杜甫の詩 成都 浣花渓 |
寶應元年762年51 歳 |
五言律詩 | d595 贈別何? | |
五言律詩 | d596212 贈別鄭鏈赴襄陽 | ||
七言律詩 | f599 嚴中丞枉駕見過 御史中丞の厳武が自分の草堂へわざわざたずねてくれた。厳武は東川から西川へうつったのであってしかも西川をすべて管轄せよとの勅命をうけて来任したのである。宝応元年の作であろう。 |
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五言律詩 | f611畏人 人をはばかって草堂にわびしくくらすことをのべる。 | ||
五言律詩 | f616屏跡三首 浣花の草堂に人まじらいをせずびっこんでおることをのべる。宝応元年 | ||
七言絶句 | f603 絶句漫興九首 | ||
七言絶句 | f605 三絶句 | ||
七言絶句 | f605 江畔獨?尋花 七絶句 | ||
七言絶句 | f606 戲為六?句 作者が戯れにつくった六首の絶句である。しかし決して戯れではなくまじめな文学上の議論をのべている。 | ||
五言律詩 | f607 江頭四詠。丁香(ちょうじ) | ||
五言律詩 | f608 江頭四詠。梔子 (くちなしのみ) | ||
五言律詩 | f609 江頭四詠。??けいせき | ||
五言律詩 | f610 江頭四詠。花鴨 | ||
五言律詩 | f611 畏人 | ||
五言律詩 | f612 遠遊 | ||
七言律詩 | f613 1198 野望 | ||
七言絶句 | f614 官池春雁 二首 | ||
五言律詩 | f615 水檻遣心二首 別サイト水檻に心を遣る 杜甫 | ||
五言律詩 | f616 屏跡三首 | ||
七言絶句 | s001 少年行、少年行二首 貴族の子弟が酒屋において倣慢ちきに酒をのむさまをうたう。宝応元年の作。 | ||
七言律詩 | f617奉酬厳公寄題野亭之作 厳武が草堂へ詩をよこしてくれたにつけてそれに返事するために作った詩。宝応元年の作。厳武の詩は後にかかげる。 | ||
七言律詩 | f620 嚴公仲夏枉駕草堂,兼攜酒饌(得寒字)厳武が五月にわざわざ草堂をたずね、そのうえ酒や食物まで持参でやってきてくれたときに作った詩。但し韻を分けて自分は寒の字を得てつくったのである。宝応元年五月の作。 | ||
五言律詩 | f621 嚴公廳宴,同詠蜀道畫圖(得空字)厳武の官邸の酒宴にあって蜀道の画図を観てともに詠じた詩。宝応元年成都においでの作。 | ||
四月、玄宗・粛宗あいついで崩じ、代宗位に即く。七月、厳武、中央に召還され、高適、成都尹となる。徐知道、謀反をおこし、八月、その部下に殺さる。十月、僕固懐恩、史朝義を破り、洛陽を回復す。この年、李白死す | |||
寶應元年762年51歳 | 五言古詩 | f622 奉送嚴公入朝十韻 厳武が成都から中央の朝廷へかえるのを送った詩。宝応元年夏の作。 | |
五言古詩 | f623 送嚴侍郎到綿州,同登杜使君江樓(得心字) 兵部侍郎厳武を送って綿州までゆき、そこでいっしょに刺史杜某の江楼に登って酒盛りをしたことを述べた詩である。宝応元年六月綿州にあっての作。 | ||
五言律詩 | f624 奉濟驛重送嚴公四韻 綿州の城外の奉済駅というところで、いよいよ厳武と別れるときに、重ねて彼を送るために作った詩。 | ||
七言歌行 | f163 観打魚歌 綿州の?江の東津で魴魚の網打ちを観てつくったうた。宝応元年綿州にあっての作。 | ||
七言歌行 | f164 又観打魚 また魚をとるのを観てよんだうた。前詩とほとんど同時の作であろう。 | ||
七言律詩 | f165 越王樓歌(太宗子越王貞為綿州刺史,作台於州城西北)越王貞が建てた綿州の城外の楼にのぼってつくった歌。宝応元年綿州にあっての作。 | ||
五言律詩 | f600廣州段功曹到得楊五長史譚書功曹卻歸聊寄此詩 広州の段功菅がきてくれたので自分は広州の都督府の長史楊諸の手紙を得た。段がもどるというので自分は此の詩を楊に寄せた。宝応元年梓州にあっての作。 | ||
