49.新安吏
乾元元載(759年)年末、唐国軍は相州で敗れています。杜甫はに華州を出てから二か月以上たち、乾元二年の三月、杜甫は華州に舞い戻る途に就きます。その道すがら人々の悲惨な境遇を目にします。新安の吏と問答して詩を作ります。この時、「無家別」までの三吏・三別六篇は「垂老別」を除いて華州に帰って書き付けたものです。前後の事情の概略は次のようです。
国軍は至徳二載九月 契卯には長安を、十月王子には洛陽を奪回したが、翌乾元元年には叛乱軍安慶緒の勢いがまた振い、相州(都城)を成安府と称した。九月に郭子儀に命じ、李光弼ら九節度の兵力、約二十万人を率いて安慶緒に対し、相州に囲んだ。しかし、二年三月慶緒は援軍を魂州の史思明に求めた。このため、官軍は敗走、諸節度の軍は引いて還った。郭子儀は朔万軍を以て河陽の橋を落として洛陽を防御、南北両城を築いてこれを守ったが東都洛陽を留守にした。この詩中の兵吏は新安より募集されて洛陽の郭子儀の軍へと派遣されるものだった。
華州に戻った杜甫は、帰路に見聞した出来事を、一連の五言古詩に描いた。三吏三別といわれるものです。国の混乱はさまざまな形で人民に負担を強いるものです。これらの人々の苦しみを詩人の目は的確にとらえます。この詩人の一貫した視線はこれまでの詩人にはみられません。そして、これら一連の詩は、彼の最高傑作の一部に数えられています。
49.新安吏
客行新安道、喧呼聞點兵。
借問新安吏、縣小更無丁?
府帖昨夜下、次選中男行。
中男絶短小、何以守王城?』
肥男有母送、痩男獨伶傳。
白水暮東流、青山猶哭聲。
莫自使眼枯、收汝涙縱。
眼枯即見骨、天地終無情。』
我軍取相州、日夕望其平。
豈意賊難料、歸軍星散營。
就糧近故壘、練卒依舊京。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
況乃王師順、撫養甚分明。
送行勿泣血、僕射如父兄。』
自分が新安の道を通りがかると、喧噪騒ぎの中で兵士を点呼する声が聞こえる、新安の官吏に聞けば、この県は小規模で兵士になるものが少ない
昨夜徴兵の命令が下りたので、次善の兵士として次男以下を選んでいるが、彼らはみな体が小さく、どうやって洛陽を守ることが出来るか不安だという、
栄養のよい男は母が付き添っているが、痩せた男は一人ぽっちだ、白水が東へ向かって流れ、青山からは咽び泣く声が聞こえる、
そんなに泣いてばかりいるのはよくない、いい加減涙を乾かしなさい、涙がかれて骨があらわになったからといって、自然の摂理に変化があろうはずもない
軍は相州を奪還した、願わくばそのまま持ちこたえて欲しい、賊軍の力が強く、官軍が星屑のように蹴散らされると思いたくはない
官軍は糧食を整えて防衛線を守り、兵士を訓練しながら拠点を固めている、堀を掘っても水が出るほど深く掘る必要は無い、馬を訓練するのも難しいことではない
いわんや官軍は統制が取れており、兵士を大事にすることは明らかなのだ、だから安心して息子たちを見送り、泣いたりするではない、将軍の慈悲は父兄のように深いのだ
○新安 河南省河南府の新安県。 ○収束 京は長安及び洛陽をさす。 ○賊 安慶緒らの叛乱軍。 ○充斥 「左伝」(裏公三十一年)にみえる、みちひろがること。 ○客 旅客、作者自ずからいう。 ○喧呼 やかましく大ごえをだす。 ○点兵 兵籍に点つけをして人数をしらぺる。 〇借問 作者がかりにたずねる。 ○吏 県の小役人。 ○県小 此の句より「次選」の句までは更のことばである。 ○無丁 丁は壮丁、兵卒としてめしだされるわかい男子。 ○府帖 府がだした兵籍、府は県の上級官庁。 ○下 県へきたこと。 ○次選 第一位のものがなくなったために、第二位のものをえらぷこと。 ○中男 唐では民を年齢によって黄・小・中・丁・老などに区別する。年次によってちがいがあるが、天宝三歳には十八歳以上を中男とし、二十三歳以上を丁とした、ここは丁が無いので中男をとることをいう。 ○行 東都をまもるためにゆく。 ○中男絶短小 此の句及び次句は作者の胸中をいう、短小はからだのせいがひくくちいさいこと。○王城 東都洛陽の城a O肥男、痩男 中男についての肥疫をいう、肥はふとり疫はやせた体樽のものをいう。
