の家の庭へも無礼講で入ることが出来たのだそうだ。
登科=科挙の試験に合格する事。作者・孟郊は五十歳近くなってようやく合格したという。
昔日齷齪不足誇 今朝放蕩思無涯
春風得意馬蹄疾 一日看尽長安花
昔日の齷齪誇るに足らず、
今朝放蕩として思涯無し。
春風意を得て馬蹄疾し、
一日看尽くす長安の花。
現代語訳
今まで積み重ねてきた苦労は自慢するほどのことではないのだが、
今朝はのびのびした気分で、どこまでも嬉しい。
科挙の試験に受かって、やっと任官の道が開けた、その晴れ晴れした気持ちです。孟郊は四十六歳にして試験に受かりました。二浪三浪どころの騒ぎじゃないんです。それゃ晴れ晴れもします。
科挙は隋代の598年に始まり清代の1905年に廃止されるまで1300年以上も続いた試験制度。最終的に合格して進士となれる者は数千人に一人。
(2)
游子吟 (孟郊)
慈母手中線、游子身上衣。
臨行密密縫、意恐遅遅帰。
誰言寸草心、報得三春輝。
母の手の中で糸がおどる。旅立つ私の衣装を作っている。出かける直前まで1針1針ていねいに縫う。帰りが遅くなることの不安を隠せない。子が親を思う心は雑草のごとく小さなもの。三月の陽光みたいな母の愛情にどう応えられようか。
慈母(じぼ)手中の線(いと)
游子(ゆうし)身上の衣(ころも)
行くに臨(のぞ)んで 密密に縫う
意に 恐る 遅遅として帰えらんことを
寸草(すんそう)の 心を持って
三春(さんしゅん)の暉(き)に報じ得がたし
(3)
古別離 孟郊
欲別牽カ衣、カ今到何處。
不恨歸來遲、莫向臨?去。
(男性が)出かけようとするとき、夫の着物を引っ張って
あなた(男性を指す)は、今どこへ行くのですか
帰るのが遅くなっても、恨めしくは思わない(けれども)
臨?(りんきょう)(男を誘惑する女性の居るところ)にだけは行ってくれるな。
別れんと欲して カが衣を 牽く,
カ 今は 何(いづ)れの處にか 到る。
歸來の遲きを 恨みず,
臨?(りんきょう)に 向かって去ること莫(な)かれ。
古別離
楽府題。「王孫不歸」:王孫が帰ってくるのかどうかの女性の悩み。『楚辭』の招辞の一種である『招隱士』に「王孫遊兮不歸,春草生兮萋萋。歳暮兮不自聊,蛄鳴兮啾啾。」に由来する。なお、『楚辭』のこの詩では、王孫とは屈原のことになる。
欲別牽郎衣
(男性が)出かけようとするとき、夫の着物を引っ張って。 ・欲別:(夫の)出発に際して。別れようとする。 ・牽:引っ張る。 ・郎衣:夫、男性の衣服。
郎今到何処
あなた(男性を指す)は、今どこへ行くのですか。 ・郎:主人。夫。男性を謂う。 ・到:…に。…に到る。 ・何處:どこ。
不恨帰来遅
帰るのが遅くなっても、恨めしくは思わない(けれども)。 ・不恨:恨めしくは思わない。 ・歸來:帰ってくる。もどる。 ・遲:〔ち〕おそくなる。おくれる。のろい。ゆっくり。ぐずぐずする。
莫向臨?去
臨?(りんきょう)(男を誘惑する女性の居るところ)にだけは行ってくれるな。 ・莫向:…にするな。 ・臨?:〔りんきょう〕男を惑わす女の居る所の意で使う。 ・去:行く。去る。
(4)
帰信吟
涙墨灑為書、将寄萬里親。
書去魂亦去、兀然空一身。
涙墨は書を為してそそいでいる
まさに心寄せるは萬里の親。
書を去らせるのは魂も亦、去ること
そうなるとこの身は空しいいものだ
今年もまた落第した。そのことを故郷の書をしたためる作者。涙があふれて留めない。
私が手紙を書かなくなったら、心は届かない、きっとむなしいものになってしまう。手紙は心を奮い立たせ、今度こそという気持ちにならせるのだ。
私は、「詩は心に感じるまま」、正しい読み方を考えないで読む。何回も読むことが大切です。
(昔からの下し文)
涙墨をそそいで書と為す
まさに萬里の親に寄せんとす
書去って魂亦去り
兀然として一身空し
(5)
渭上思帰
獨訪千里信、囘臨千里河。
家在呉楚郷、涙寄東南波。
ひとり千里の信を訪う
また千里の河に臨む
家は在り呉楚の郷
涙は寄す東南の波
(6)
京山行
衆虻聚病馬、流血不得行。
後道起夜色、前山聞虎声。
此時遊子心、百尺風中旌。
衆虻病馬にあつまり
流血行くを得ず
後道に夜色起こり
前山に虎声を聞く
此の時 遊子の心
百尺風中の旌(はた)