五言律詩 | f602 送段功曹歸廣州 段功曹が広州へもどるのを送る詩。宝応元年春梓州にあっての作か。 | ||
五言律詩 | f633 題玄武禪師屋壁(屋在中江大雄山)玄武山の或る禅師の屋壁にかきつけた詩。宝応元年梓州にあっての作。 | ||
五言律詩 | f634 客夜 宝応元年秋、梓州にあっての作。梓州にあってのたびの夜のこころもちをのべる。妻の手紙を得た夜のことであろう。 | ||
五言律詩 | f635 客亭 梓州の寓居の事でのさまをのべた。前の「客夜」と同時の作であろう。宝応元年梓州にあっての作。 | ||
五言律詩 | f636 秋盡 | ||
五言律詩 | f628 九日奉寄嚴大夫 九日の祝日にあたり御史大夫厳武に寄せた詩。宝応元年重陽に梓州にあって、梓州より寄せた作である。 | ||
五言律詩 | f657 戲題寄上漢中王三首 漢中王李璃にであったところ酒を禁じておられるので戯れにかきつけて王にたてまつった詩。宝応元年梓州にあっての作。 | ||
五言律詩 | f670翫月呈漠中王 月の光をめでて漠中王にたてまつった詩。これは月をもてあそぶというが惜別の詩である、惜別のあわただしいとき月の光をめでるというのは王に対する恋着の情をこめたものかと察せられる。宝応元年梓州にあっての作。 | ||
七言律詩 | f638 野望 射洪県の野外にあって眺望してよんだ詩。宝応元年十一月、射洪県にあっての作。 | ||
五言古詩 | f170 冬到金華山観因得故拾遺陳公草堂遺跡 冬、金葦山の通観にいったところが、もとの拾遺陳公の勉学した堂の遺跡をみつけた。宝応元年十一月射洪県にあっての作。 | ||
十月、吐蕃、長安を陥れ、代宗、陜州に幸す。郭子儀、長安を回復す。 | |||
寶應元年762年51歳 | 五言古詩 | f175 通泉騨南去通泉麟十五里山水作 射洪から通泉県の方へ赴くとき、県のてまえ十里ばかりの通泉駅で山水をみてつくった詩。宝応元年十一月の作。 | |
五言古詩 | f176過郭代公故宅(郭代公が故宅を過る) 通泉県にある代国公郭寅の故宅を見まってつくった詩。宝応元年十一月の作。 | ||
七言律詩 | 送路六侍御入朝 | ||
七言律詩 | f639 「聞官軍收河南河北」杜甫 官軍が河北・河南の地方を賊軍の手からとりこんだというしらせを聞いてよんだ詩。広徳元年春、梓州にあっての作。*〔原注〕 余田園在東京170 聞官軍収河南河北(剣外忽伝収薊北) | ||
五言律詩 | f612 遠 遊 他郷に遠遊する身で賊軍の敗北をきき喜びのあまり作った詩。広徳元年春、梓州にあっての作。 | ||
五言律詩 | f641 「春日梓州登樓二首」杜甫 春の日にあたり梓州においてその城楼にのぼって旅の思いをのべた詩。広徳元年春梓州にあっての作。 | ||
五言律詩 | f667「有感五首」杜甫 感ずる所があって作った詩。広徳元年の作であろう。 | ||
五言律詩 | f640「?江泛舟送韋班歸京(得山字)」杜甫 ?江に舟をうかべて韋班というものがみやこへかえるのを送る詩。広徳元年春、の作。 | ||
五言律詩 | f642「?城西原送李判官兄、武判官弟赴成都府」杜甫 ?県県城の西方高地で判官である李・武の二人が成都府の方へ赴くのを送る詩。広徳元年春梓州にあっての作。(763年52歳) | ||
七言律詩 | f656 「?城縣香積寺官閣」杜甫 浩城県の香積寺にある官闇についてよんだ。広徳元年春、梓州にあったときの作。 | ||
二月、厳武、再び節度使として成都に来たる。三月、高適、中央に召還さる。 | |||
広徳元年763年52歳 | 五言律詩 | f701 「百舌」杜甫もずの鳥に感じてよんだ詩。君側の讒人をそしったもの。程元振を意味しているのであろうという。広徳元年春、?州にあっての作。 | |
五言律詩 | f647 「望牛頭寺」杜甫 山のうえにある牛頭寺をのぞんだことをのべた詩。広徳元年、梓州にあっての作。 | ||
五言律詩 | f648 「上兜率寺」杜甫 兜率寺にのぼってよんだ詩。広徳元年梓州にあっての作。 | ||
