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盛唐の詩人 孟浩然 澗南園即時貽皎上入 |
澗南園即時貽皎上入 孟浩然 李白「見山懐古」関連 <見は山+見このサイトは難解文字変換しないので>
孟浩然の郷里・襄陽における作品を示す。襄陽は、孟浩然がその生涯の多くの時間を過ごし、彼の一風の形成の場となったことはいうまでもない。
306 張九齢 登襄陽見山
307 陳子昂 見山懷古
308 張 説 還至端駅前与高六別処
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305 | 305 与諸子登山 | |
309 | 309 輿黄侍御北津泛舟A | |
310 | 310 見山送張去非遊巴東(見山亭送朱大)B | |
311 | 311 〃 過故人莊 C | |
312 | 312 〃 見山送蕭員外之荊州 D | |
313 | 313 〃 登見山亭寄晉陵張少府E | |
314 | 澗南園即時貽皎上人 | |
314 〃 澗南園即時貽皎上人 F
315 〃 田園作 G
316 〃 田園作元旦H
317 〃 南山下與老圃期種瓜I
318 〃 夏日南亭懷辛大J
319 〃 登鹿門山懐古 K
320 〃 宿建徳江 L
321 〃 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 M
322 〃 秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 N
323 〃 歳暮帰南山 O
324 〃 登安陽城樓 P
325 〃 與顏錢塘登障樓望潮作 Q
326 〃 下層石 R
327 〃 S
(襄陽・見山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 見山餞房官、崔宗之 、 傷?山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登?山 ・・・・・etc.と?山襄陽を詩題としたものが多くある。)
328 李 白 襄陽曲四首 其一
329 〃 襄陽曲四首 其二
330 〃 襄陽曲四首 其三
331 〃 襄陽曲四首 其四
332 〃 襄陽歌
333 〃 見山懐古
*(番号の順でこのブログに掲載する)
卷160_24「澗南即事,貽皎上人」孟浩然
澗南園即時貽皎上人
襄陽の私の澗南の農園で即興で貽皎上人に詠った詩。
弊廬在郭外,素?惟田園。
わたしの粗末な庵は襄陽城の郊外にあり、先祖から受け継いだ土地においてを田ばたで作物をつくっているのだ。
左右林野曠,不聞朝市喧。
左右見渡して、林野、田畑が広がっているし、襄陽城での朝市の喧噪は全く聞こえてこない。
釣竿垂北澗,樵唱入南軒。
釣り竿は北側の漢水に灌ぐ谷川にたれるのである。その場所から南の高く上がった山の中に入っていくと樵が木挽き歌をうたっている。
書取幽棲事,將尋靜者論。
こうして一人静かな隠棲をしていることの風興な事を詩に書きとめる、随ってもっぱらの楽しみはお上人の様な静清なお方と論を交合わせるため訪ねてくださることなのだ。
澗南園で即時にて貽皎上人に。
弊廬 郭外に在り、素より惟だ田園に?とす。
左右 林野 曠く、朝市の喧しきを聞かず。
釣竿 北澗に垂れ、樵唱 南軒に入る。
幽棲の事を書取して、還た静者の言を尋ねん。
詩題に見える「澗南園」は、孟浩然の郷里襄陽における住まいである。それは襄州襄陽県の県城の東南方、?山を漢水を挟んで鹿門山が位置し、漢水、鹿門山の南までを江村としている。また襄陽県は「漢代以降、南北(華北と華南の勢力か激突する地点であり、南北を結ぶ交通の要衝として経済的に重視された重要地点であった。そして、漢江の水運を利用した物資の集散地たる商港として、南朝以来繁栄し、遊楽の都市であった。大堤がそれである。地図に示す通り、襄陽城と漢水の間に一詩北征から流れてきた漢水が大きく南に大きく湾曲したところであったため、堤の長い場所であった。
現代語訳と訳註
(本文)澗南園即時貽皎上人
弊廬在郭外,素?惟田園。
左右林野曠,不聞朝市喧。
釣竿垂北澗,樵唱入南軒。
書取幽棲事,將尋靜者論。
