28 貧交行
貧賎であったときには交りがあったものが富貴となってのちはその交りを棄てて省みないこと嘆いて作った詩。作者は賦を献じて後久しく長安に寓居していたが、その旧友で彼を念うもののなかったために此の作を作った。
天宝10載 751年40歳
貧交行 杜甫
翻手作雲覆手雨,紛紛輕薄何須數。
君不見管鮑貧時交,此道今人棄如土。
貧しい時代の交友の歌。
手をひるがえせば雲となり、手をくつがえせば雨となる、入り乱れる(数多くの)軽薄なさまは、数える必要もない。
ご存じでしょう、管仲と鮑叔牙の貧しい時代の交わりを。この交友の精神は、現在の人々は土くれのように棄ててしまった。
貧交行:貧しい時代の交友の歌。
・行:歌。楽府題には『・・行』というものが多いが『貧交行』には楽府題はない。
翻手作雲覆手雨:手をひるがえせば雲となり、手をくつがえせば雨となる。 *情況に合わせて、態度をころころと変える友人たちのさまを謂う。 ・翻手:掌(たなごころ)をひるがえす。掌(てのひら)を上に向ける 。・作雲:雲になる。雲となる。 ・覆手:掌(たなごころ)をくつがえす。掌(てのひら)を下に向ける。 ・雨:〔名詞〕雨。〔動詞〕雨ふる。「翻手作雲覆手雨」は「翻手 作雲」と「覆手 雨」とは句中の対なので、「雨」は「あめふる(動詞)」と見たい。
紛紛輕薄何須數:入り乱れる(数多くの)軽薄なさまは、数える必要もない。 ・紛紛:乱れ散るさま。混じり乱れるさま。 ・輕薄:うわすべりで、真心がない。 ・何須:…する必要はない。何ぞ須(もち)いん。≒不須。 ・數:数える。動詞。「數」も多音字(両韻)で、名詞「數」、動詞「数える」となる。ここでの「數」は動詞の用法。
君不見管鮑貧時交:ご存じでしょう、管仲と鮑叔牙の貧しい時代の交わりを。 ・君不見:諸君、見たことがありませんか。詩を読んでいる人(聞いている人)に対する呼びかけ、強調。樂府体に使われる。「君不聞」もあり、そこでは詩のリズムが大きく変化する。使用法は、七言が主となる詩では「君不見□□□□□□□」とする場合が多いが、必ずしも一定でない。 ・交:交際。交わり。
此道今人棄如土:この交友の精神は、現在の人々は土くれのように棄ててしまった。 ・此道:この道。交友を指す。管鮑の交わりのような交友。「管鮑之交」。 ・今人:現在の人。作者と同時代人を指す。ここでは、作者の周りの軽薄な人々のことになる。 ・棄:すてる。廃棄する。 ・如:…のよう。 ・土:つちくれ。ここでは、価値の無い物をいう。
詩題の「行」というのは歌という意味で、転句は八言になっています。杜甫は人々の言行不一致を絶妙な比喩を用いて詠っています。
「管鮑 貧時の交わり」というのは、春秋時代の有名な故事です。杜甫は斉の鮑叔牙と管仲のような麗しい人の道は、いまは棄てて顧みられなくなったと言うのです。
「奉儒守官」を人生の目的とする杜甫は、任官の機会を得られないまま四十歳になっていました。天宝十載(751)正月に、杜甫は延恩?(えんおんき)に「三大礼の賦」とそれに付した表(上書)を投じました。延恩?というのは、大明宮の東西南北、四つの門に設けられた投書箱で、一般の民が天子に意見を述べるものです。杜甫は直接天子に訴えて、自分を知ってもらおうと投書に頼ったのでした。
「三大礼の賦」は玄宗の政事を礼賛するものでしたので、天子の目にとまったらしく、杜甫はほどなくして集賢院待制(しゅうけんいんたいせい)に任じられました。集賢院は宮中の図書寮ですが、待制というのは御用掛り候補といった意味です。順番が来れば選考・登用の機会が与えられるという程度のものです。それでも、杜甫は期待しましたが、春が過ぎても夏が過ぎても呼び出しはありませんでした。杜甫は自分が当てにしている人の好意というものが、いかに当てにならないものであるかを、しみじみと知ることになります。
貧交行
手を翻(ひるがへ)せば雲と 作(な)り 手を覆(くつがへ)せば 雨となる。
紛紛たる輕薄 何ぞ 數ふるを 須(もち)ゐん。
君見ずや 管鮑(くゎんんぱう) 貧時の交はりを,
此(こ)の道 今人(こんじん) 棄つること 土の如し。