五言律詩 | f653 「陪李梓州、王?州、蘇遂州、李果州四使君登惠義寺」杜甫 李・王・蘇・李の四人の刺史のともをして恵義寺にのぼった詩。広徳元年梓州にあっての作。 | ||
五言律詩 | f719 「倚杖(鹽亭縣作)」杜甫 塩亭県の渓辺で杖に倚って眺めたときのことをよんだ詩。前詩とおなじく広徳元年春、梓州より塩亭県にいたったときの作。*〔原注〕 鹽亭縣作(塩亭県にて作る) | ||
五言律詩 | f713 「送韋郎司直歸成都」杜甫 司直韋某が成都へかえるのを送る詩。広徳元年梓州にあっての作。* 〔原注〕 余草堂在成都西部(余が草堂は成都の西部に在り) | ||
f162 「述古三首」杜甫此の三首は広徳元年代宗即位の後、梓州にあっての作であろう。 | |||
五言律詩 | f669 「章梓州水亭」杜甫 章彝の池中の亭で作った詩。この時漢中王や道士席謙も座にあり、みなが「荷」の字の韻をつかって詩をつくった。広徳元年秋、梓州にあっての作。*〔原注〕 時漠中王乗道士席謙在合、同用荷字韻(時に漢中王兼び道士席謙会に在り、同じく荷の字の韻を用う) | ||
五言古詩 | f677 「送陵州路使君赴任」杜甫 陵州の刺史に任ぜられた路某が任地へゆくのを送る詩。広徳元年秋、梓州にあっての作。 | ||
五言律詩 | f668「送元二適江左」杜甫 元某が江左の方へゆくのを送る詩。広徳元年の作であろうという。* 〔原注〕 元結也(元結なり) | ||
五言律詩 | F663 封雨 雨にうちむかって感をのべる。広徳元年秋、梓州より閭州に赴こうとするころの作。 | ||
五言律詩 | f688 「放船」杜甫 船を放って嘉陵江をくだったことをのべる。広徳元年秋、聞州にあっての作。 | ||
広徳元年763年52歳 | 五言律詩 | F665「王命」杜甫 「字解」の条に詳かである。広徳元年十月、閲州にあっての作であろう。 | |
五言律詩 | f679 「西山三首(即岷山,捍阻羌夷,全蜀巨障)」杜甫吐蕃が松州を囲んだときのことをのぺる、雪嶺がその境にあるので「西山」と題した。広徳元年の作。 | ||
五言律詩 | 195 「發?中」杜甫?中から出発して梓州へかえったときの詩。広徳元年十二月の作。 | ||
五言律詩 | f000 遣 憂(憂いを遣る)吐蕃侵入のことをきき心配をはらうためにつくった詩。広徳元年冬の作。 | ||
七言歌行 | F198「冬狩行(時梓州刺史章彝兼侍御史留後東川)」杜甫章?が冬の狩をしたことについてのべる。広徳元年冬梓州にあっての作。* 〔原注〕 時梓州刺史章車、乗侍御史、留後東川(時に梓州の刺豊早攣侍御史を兼ねて、東川に留後たり) | ||
七言歌行 | f187 桃竹杖引,贈章留後(竹兼可為簟,名桃笙)章留後からしゅろ竹の杖二本をもらったので章に贈った詩。広徳元年冬の作。 | ||
七言律詩 | 173 登 楼(花近高楼傷客心) 春三月、一年三か月振りに浣花渓の草堂。途中、戻っていましたが、事実上1年9ヶ月。 | ||
五言古詩 | 太子張舎人織成褥段 | ||
五言絶句 | 174絶句二首 六月になると杜甫は厳武の辟召(へきしょう)を受け、節度参謀・検校工部員外郎(従六品上)に任ぜられる。 | ||
176 送舎弟頴赴斉州三首 其一(岷嶺南蛮北) | |||
七言絶句 | 177奉和厳大夫軍城早秋(秋風嫋嫋動高旌) 九月成都より兵を発、維州を奪回。 | ||
九月、十一月、厳武、吐蕃を破る。この年、鄭虔・蘇漁明ともに死す。 | |||
広徳2年764年53歳 | 178 遣悶奉呈厳公二十韻(白水魚竿客) | ||
七言歌行 | f203 「?山歌」 ?州の山を見て感ずる所をのべた。広徳二年間州にあっての作。 | ||
七言歌行 | f204 「?水歌」 ?州の城南にあって嘉陵江のうつくしいさまをながめてよんだ歌。広徳二年の作。 | ||
五言古詩 | f695 陪王使君晦日泛江就?家亭子 二首 ?州刺史王君のともをして正月三十日に嘉陵江に舟をうかべ、貴家の亭に出かけてあそんだことをのべた詩。広徳二年の作。 | ||
正月、高適死す。 | |||