(下し文)澗南園で即時にて貽皎上人に。
弊廬 郭外に在り、素産 惟田園あり。
左右 林野 曠く、朝市の喧しきを聞かず。
釣竿 北澗に垂れ、樵唱 南軒に入る。
幽棲の事を書取して、還た静者の言を尋ねん
(現代語訳)
襄陽の私の澗南の農園で即興で貽皎上人に詠った詩。
わたしの粗末な庵は襄陽城の郊外にあり、先祖から受け継いだ土地においてを田ばたで作物をつくっているのだ。
左右見渡して、林野、田畑が広がっているし、襄陽城での朝市の喧噪は全く聞こえてこない。
釣り竿は北側の漢水に灌ぐ谷川にたれるのである。その場所から南の高く上がった山の中に入っていくと樵が木挽き歌をうたっている。
こうして一人静かな隠棲をしていることの風興な事を詩に書きとめる、随ってもっぱらの楽しみはお上人の様な静清なお方と論を交合わせるため訪ねてくださることなのだ
(訳注)
澗南園即時貽皎上人
襄陽の私の澗南の農園で即興で貽皎上人に詠った詩。
○澗南園 漢水の南。谷川の傍に畑を持っていた。孟浩然の郷里襄陽における住まいである。それは襄州襄陽県の県城の東南方、?山を漢水を挟んで鹿門山が位置し、漢水、鹿門山の南までを江村としている。○即時 その場で即興で詠った詩。○上人 仏教における高僧への敬称。修行を積み、智徳を備えた高僧に対して用いられる。
弊廬在郭外,素産惟田園。
弊廬 郭外に在り、素より惟だ田園に?とす。
わたしの粗末な庵は襄陽城の郊外にあり、先祖から受け継いだ土地においてを田ばたで作物をつくっているのだ。
○弊廬 隠遁しているあばら家の庵。○郭外 襄陽城の郊外○素? 先祖からうけついだもの。土地をいう。・? 生産する。作物を作る。生産して経営する。○田園 前の「産」と園で従僕がいて小作させていたことがわかる。しかし、大規模なものではない。
左右林野曠,不聞朝市喧。
左右 林野 曠く、朝市の喧しきを聞かず。
左右見渡して、林野、田畑が広がっているし、襄陽城での朝市の喧噪は全く聞こえてこない。
○左右 辺りを見回してみていること。○林野 森と原っぱ、田畑がひろがっている。○朝市 襄陽城の市場。朝の位置には大勢が集まる。○喧 朝市の喧噪。襄陽は当時かなりの都市であった。
釣竿垂北澗,樵唱入南軒。
釣竿 北澗に垂れ、樵唱 南軒に入る。
釣り竿は北側の漢水に灌ぐ谷川にたれるのである。その場所から南の高く上がった山の中に入っていくと樵が木挽き歌をうたっている。
○釣竿 釣りをする。隠遁者は散歩することを含む。○北澗 漢水は孟浩然の家の北の方に流れており、その漢水に聞か向きに流れ灌ぎこむきこむ谷川のこと。○樵唱 木こりが木挽き歌を唄うこと。○入 山の中に入っていく。○南軒 南に向けて高く上がること。軒は欄干、家の軒、久という意味とここでは、誘われて高く上がっていくことをいう。。
書取幽棲事,將尋靜者論。
幽棲の事を書取して、還た静者の言を尋ねん。
こうして一人静かな隠棲をしていることの風興な事を詩に書きとめる、随ってもっぱらの楽しみはお上人の様な静清なお方と論を交合わせるため訪ねてくださることなのだ
○書取 書き留める。詩を作ること。○幽棲 一人で隠遁生活をしていること。○事 仕事。事件。ここでは、山水の風流な興味を抱いたことをいう。○將 まさに。もって、ここでは自分の楽しみになることに導く意味を持つ。○尋 こちらから行くことをいうのであるが、ここでは来訪されること。○靜者 静清なお方。清廉なひと。○論 論議、哲学、詩を論ずることなどを指す。
解説
この孟浩然の詩「澗南即事,貽皎上人」においてまず、注目するのは、この襄陽県城という大きく繁華な都市の描かれ方である。「郭」「朝市喧」として描写された県城か、それぞれ「外」「不聞」という字句か示すように、詩人との場所的に距離を置いた存在として描かれていることがあげられる。「喧」から隔絶したことを強調すること、孟浩然が大きな町影響下にない隠遁をしていることを強調したいのである。
そして、その静かな景色は、朝から始まり、やがて昼には北の谷川に釣り糸を垂れ、そして、木挽き歌を聴くため南の山の中に入っていく。こんな生活をしてることを理解できるのは、清廉な人だけだろう。
「出世欲や、物欲のある人には到底理解できないことであろう」と詩を締める。この詩も風景、心理を動的にとらえているのである。