■ 杜甫 左遷・苦悩の詩
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82 左遷、苦悩
李白と別離、仕官かなう期 よりつづく
念願の士官、左拾位まで賜った。しかし左遷。
乾元元年6月758年47歳続き
五言律詩451 至コ二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有輩往事
五言律詩452 寄高三十五・事 太子少居事の官である高適に寄せた詩である。
五言律詩 100 贈高式顔(昔別是何処) 高適の甥、詩人の高式顔が訪ねて来る。戦乱を経ての再会。
七言律詩454 題鄭牌亭子 華州の鄭県にある亭にかきつけた詩、実はそこにある竹に題した詩である。作者が華州へ赴任しょうとするときの作であろう。
七言律詩456 望 岳 華州に赴任するとき、途にて華山をのぞんで作った詩である。華山は支那五岳のうちの西岳にあたる、華州華陰県の南にある。
五言律詩1011 觀安西兵過赴關中待命二首 安西都護府に属する兵が葦州を過ぎるのを観て作った詩。
七言律詩40 九日藍田崔氏荘(老去悲愁強自寛) 重陽節に、崔氏の藍田の別荘に招かれる。
五言律詩101 所思(鄭老身仍竄) 儒学の師、鄭虔を助援できない自分の無力を嘆く
七言律詩407 崔氏東山草堂 前詩の崔氏と同じく藍田の崔氏であり、東山は藍田県の東南にある藍田山、即ち玉山であり、草堂はかやぶきの堂である。此の堂は前詩の別荘とは異なるものである。此の詩は崔氏の東山の草堂において作る。前詩と同時期の作。
七言律詩457 至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩。蓋し乾元元年十一月華州での作。
五言律詩453 路逢嚢陽楊少府入城戯呈楊四員外綰 洛陽へゆく路で楊少府が華州城へ入りこもうとするのにであった。そこでたわむれに楊綰にこの詩をおくった。
七言律詩455 早秋苦熱堆安相仍(七月六日苦炎蒸) 厳武、六月に巴州刺史に左遷。杜甫も中央清官から地方属官に左遷、失望大。
五言律詩99 孤雁(孤雁不飲啄) 「孤雁」は杜甫自身のこと。「野?」は都や州の上司。
七言歌行1018.冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉宅宿,宴飲散因為醉歌
七言歌行1019.??薑七少府設膾,戲贈長歌
七言律詩1020.戲贈??秦少公短歌
七言歌行1021 李?縣丈人胡馬行 ?県の県令李某の外国産の馬のことをよんだうた。乾元元年冬洛陽へ赴くときの作
五言律詩483 1022.觀兵 乾元元年の冬、洛陽にあって北庭の李嗣業の兵が来たのを観たことをよむ。
● 杜甫の詩