韓愈 孟東野失子


孟東野失子 韓退之(韓愈)詩<83-#1>U中唐詩459 紀頌之の漢詩ブログ1456


孟東野失子?序
東野連産三子、不数日、輒失之。
幾老、念無後以悲。
其友人昌黎韓愈。懼其傷也。
推天假其命。以喩之。


孟東野失子
失子將何尤,吾將上尤天。女實主下人,與奪一何偏。
彼于女何有,乃令蕃且延。此獨何罪辜,生死旬日間。
上呼無時聞,滴地?到泉。地祇為之悲,瑟縮久不安。
#2
乃呼大靈龜,騎雲款天門。問天主下人,薄厚胡不均。
天曰天地人,由來不相關。吾懸日與月,吾系星與辰。
日月相噬齧,星辰?而顛。吾不女之罪,知非女由因。
#3
且物各有分,孰能使之然。有子與無子,禍福未可原。
魚子滿母腹,一一欲誰憐。細腰不自乳,舉族常孤鰥。
鴟梟啄母腦,母死子始翻。蝮蛇生子時,?裂腸與肝。
#4
好子雖雲好,未還恩與勤。惡子不可?,鴟梟蝮蛇然。
有子且勿喜,無子固勿歎。上聖不待教,賢聞語而遷。
下愚聞語惑,雖教無由悛。
#5
大靈頓頭受,即日以命還。地祇謂大靈,女往告其人。
東野夜得夢,有夫玄衣巾。闖然入其?,三稱天之言。
再拜謝玄夫,收悲以歡忻。



東野連産三子、不数日、輒失之。
東野は、つづけて三人の子を授かったけれども、数日ならずして、すなはちこれを矢へり。
幾老、念無後以悲。
老にちかくして、後つぐものなきをおもひて悲しぶ。
其友人昌黎韓愈。懼其傷也。
その友なる昌黎の韓愈、かれの傷かむことをおそる。
推天假其命。以喩之。
天のこころを推しはかりその天命【ことば】を借りて、もてこれをさとしぬ。
東野【とうや】は連【しき】りに三子を産み、数日ならずして、輒【すなわ】ち之を失へり。
幾ど老いむとして、後無きを念ひて以て悲む。
其の友人、昌黎【しょうれい】の韓愈、その傷まむことを懼れるなり。
天を推し其の命を假って、以て之を喩【さと】しぬ。


現代語訳と訳註
(本文)
東野連産三子、不数日、輒失之。
幾老、念無後以悲。
其友人昌黎韓愈。懼其傷也。
推天假其命。以喩之。


(下し文)
東野【とうや】は連【しき】りに三子を産み、数日ならずして、輒【すなわ】ち之を失へり。
幾ど老いむとして、後無きを念ひて以て悲む。
其の友人、昌黎【しょうれい】の韓愈、その傷まむことを懼れるなり。
天を推し其の命を假って、以て之を喩【さと】しぬ。


(現代語訳)
東野は、つづけて三人の子を授かったけれども、数日ならずして、すなはちこれを矢へり。
老にちかくして、後つぐものなきをおもひて悲しぶ。
その友なる昌黎の韓愈、かれの傷かむことをおそる。
天のこころを推しはかりその天命【ことば】を借りて、もてこれをさとしぬ。


(訳注)

東野連産三子、不数日、輒失之。
東野は、つづけて三人の子を授かったけれども、数日ならずして、すなはちこれを矢へり。

幾老、念無後以悲。
老にちかくして、後つぐものなきをおもひて悲しぶ。

其友人昌黎韓愈。懼其傷也。
その友なる昌黎の韓愈、かれの傷かむことをおそる。

推天假其命。以喩之。
天のこころを推しはかりその天命【ことば】を借りて、もてこれをさとしぬ。


孟東野失子
失子將何尤,吾將上尤天。
子を失うということは、まさに悲しいことで誰をとがめたらいいのか、『論語』にいう「天を怨みず。人を尤めず。」というが、わたしは、かの上なる天を尤めるものである。
女實主下人,與奪一何偏。
あなたの実際の存在は下界人の主なものである、子を与えておいて奪うと、どうしてそんな偏ったことをされるのか。
彼于女何有,乃令蕃且延。
彼の元気で育つ子供は、あなたにおいて何かがあったということなのであるが、それはすなわち、草木が生い茂るようにうまれ、かつ長生きをすることを願うのである。
此獨何罪辜,生死旬日間。
この亡くなった子供はひとり何の罪があるというのであろうか、生れてたった10日の間に、死んだのである。」
上呼無時聞,滴地?到泉。
天上にむかってかく呼んではみたが聞える時はないのだ。とめどない涙だけは地に滴りて黄泉の国にいたるのである。
地祇為之悲,瑟縮久不安。

涙が落ちた地の神は、このことを大変悲しんだ、かわいそうに思ってくれたのだろう縮んで伸びず、久しく安らにはならないのである。

子を失ひて 將に何をか尤【】めむとする、吾 將に 上 天を尤めむとす。
女は實に下人に主たるに、與奪一に何ぞ偏なる。
彼 女に於て何か有らむ、乃ち 蕃にして且つ延ならしむる。
此れ 濁り何の罪辜ありて、旬日の間に生死せしむる。
上に呼べども 時に聞く無し、地に滴りて 涙 泉に到る。
地祇 之が爲に悲み、瑟縮 久しくして安んぜず。