広徳2年764年53歳 | 五言律詩 | f694 泛江 嘉陵江に舟をうかべたことをのべる。広徳二年春、閲州にあっての作。 | |
五言律詩 | f000 巴西聞収京闕、迭班司馬入京二首 巴西(すなわち聞州)で官軍が都の宮関をとりかえしたときき、そのおり班司馬が都へでかけるのを送った詩。広徳二年春の作。 | ||
五言律詩 | f684 城上(一作空城) ?州の城上に立ってながめたときの感をのべる。仇氏は顧震の注をひいて、此の詩は広徳二年の春、作者が梓州より?州に行ったときの作 | ||
五言古詩 | f686 傷春五首(巴?僻遠傷春罷始知春前已收宮闕)春景色を見て傷んだことをのべる。 | ||
五言律詩 | f703 「遊子」杜甫 たび人としての感じをいう。蜀を出たいというのである。広徳二年春、?州にあっての作。 | ||
@七言/A五言律詩 | 707 滕王亭子 膝王の建てた亭にあそんで古をおもったことをのべる。広徳二年春の作であろう。* 〔原注〕 亭在玉茎観内、王曾典此州(草は玉台観の内に在り、王曾て此の州を典どる) | ||
@七言/A五言律詩 | 708 玉台觀 二首 前の詩、滕王亭子と同時の作であろう。 | ||
七言律詩 | F692 將赴荊南,寄別李劍州 荊南へ赴こうとして剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。作者は宝応元年より広徳二年三月までの間に綿・梓・?州の三州に来往したが、其の梓・?にあるときには、しばしば船にのって峡を出ようとした。此の篇も其の意をのべている。広徳二年春、梓州にあっての作であろうか。 | ||
七言律詩 | f689 奉待嚴大夫 広徳二年の春(二月であろう)、作者は厳武が剣南節度使となって来任すると聞き、武を待つこころをのべて寄せた詩。梓州においての作か、?州においての作かは明らかでない | ||
五言律詩 | f711 渡江 ?州を発しょうとして嘉陵江をわたったときの詩。広徳二年二月の作。 | ||
五言律詩 | f716 自?州領妻子卻赴蜀山行 三首 ?州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。広徳二年二月の作。 | ||
五言律詩 | f715 別房太尉墓(在?州) 広徳二年春、聞州より成都に赴こうとして房?の墓に別れる情をのべた詩。作者の文集中に広徳元年九月に作った「故相国滑河房公ヲ祭ル文」がある。 | ||
七言律詩 | f171 将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首杜甫は厳武公に会えるのは嬉しかったのです。この詩はそれがよく現れています。よく理解するため状況を整理してみましょう。 | ||
五言古詩 | f205草堂 杜甫 作者が三年ぶりに草堂にもどってきたことをのべた詩。作者は宝応元年夏、厳武が召されて入朝するにつき成都の草堂を離れ綿州にいたった。同年七月に剣南西川兵馬使徐知道が叛き、八月に誅に伏した。当時作者は家族をたずさえて乱を避け梓州に赴いた。其の後、梓・閲の間を往来していたが、広徳二年の春厳武が再び剣南節度使として来任するということをきいて成都へもどってきたのである。 | ||
五言古詩 | f725 春歸 春、成都の草堂に帰ってきたことをよんだ。広徳二年季春の作。以下の諸篇はしばしまた草堂にあっての作となる。 | ||
七言律詩 | f690 奉寄高常侍(一作寄高三十五大夫) 杜甫 左散騎常侍高適が長安の都へかえるのにつき別れの意をのべて寄せた詩。広徳二年三月成都の作。 | ||
五言古詩 | f727贈王二十四侍禦契四十韻(王契,字佐卿,京兆人)杜甫侍御史王契に贈った詩。広徳二年春の作。 | ||
七言律詩 | f724登樓成都の城楼にのぼって見る所と感ずる所とをのべた。広徳二年春の作。 | ||
広徳2年764年53歳 | 五言絶句 | f726 歸雁 春さき北方へかえる雁をみてよんだ詩。広徳二年春、成都にあっての作 | |
