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雰囲気の柔らかい詩を書く詩人たち
 虞美人 王昭君  卓文君  劉細君  班u、  蔡炎  謝眺 上官婉兒  楊貴妃 薛濤  唐婉  魚玄機の詩  秋瑾
 李 白 楊貴妃を詠う
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 四大美女の詩


中国の世の変遷 時に詠う
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中国の時代と詩人のたち




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1.東周 春秋 前 770〜前403戦国 〜前221
  孔子  孟子  屈原 伯夷 宋玉 荊軻 
呉越の戦い  西施ものがたり
2. 前221〜前206
 項籍(項羽) 虞美人
 前206 鴻門の会
 前漢 前202〜8
 王昭君 高祖(劉邦) 枚乘  東方朔  漢-武帝 (劉徹)  劉細君  李 陵 蘇武
3.新 8〜23
 卓文君  楊雄  班彪

後漢25〜220  184〜280
 李延年  張角  蔡邑  趙壹  禰衡  関羽  班u、 梁鴻

三国時代 
 武帝曹操 文帝曹丕 曹植 繁欽 蔡炎 繆襲
黄巾の乱
230頃 竹林の七賢
 応擧 阮籍  惠康  山濤  劉伶  阮咸  向秀  王戎  孫楚 張華 張協 潘岳 左思 陸機 陸雲 潘尼

4.五胡十六国 301頃〜439
 東晋 317〜420
 元帝 (東晋)   王羲之   陶淵明(陶潜) 僧肇
   420〜479 永明体
 謝霊運 顔 延之
 北魏386〜535
  鮑照  
    420〜479 永明体

  謝兆    任 ム  沈約  王融  蘇小小  孔稚珪  刑邵  斛律金  鍾エ
   502〜557
  蕭衍・梁武帝   范雲  何遜  王籍  陸垂  蕭陳  萸信  王褒  徐 陵

   557〜589
  陳後主  陰鏗


 581〜618
  楊 素  薛道衡  観徳王・楊雄

 ○ 初唐の詩人たち
  魏徴  上官儀  王勃  盧照鄰  駱賓王  劉廷芝・劉希夷 楊炯 陳子昴 上官婉兒  宋之問  沈栓期



 ○ 盛唐の詩人たち
 張若虚 包融 王翰 蘇廷 僧一行 張説 張九齢 賀知章 張旭 王之渙 孟浩然 李祈  楊貴妃 王維  李白 諸光羲 崔敏童 王昌齢 嚴武 高適 裴迪 荊叔 賈至 崔敏童 崔國輔 杜甫岑參 常建 張敬忠 崔惠童 樓穎 皎然 薛業 顔眞卿


 ○ 中唐の詩人たち
 張謂   錢起  靈一  朱放   劉長卿   戴叔倫  司空曙  楊巨源  耿夷   陸羽   顧況   盧綸   孟郊   武元衡  崔護  李賀 權コ輿  柳宗元 李益 元槇 白居易・白楽天 劉禹錫 韓愈 張継 張籍 韋應物  賈島  李紳  李渉・李渤   薛瑩   薛濤


 ○ 晩唐の詩人たち
  牛嬌  杜牧  張湖  許渾  李商隠  温庭均  陸龜蒙  皮日休  鄭畋  黄巣  劉綺莊  唐彦謙  趙瑕  陳陶  張喬  于武陵  高胼  聶夷中  曹松  魚玄機  杜荀鶴  羅隱  韋荘  秦韜玉  汪遵

五代十国 907〜960
 林逋  蘇舜欽  柳永  晏殊  欧陽脩  曾鞏  司馬光  王安石  蘇洵  富弼(ふひつ  蘇軾(蘇東坡)  蘇轍  宋江  孫覿  張元幹
南宋1127年 - 1279年
  岳飛  呂祖謙  張蝕  陸象山  朱熹(朱子)  陸游  唐婉  辛棄疾  戴復古  周密  陳亮      杜秉  張元幹  張孝祥  眞山民  楊萬里  劉克莊  文天祥  謝枋得

金  1115〜1234
元好問

元  1271〜
馬致遠

明  1368〜
  太祖・朱元璋  高 啓  于 謙  方孝孺  文 嘉  王陽明  海瑞  劉基

清・近現代 1644〜
 呉偉業  顧炎武  和申  洪秀全  譚嗣同  張之洞 黄遵憲  孫 文  梁啓超 秋 瑾  魯迅 老舎 毛沢東








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王朝の栄枯盛衰

西施ものがたり


西施に関連した詩  李白 蘇台覧古 越中覧古 採蓮曲 緑水曲
                越女詞


 本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。

現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施→西施と呼ばれるようになった。

 紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。
 この時の越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。
 呉にとってこの良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。
 次は美女軍団が呉の国王を狂わせた。
 十八史略には、西施の美の絶世ぶりをしめすエピソードが記されている。西施は、呉王 夫差の寵姫となって胸の病となり、故郷の村に帰ってきた。西施は、痛む胸を手でおさえ、苦しみに眉をひそめて歩いた。それがかえって色香を引出し、村人の目を引いた。そのときに村に評判の醜女がいて、西施のまねた行動をした。それは、異様な姿に映り、かえって村人に嫌われた。これを「西施捧心」と四字熟語で表され、実もないのに真似をしても無駄なことだということだが、日本では、これだけやっていますが、自分の力だけでなく、真似をしただけですよという謙遜の意味に使用されることが多い。

 このようにまれな美しさをそなえた西施は、呉王 夫差を虜(とりこ)にした。夫差は、西施のために八景を築き、その中でともに遊んだ。それぞれの風景の中には、所々に、席がもうけられ、優雅な宴(うたげ)がもよおされた。夏がくれば、西施とともに船を浮かべ、西施が水浴すると、呉王 夫差は、その美しい肢体に見入った。こうして、夫差は夢幻の悦楽の世界にひたり、政治も軍事も、そして民さえ忘れてしまった。傾国が始まったのである。


策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。

その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。

 中国では古くから、朝食をとったあと今でいうオープンカフェのようなところでお茶の実ながら、講談師が語る講談を聞く習慣があり、そこでは、悲劇はさらに誇張された悲劇に、武勇はさらに勇壮なものに脚色されていく。面白おかしく変化し、伝説となっていく。西施も講談の格好の題材とされた。
 この講談師の種本が中国のよく古本屋で見かけることがある。

中国四大美人の一人と呼ばれる一方で、俗説では絶世の美女である彼女にも一点欠点があったともいわれており、それが西施の場合は大根足であったとされ、常にすその長い衣が欠かせなかったといわれている。逆に四大美女としての画題となると、彼女が川で足を出して洗濯をする姿に見とれて魚達は泳ぐのを忘れてしまったという俗説から「沈魚美人」とあてられる。

 奴隷制の時代である、一握りの貴族こそが人であり、残りの人間は、道具である。だから、下層身分で生まれたものは、一芸か、美貌こそが一家を富ませる最大の武器であり、王や朝廷からお声がかかるのは一家の誉だったのである。したがって、悲劇ではなく、下層階級からすれば、憧れということでもある。ものがたりには、悲劇とか、策略とか、艶香妖術ということと憧れというこのふり幅を大きくしていく講談の面白さである。