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洞庭湖 湖南省

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洞庭湖の位置(北緯29.31度、東経112.95度)



● 地理

 7月から9月にかけて長江から大量の水が流れ込み、湖の面積が広がる。通常期の湖の面積は2,820km2(琵琶湖の約4倍)だが、長江から膨大な量の水と堆積物の流入によって増水期は20,000km2にも及ぶ広さになるという。洞庭湖に流入する河川は、湖南省四大河川といわれる湘江・資江・?江(げんこう)・?水(れいすい)で、瀟水(しょうすい)も湘江と永州市(長沙市の近郊)で合流している。海を航行できる程の規模の船でも、長江から洞庭湖・湘江と経由して長沙にたどり着くことができる。

● 歴史

漢代から、洞庭湖(主に北部)は雲夢大沢(うんぼうだいたく)と呼ばれており、現在の湖北省にあたる地域ではその栄養豊かな堆積物が農業用に珍重され、多くの田が造られてきた。その後も北部では港などの開発が進み、湖の南部が長江からの水の流入を主に受け入れるようになっている。
かつて、洞庭湖は中国で最も面積の大きい(淡水)湖であり、八百里洞庭と言われていた程であったが、現在では?陽湖につぐ大きさとなって、さらに農業用地として利用が進んでいるため小さくなってきている。
洞庭湖
洞庭湖(どうていこ)は中華人民共和国湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては?陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。湖北省と湖南省はこの湖の北と南にあることからその名が付いた。


洞庭湖

● 文化と名勝
洞庭湖一帯では古くから歴史と文学がはぐくまれてきたことで知られている。ドラゴンボートによるレースは洞庭湖の東岸に始まったとされ、その由来はこの湖に流入する川である汨羅江(べきらこう)に入水自殺した戦国時代の詩人・屈原の遺体を探し出そうとしたことにあるとされている。

北東岸にある岳陽楼(湖南省岳陽市)は杜甫の「岳陽楼に登る」をはじめ多くの詩人に詠まれ、范仲淹の「岳陽楼記」(先憂後楽の出典)がつくられたことで有名である。
昔は洞庭湖の中に浮かぶ島であった君山(くんざん)は、現在は岸とつながっているが、かつて多くの道士が隠棲しており、湘江の女神・湘君が遊んだところとして知られる。現在は君山銀針という茶の産地である。岳陽楼付近から船で渡ることができる。

洞庭湖の南部で、瀟水と湘江が合流する一帯の景色は「瀟湘湖南」と称されて親しまれてきた。これに古代の帝王・舜が葬られたとされている九嶷山を取り入れた景観もまたその美しさで知られ、多くの詩が詠まれてきた(劉禹錫の「瀟湘曲」など)。宋代から、このあたりの景観を主に八つの景色とし、瀟湘八景をテーマとした山水画を描くことが流行した。この方式が日本にも広まり、近江八景や金沢八景などの元となった。
洞庭湖の形状と周囲の河川
● 洞庭湖の形状と周囲の河川
近年、食用として洞庭湖周辺ではイタチやフクロウなどを食してきたために天敵がいなくなったネズミが異常発生し、2007年7月には20億匹に達し周辺地域の農作物を食い荒らす被害が急増し問題となっている。ネズミの天敵の猫や蛇などを放ち被害を食い止めようとしているが、逆に猫がネズミによって殺害されている状況にまで陥っている。

杜甫
漂泊(3)湖南省 江陵、洞庭湖・岳陽をめぐる辺:

