李白 71 丁都護歌


李白69丁都護歌



丁都護歌
雲陽上征去、兩岸饒商賈。
?牛喘月時、?船一何苦。
水濁不可飲、壺漿半成土。
一唱都護歌、心摧?如雨。
萬人鑿磐石、無由達江滸。
君看石芒?、掩?悲千古。


丁都護の歌。
雲陽のまちから、江南の運河をさかのぼってゆくと、
両岸には、商人の店が賑わっている。
呉の地の水牛が月を見てさえ喘ぐという、暑い暑い夏の日盛りに、生身の人間が船を引くとは、何と苦しいこ

とか。
川の水は濁って、飲むことができない、壷に汲んでおいた水も、半ばは泥となって沈んでいる。
ひとたび「丁都護」の歌をうたえば、心臓も張り裂け、雨のように涙がこぼれる。
大勢の人々が駆り出され、大きな石に綱をかけて引いてゆくのに、石は重く、人は疲れ、長江のほとりに達す

るすべもない。
君よ見たまえ、あの大きな重い石を。あまりの痛ましさに顔を掩って泣き、永遠の深い悲しみに沈むのだ。



○丁都護歌
『楽府詩集』巻四十五「清商曲辞、呉声歌曲」に、「丁督護歌」として収められる。『宋書』巻十九「楽志=

の「督葦」には、以下のような本事が記される。彰坂内史の徐逵之が殺され、その葬儀を命ぜられた督護(都

護=地方の軍事官)の丁?に対して、徐逵之の妻(宋の高祖の長女)が呼びかける「丁督護よ」という嘆息の

声が哀切だった。後人は、その声に因ってその曲を整えた。(要旨)。李白のこの詩では、船引き人夫の労働

の苦しみを詠っている。


雲陽上征去、兩岸饒商賈。
雲陽のまちから、江南の運河をさかのぼってゆくと、両岸には、商人の店が賑わっている。
○雲陽−現在の江蘇省丹陽県。鎮江市の南で運河ぞいの町。○上征−上流に向かってゆく。○商賈−商人。本

来は、「商」は行商人、「賈」は店をもつ商人。


?牛喘月時、?船一何苦。
呉の地の水牛が月を見てさえ喘ぐという、暑い暑い夏の日盛りに、生身の人間が船を引くとは、何と苦しいこ

とか。
○呉牛喘月−呉の地方の水牛は、きびしい暑さを恐れるあまり、月を見ても太陽と思いこんで喘ぎだす、とい

う伝承。『世説新語』(「言語、第二」の二〇)の「満奮(姓名)風を畏る」の条と、その劉孝標注。


水濁不可飲、壺漿半成土。
川の水は濁って、飲むことができない、壷に汲んでおいた水も、半ばは泥となって沈んでいる。
○壷奬−壺の中の水。奬は酒や水のような液体。

一唱都護歌、心摧?如雨。
ひとたび「丁都護」の歌をうたえば、心臓も張り裂け、雨のように涙がこぼれる。


萬人鑿磐石、無由達江滸。
大勢の人々が駆り出され、大きな石に綱をかけて引いてゆくのに、石は重く、人は疲れ、長江のほとりに達す

るすべもない。
○盤石−大きな岩石。○江滸−長江のほと。・水辺。


君看石芒?、掩?悲千古。
君よ見たまえ、あの大きな重い石を。あまりの痛ましさに顔を掩って泣き、永遠の深い悲しみに沈むのだ。
○芒? 大きく重いさま。韻母と声調(平声)を共有する畳韻のオノマトベ。○掩涙−涙をおおいかくす、お

さえる。顔を掩って泣く。


○韻 賈、苦、土、雨、滸、古。


丁都護の歌
雲陽より上征し去けは、両岸に商貢餞し
呉牛 月に喘ぐの時、鵬を軒く↓に郁ぞ割しき
水濁りて飲む可からず、壷菜も半ば土と成る
一たび都護の歌を唱えば、心推けて 涙 雨の如し
万人にて盤石を繋ぐも、江瀞に達するに由無し
君看よ 石の空揚たるを、涙を掩いて千古に悲しむ




李白 70 勞勞亭 五言絶句



勞勞亭
天下傷心處,勞勞送客亭。
春風知別苦,不遣柳條。



勞勞亭
天下 心を傷ましむるの處,勞勞 客を送るの亭。
春風 別れの苦なるを知り, 柳條をして青からしめず。

勞勞亭 建康(現・南京)郊外南南西6キロメートルの油坊橋畔あたりにあった労労亭のこと。
 

天下傷心處、勞勞送客亭。
(労労亭は、歴史上)国中の心をいたましめる処だ。旅をする人を見送り(迎えてきた)宿である。 
○天下 天の下。この国全部。国家。国中。 ○傷心處 心をいたましめるところ。亡国の恨みのあるところ

。 ○勞勞 いたわる。ねぎらう。疲れを慰める。 ○送客:旅人を見送り(旅人を迎える)。 ○亭 宿場

。宿屋。街道に長亭、短亭が置かれた。ここでは前出、労労亭のこと。


春風知別苦、不遣柳條。
春風は、(数多くの)別離の苦しみ(晉が胡に滅ぼされた後、故地中原を後にして江南に渡り流れてきた苦難

など)を記憶している。 (春風は、別れの哀しみがあまりにも深いので、送別の儀礼・折楊柳に必要な)柳

を青くさせないでいる。(折楊柳をさせないで、この地に留まるようにさせている)。
○春風 はるかぜ。 ○知 分かっている。記憶している。 ○別苦 (西)晉が胡に滅ぼされた後、故地中