七言絶句 | f753?句四首 渓前の景を叙する。近くの小さな景と遠くの大きな景とをとりあわせて趣致をなしている。仇氏は朱本によって広徳二年夏の作とし、もと永泰元年の作としていたのを正している | ||
七言歌行 | f191 丹青引,贈曹將軍霸 左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で覇に贈ったものである。広徳二年、成都にあっての作。* 〔原注〕 贈曹将軍覇(曹将軍薪に贈る) | ||
七言歌行 | f189 韋諷?事宅觀曹將軍畫馬圖 録事章諷の宅において曹覇の九馬の図を見てよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作 | ||
五言古詩 | f212 太子張舍人遺織成褥段太子舎人張某がしとねにする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。 | ||
七言歌行 | f197 憶昔二首昔のことを憶って作る。 | ||
五言古詩 | f728 寄董卿嘉榮十韻 董嘉栄が秋、防禦のために吐蕃の国境へ出征しているのに寄せた詩。広徳二年成都にあっての作。 | ||
五言古詩 | f736 立秋雨院中有作作者が節度の参謀となって立秋の日に節度使の官邸において雨にあい感ずる所をのべた詩。広徳二年七月の作。 | ||
七言絶句 | f737 奉和嚴鄭公軍城早秋 厳武が「軍城早秋」と題する詩を作ったので、それに和してつくった詩。広徳二年七月の作。 | ||
七言律詩 | f738 院中?晴懷西郭茅舍 節度使官邸の奥座敷で夕晴れにあい草堂のことをおもってよんだ詩。広徳二年秋の作。 | ||
七言律詩 | f740 宿府 厳武の幕府にとまったことをよんだ詩。広徳二年秋の作。 | ||
五言律詩 | f661 倦夜(?曾《漫?》雲:顧陶《類編》題作倦秋夜) だるい夜のねむられぬおりの景情をのべた詩。広徳二年秋、草堂にあっての作。 | ||
五言古詩 | f741 遣悶奉呈嚴公二十韻 胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。広徳二年秋、幕中にあっての作。 | ||
五言律詩 | f742 送舍弟頻赴齊州 三首弟頻が斉州へ赴くのを送った詩、第一首は別れを惜しむ意をのぺる。広徳二年秋、成都の作。 | ||
五言古詩 | f745 奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻(得忘字)鄭国公厳武の客間にかけてある岷山花江の画図を観てよんだ詩。広徳二年秋の作。 | ||
五言律詩 | f735 過故斛斯校書莊二首 | ||
五言律詩 | f630 懷舊 杜甫旧友のことをおもってよんだ詩。広徳二年の作か。或は永泰元年の作とする。* 〔原注〕 公前名預、避御諒、改名源明(公前の名は預、御諒を避け、名を源明と改む) | ||
五言古詩 | f202 別唐十五誡,因寄禮部賈侍郎(賈至) 唐誡が洛陽へゆくのに別れ、ついでに礼部侍郎賈至に寄せるためによんだ詩。広徳二年秋の作。 | ||
五言古詩 | d206 四松 | ||
↓白頭翁 shita 2首とも | |||
五言律詩 | f528 寄賀蘭銛 (賀蘭銛に寄す)賀蘭銛によせて別意をのべた詩。広徳二年冬末の作であろう。 | ||
永泰元年765年54歳 | 五言律詩 | f749 正月三日歸溪上有作,簡院?諸公 永泰元年の正月三日に幕府から浣花渓のほとりの草堂へもどったときできた詩。それを手紙のかわりに府中の同僚諸君へやった。これより以後は作者はふたたび幕府へは出仕しなかった。 | |
五言律詩 | f751 春日江村 五首 春の日、江ぞいのむらの生活についてよんだ詩。永泰元年春草堂にあっての作。ここには第一首のみをとる。 | ||
五言律詩 | f698 春遠 第四句の「春遠」の二字を切りとって題とする、遠地の春のおもいをのべている。永泰元年草堂にあっての作 | ||
七言律詩 | f158 天邊行 起句の二字を切りとって題とする、故郷の弟を思うことをのべる。永泰元年三月草堂にあっての作。 |