五・七言歌行 人日兩篇   杜甫117 225 人日二首

五言古詩 「大暦三年春 白帝城より船を放ち、瞿唐峡を出ず 久しく?府に居り、将に江陵に適かむとして漂
泊、詩有り 凡そ四十韻」

五言古詩 行次古城店泛江作,不揆鄙拙,奉呈江陵幕府諸公 大暦三年春の作。
七言絶句 泊松滋江亭 
七言絶句 書堂飲既,夜複邀李尚書下馬,月下賦 ?句 
五言律詩 歸雁 
七言歌行 憶昔行 
五言律詩 舟月對驛近寺 
五言律詩 移居公安山館  山館(一作移居公安山館,編入江陵詩後)
七言歌行 醉歌行 贈公安顏少府請顧八題壁 
五言古詩 送顧八分文學適洪吉州 
五言律詩 官亭夕坐戲簡顏十少府 
七言絶句 書堂飲既,夜複邀李尚書下馬,月下賦?句
七言絶句 書堂飲既夜復邀李尚書下馬月下賦絶句 
七言歌行 公安送韋二少府匡贊 
五言律詩 公安縣懷古 
五言古詩 秋日荊南述懐三十韻 
五言律詩 江陵望幸(雄キ元壯麗)
五言律詩 宴王使君宅題 二首 
五言律詩 舟出江陵南浦,奉寄鄭少尹(審)246 舟出江陵南浦奉寄鄭少尹審(更欲投何処)
五言律詩 公安送李二十九弟晉肅入蜀 餘下?鄂 
七言律詩 發劉郎浦  浦在石首縣 昭烈納?女處 
五言古詩 別董? 
七言歌行 夜聞簷篥 大暦三年冬、南航時の作。
七言歌行 ?晏行 
五言律詩 泊岳陽城下 
五言律詩 登岳陽樓 

五言律詩 陪裴使君登岳陽樓 
五言律詩 歸  夢(帰 夢 
五言律詩 宿青草湖(重湖,南青草,北洞庭) 
五言律詩 宿白沙驛(初過湖南五裏)
五言律詩 湘夫人祠(即?陵廟 
五言律詩 祠南夕望 
五言古詩 遣遇 
五言古詩 解憂 大暦四年春、南航時の作。
五言古詩 宿鑿石浦(浦在湘潭縣西 
五言古詩 過津口 
五言古詩 次空靈岸 
五言古詩 宿花石戍(長沙有?口、花石二戍) 

五言古詩 清明二首
五言律詩 發潭州(時自潭之衡) 
五言律詩 入喬口(長沙北界) 
五言律詩 江閣臥病走筆寄呈崔、盧兩侍禦 
五言古詩 岳麓山道林二寺行 
五言律詩 樓上 
五言古詩 望岳 南岳衡山を望んだことをよんだ詩。大暦四年春晩。
七言歌行 朱鳳行 
五言律詩 遠遊 
五言律詩 千秋節有感二首(八月二日為明皇千秋節 
五言古詩 蘇大侍禦訪江浦,賦八韻記異 
五言古詩 北風(新康江口信宿方行) 
五言律詩 北風 
五言古詩 幽人 
五言律詩 江漢  
五言律詩 地  隅 
五言律詩 舟中夜雪,有懷盧十四侍禦弟 
五言律詩 蠶谷行 
七言歌行 白鳧行 
七言歌行 追酬故高蜀州人日見寄並序 
五言律詩 送魏二十四司直充嶺南掌選崔郎中判官兼寄韋韶州 
五言律詩 歸雁 二首
 
七言絶句 江南逢李龜年 江南の地で歌者李亀年に逢ったときの感をのぺる。大磨五年春、潭州の作。
七言律詩 小寒食舟中作 
七言律詩 燕子來舟中作 
五言律詩 江閣對雨有懷行營裴二端公(裴?與討臧?故有行營) 
五言古詩 題衡山縣文宣王廟新學堂、呈陸宰 大暦五年夏、衡州へ向かう途中の作。
五言律詩 舟泛洞庭(一作過洞庭湖 
七言歌行 清明

五言古詩 登舟將適漢陽 
五言古詩 聶耒陽以僕阻水書致酒肉、療饑荒江詩得代懐興尽本、韻至県呈聶令陸路去方田、駅四十里舟行一日時
属、漲泊於方田 

五言古詩 迴棹 

五言古詩 風疾舟中伏枕書懷三十六韻,奉呈湖南親友 



王維
李白
 


  

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