原を後にして江南に渡り流れてきた苦難をいう。
○遣 (人をつかわして)…に…させる。…をして…しむ。使役表現。 ○柳條 ヤナギの枝。シダレヤナギ

の枝。=柳枝。折楊柳は、漢代より人を送別する際の儀礼でもある。 ○ 青くなる。動詞としての用法。




李白 71 勞勞亭歌 七言古詩


勞勞亭歌
金陵勞勞送客堂。 蔓草離離生道旁。
古情不盡東流水。 此地悲風愁白楊。
我乘素舸同康樂。 朗詠清川飛夜霜。
昔聞牛渚吟五章。 今來何謝袁家郎。
苦竹寒聲動秋月。 獨宿空簾歸夢長。



労労亭の歌。
金陵の労労亭は、旅人を送る離堂。
蔓草が離離として生い茂り、道はたを埋めつくす。
懐古の情は、東流する長江の水に似て尽きることなく、
ここに吹く悲しい風は、自楊の葉を愁わしげに翻す。
わたしは、康楽公の謝霊運を気どって、素木のままの大船に乗り、「清らかな川面に夜霜が飛ぶ」と、高らか

に朗詠する。
昔はこの牛渚で、「詠史の詩」五章を吟ずるのが聞かれたものだ。
いまここで詠う我が歌が、衰家の息子、衰宏に及ばぬはずはない。
しかし、それを賞でる謝尚のような人はなく、苦竹がわびしい音を立てて、秋の月光の中に揺れるだけ。ただ

独り、相手のいない簾の中に宿って、帰郷の夢を見つづけるのだ。




労労亭歌
○労労亭−宋本・王本などの題下注に、「江寧県(南京市)の南十五里(約八キロ)に在り。古の送別の所。

一に臨漁観と名づく」とある。○無雑−多義語であるが、ここでは、草の生い茂るさま。


金陵勞勞送客堂。 蔓草離離生道旁。
金陵の労労亭は、旅人を送る離堂。蔓草が離離として生い茂り、道はたを埋めつくす。


古情不盡東流水。 此地悲風愁白楊。
懐古の情は、東流する長江の水に似て尽きることなく、
ここに吹く悲しい風は、自楊の葉を愁わしげに翻す。
○悲風愁白楊−悲しみを誘う風が自楊(ポプラの一種)の樹を愁しませる。「古詩十九首、その十四」に二白

楊に悲風多く、粛々として人を愁殺す」とある。○素痢−飾り立ててない素朴な大船。「画肪」の反意語。


我乘素舸同康樂。 朗詠清川飛夜霜。
わたしは、康楽公の謝霊運を気どって、素木のままの大船に乗り、「清らかな川面に夜霜が飛ぶ」と、高らか

に朗詠する。
○康楽−六朝宋代の詩人、康楽公に封ぜられた謝霊運。その「東陽(新江省金華)の渓中、贈答、その二」の

詩に、「縁流乗素肘」(流れに縁って素肘に乗る)とある。○清川飛夜霜−清らかな川面の上を夜の霜が流れ

飛ぶ。「霜」は空から降ると考えられていた。これは謝霊運の詩句と考えられているが、現存の作品中には見

られない。


昔聞牛渚吟五章。 今來何謝袁家郎。
昔はこの牛渚で、「詠史の詩」五章を吟ずるのが聞かれたものだ。いまここで詠う我が歌が、衰家の息子、衰

宏に及ばぬはずはない。
○牛渚−牛渚磯。現在の安徽省馬鞍山市にある采石磯のこと。「労々亭」の上流約三〇キロであるが、ここで

は同じ地域と意識されている。○吟五章1五章の(詠史の)詩を吟ずる。東晋の衰宏が、若いころ牛渚磯で船人

足をしながら自作の「詠史」の詩を諷詠していたとき、鎮西将軍の謝尚がそのすぐれた興趣を聞きつけて賞賛

し、秋の風月のもとで夜明けまで歓談した、という故事(『世説新語』「文学、第四」の八八、等)を踏まえ

る。蓑宏の「詠史詩」は、現在、二首が残る。○何謝 どうして見劣りがしようか。この「謝」は、「及ばな

い・劣る」の意。○袁家郎 衰家の若者、息子。上記の衰宏(若い時の名は「虎」)をさす。


苦竹寒聲動秋月。 獨宿空簾歸夢長。
しかし、それを賞でる謝尚のような人はなく、苦竹がわびしい音を立てて、秋の月光の中に揺れるだけ。ただ

独り、相手のいない簾の中に宿って、帰郷の夢を見つづけるのだ。
○苦竹−竹の一種。タケノコの味が若いので名づけられた。○空簾十−人のいない部屋の簾。ここでは、歓談

の相手のいない部屋、の意。


○韻 堂・傍・楊・霜・章・郎・長


労労亭の歌
金陵の労労 客を送る堂
蔓草 離離として 道の傍に生ず
古情 尽きず 東流の水
此の地 悲凰 白楊を愁えしむ
我れ素肘に乗じて 康楽と同じくし
朗詠す 清川に夜霜を飛ばすと
昔聞く 牛渚に五章を吟ぜしを
今来って何ぞ謝せん 衰家の即に
苦竹 寒声 秋月に動く
独り空簾に宿して 帰夢長し