現代語訳と訳註
(本文)孟東野失子
失子將何尤,吾將上尤天。女實主下人,與奪一何偏。
彼于女何有,乃令蕃且延。此獨何罪辜,生死旬日間。
上呼無時聞,滴地?到泉。地祇為之悲,瑟縮久不安。


(下し文)
子を失ひて 將に何をか尤【】めむとする、吾 將に 上 天を尤めむとす。
女は實に下人に主たるに、與奪一に何ぞ偏なる。
彼 女に於て何か有らむ、乃ち 蕃にして且つ延ならしむる。
此れ 濁り何の罪辜ありて、旬日の間に生死せしむる。
上に呼べども 時に聞く無し、地に滴りて 涙 泉に到る。
地祇 之が爲に悲み、瑟縮 久しくして安んぜず。


(現代語訳)
子を失うということは、まさに悲しいことで誰をとがめたらいいのか、『論語』にいう「天を怨みず。人を尤めず。」というが、わたしは、かの上なる天を尤めるものである。
あなたの実際の存在は下界人の主なものである、子を与えておいて奪うと、どうしてそんな偏ったことをされるのか。
彼の元気で育つ子供は、あなたにおいて何かがあったということなのであるが、それはすなわち、草木が生い茂るようにうまれ、かつ長生きをすることを願うのである。
この亡くなった子供はひとり何の罪があるというのであろうか、生れてたった10日の間に、死んだのである。」
天上にむかってかく呼んではみたが聞える時はないのだ。とめどない涙だけは地に滴りて黄泉の国にいたるのである。
涙が落ちた地の神は、このことを大変悲しんだ、かわいそうに思ってくれたのだろう縮んで伸びず、久しく安らにはならないのである。


(訳注)
孟東野失子
昌黎詩集巻四
孟郊『杏殤九首』と対応している。
杏殤 九首 之五 孟郊(東野)詩<25>U中唐詩470 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1489
杏殤九首 之七 孟郊(東野)詩<26>U中唐詩471 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1492


失子將何尤,吾將上尤天。
子を失うということは、まさに悲しいことで誰をとがめたらいいのか、『論語』にいう「天を怨みず。人を尤めず。」というが、わたしは、かの上なる天を尤めるものである。
尤天 『論語』憲問に
「天を怨みず。人を尤めず。下学して上達す。我を知る著は其れ天か」という有名なことばがある。ところがいま、孟郊ほ、天を怨み、天を尤めようとしているのである。その悲しみの深さが知れよう。


女實主下人,與奪一何偏。
あなたの実際の存在は下界人の主なものである、子を与えておいて奪うと、どうしてそんな偏ったことをされるのか。
・女 汝と同じ。
一何偏 『荘子』雑篇、列禦寇、第三十二の末部の段に荘子曰「在上為烏鳶食,在下為螻蟻食、奪彼與此、何其偏也。』「上に在れば烏鳶の食と為り、下に在れば螻蟻の食と為る。彼より奪ひて此に与ふ、何ぞ其れ偏なるや。」にもとづいている。儒者の韓愈たちはこのくだりはよく理解していることなのである。


彼于女何有,乃令蕃且延。
彼の元気で育つ子供は、あなたにおいて何かがあったということなのであるが、それはすなわち、草木が生い茂るようにうまれ、かつ長生きをすることを願うのである。
・彼 世間の元気な赤ん坊たちをさしていっている。
・蕃 しげる。草木が生い茂る。ふえる。草木が重なり合うようにして生える。


此獨何罪辜,生死旬日間。
この亡くなった子供はひとり何の罪があるというのであろうか、生れてたった10日の間に、死んだのである。」
・此 なくなった子をさしていう。
・旬日 10日間。10日くらいの日数。


上呼無時聞,滴地?到泉。
天上にむかってかく呼んではみたが聞える時はないのだ。とめどない涙だけは地に滴りて黄泉の国にいたるのである。
・泉 黄泉、地下。黄泉の国。


地祇為之悲,瑟縮久不安。
涙が落ちた地の神は、このことを大変悲しんだ、かわいそうに思ってくれたのだろう縮んで伸びず、久しく安らにはならないのである。
・地舐 地の神。
・蕾縮 ちぢんでのびない。



『論語』憲問
子曰、莫我知也夫。
子貢曰、何為其莫知子也。
子曰、不怨天、不尤人、下学而上達、知我者其天乎。
子曰く、我を知る莫き(なき)かな。
子貢曰く、何為れぞそれ子を知る莫きや。
子曰く、天をも怨みず、人をも尤めず(とがめず)、下学(かがく)して上達す。我を知る者はそれ天か。
[現代語訳]先生が言われた。『私を知るものは誰もいない。』。子貢がそれを聞いて言った。『先生を知るものがいないというのはどうしてですか。』。先生が言われた。『天を恨まず、人もとがめることはない。下は人間社会について学問し、上は天命について学問をする。この私を正確に知るものは、やはり天であるか。』。
[解説]晩年の孔子は、最大の理解者である愛弟子の顔淵を失って悲嘆の淵に深く沈んでいた。自分の学問・思想・理念を根本から理解してくれる人間がこの世にいなくなったことを悲しんだ晩年の孔子が、ふと漏らしたのが『私を知るものはいない』という台詞であった。政治経済といった人間社会の原理から、人間社会の命運を規定する『天』にまで思索の範囲を延長した孔子……最後の最後で、自分のことを正確に理解してくれるのは、人智を超越した普遍の存在である『天』しかないと考えたのであろう。