○母送 ははおやが見おくりにきている、こえた男はこの母に愛してそだてられたものであろう、これに反してやせた男は母もなくみじめな境遇のものであろう。 ○伶伸 ひとりばっちのさま。 ○白水 しろく暮れのこる渓流。 ○東流 東とは男のゆく方向をいう。 ○青山 附近の山をいう。 ○猶 ゆく人はすでに見えないのになおの意。 ○笑声 母やその他の見送る人人のなくこえ、「肥男」より「青山」までの四句は叙事叙景をはさむ。 ○莫自使眼枯 此の句より末尾の「僕射」の句までは作者が送行者をなぐさめる語である。眼枯とはあまり泣きつくして涙が枯れ尽くしてしまったことをいう。 ○収 とりかたづける。 ○縦横 次第もなくながれるさま。 ○即見骨 即の字は或は却に作るが即をよしとする、もしもの意、見骨とはなきかなしみやせて顔面の骨をあらわすにいたることをいう。○天地終無情天地はつれない、とは戦争にゆくべきものをゆかぬようにはしてくれぬこと。
○我軍 唐国軍。 ○相州 都城。 ○日夕 旦夕として用いる。 ○望 こちらが希望する。 ○豈意 意外にも。 ○料 予想する。 ○帰軍 九節度の敗軍をいう、帰(もどってくる)の字を用いたのは作者が敗をいうことをきらったためである。 ○星散営 敗軍がそれぞれの軍営に星のごとくばらばらにちらはってかえる。 ○就糧 兵食のある場所につく。 ○故塁 洛陽ちかくのもとのとりで。○練卒 兵卒を訓練する。○依 根拠とする。 ○旧京 洛陽をさす。 ○掘壕 ほりをほる。 ○不到水 浅くほることをいう。 ○牧馬 うまをまきばでかう。 ○役 力しごと。 ○王師順 王師は官軍、順は正道にかなっていることをいう。○撫養 兵卒を愛撫し食物をあたえること。 ○分明 その事の疑うぺからざることをいう、だれにもはっきりわかっている。○送行 わが子が戦争にゆくのをおくる。○泣血血のなみだをだしてなく。 ○僕射 郭子儀をさす、子儀は至徳二載五月に満水に敗れ、司徒より降されて左僕射となった。乾元の初めには中書令であったので前の「洗兵行」(第二冊二五四ページ)には「郭相」といっているが、この詩はまた舵官を用いて僕射と称している、僕射は射をつかさどるという意味であるという。 ○如父兄 兵卒に対して親切なことをいう。
新安の吏
客行新安道、喧呼聞點兵。
借問新安吏、縣小更無丁。
府帖昨夜下、次選中男行。
中男絶短小、何以守王城。』
肥男有母送、?男獨伶傳。
白水暮東流、青山猶哭聲。
莫自使眼枯、收汝涙縱。
眼枯即見骨、天地終無情。』
我軍取相州、日夕望其平。
豈意賊難料、歸軍星散營。
就糧近故壘、練卒依舊京。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
況乃王師順、撫養甚分明。
送行勿泣血、僕射如父兄。』
54.潼關吏
士卒何草草,築城潼關道。大城鐵不如,小城萬丈餘。
借問潼關吏,修關還備胡。要我下馬行,為我指山隅。
連雲列戰格,飛鳥不能逾。胡來但自守,豈複憂西都?
丈人視要處,窄狹容單車。艱難奮長戟,千古用一夫。
哀哉桃林戰,百萬化為魚。請囑防關將,慎勿學哥舒!
52.石壕吏
暮投石壕村,有吏夜捉人。老翁逾牆走,老婦出門看。
吏呼一何怒,婦啼一何苦。聽婦前致詞,三男業城戍。
一男附書至,二男新戰死。存者且偸生,死者長已矣。
室中更無人,惟有乳下孫。孫有母未去,出入無完裙。
老嫗力雖衰,請從吏夜歸。急應河陽役,猶得備晨炊。
夜久語聲絶,如聞泣幽咽。天明登前途,獨與老翁別。
53.新婚別
兔絲附蓬麻,引蔓故不長。嫁女與?夫,不如棄路旁。
結發為君妻,席不暖君床。暮婚晨告別,無乃太匆忙。
君行雖不遠,守邊赴河陽。妾身未分明,何以拜姑章
父母養我時,日夜令我藏。生女有所歸,鶏狗亦得將。
君今往死地,沈痛迫中腸。誓欲隨君去,形勢反蒼黄。
勿為新婚念,努力事戎行。婦人在軍中,兵氣恐不揚。
自嗟貧家女,久致羅襦裳。羅襦不複施,對君洗紅妝。
仰視百鳥飛,大小必雙翔。人事多錯忤,與君永相望。
51.垂老別
四郊未寧靜,垂老不得安。子孫陣亡盡,焉用身獨完?
投杖出門去,同行為辛酸。幸有牙齒存,所悲骨髓乾。
男兒既介冑,長揖別上官。老妻臥路啼,歳暮衣裳單。
孰知是死別,且複傷其寒。此去必不歸,還聞勸加餐。
土門壁甚堅,杏園度亦難。勢異業城下,縱死時猶ェ。
人生有離合,豈擇衰盛端。憶昔少壯日,遲回竟長嘆。
萬國盡征戍,烽火被岡巒。積屍草木腥,流血川原丹。
何郷為樂土,安敢尚盤桓。棄絶蓬室居,搨然摧肺肝。
50.無家別
寂寞天寶後,園廬但蒿藜。我裡百餘家,世亂各東西。
存者無消息,死者為塵泥。賤子因陣敗,歸來尋舊蹊。
久行見空巷,日痩氣慘淒。但對狐與狸,豎毛怒我啼。
四鄰何所有,一二老寡妻。宿鳥戀本枝,安辭且窮棲。
方春獨荷鋤,日暮還灌畦。縣吏知我至,召令習鼓丙。
雖從本州役,内顧無所攜。近行只一身,遠去終轉迷。
家郷既蕩盡,遠近理亦齊。永痛長病母,五年委溝溪。
生我不得力,終身兩酸嘶。人生無家別,何以為蒸黎?