http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/     http://kanbun-iinkai.com     http://3rd.geocities.jp/miz910yh/     http://kanbuniinkai7.dousetsu.com http://kanbuniinkai06.sitemix.jp/   http://kanbuniinkai.web.fc2.com/ http://kanbuniinkai12.dousetsu.com/   http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/

1112 蜀相


1112 蜀相  (成都、浣花渓に草堂で)
上元元年 760年49歳
 成都には三国蜀漢の丞相諸葛孔明の祠堂があります。杜甫は身辺が落ち着くとさっそく、かねて尊敬する孔明の祠堂を訪ねました。孔明を祀る武侯祠は成都西南の郊外、柏の杜(もり)のなかにありました。

蜀相      
丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。
映?碧草自春色,隔葉黄?空好音。
三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。
出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。

蜀の丞相諸葛孔明の詞堂は何処にたずぬべきか、それはほかならぬ錦官城外の柏樹の森森とたちならんだところがそれである。来てみればきざはしに映うている碧の草はおのずから春の色を呈しておるが、葉かげにさえずるうぐいすはいたずらによいねいろにないているばかり、其の人は見えぬのである。むかし蜀の先主がしげしげと三たびまでこの人を草廬のうちに顧みたというのは天下を安んずるの計を定めたいためばかりであったのであり、親子二代の君に対してかくすところなく胸のうちをひらいて仕事をなしたというはまったくこの老臣の心がらからでたことである。しかるにせっかく魏を伐たんとの軍隊を出しながらまだ勝ち戦とならぬうちに自分の身体が先に死んでしまわれた。これはまことに残念至極のことであって、永久に後世の英雄をして涙を襟もとに満たさしむる次第である。

 「両朝」というのは先主劉備と後主劉禅のことで、「開済」とは事を開始しかつ成し遂げることをいいます。杜甫は孔明の誠実な生き方に感動し、唐朝がいま必要としているのは、孔明のような名臣であると思うのでした。

○蜀相 蜀漢の丞相諸葛亮、字は孔明をいう。○丞相 を諸葛亮いう、後漢の建安甘六年蜀の劉備が帝位に即き、諸葛亮を以て丞相・録尚書事となした。〇祠堂 やしろ、廟のこと、諾票の廟は成都の西北二里、劉備の廟の西にあるという。○錦官城成都の西城の名、織錦の官を置いたのによって名づけるという。○柏はくの木。○森森たちならぶさま。○培堂のきざはし。○嘉うぐいすの類。〇三顧売がまだ陸中に臥していたとき、劉備は三たびまで彼を其の軍歴に訪れた、これを三顧という。○宴繁は言煩に作る、頻繁晶煩もしげきこと、三たびも訪うというのは芝ぽんなことをいう。○天→計此の語は不完全句である、「天下を安んずるの計を定めんがためなり」というほどの意、此の句は劉備のがわより立てていう。〇両朝先主劉備と、其の子後主劉禅との二代をいう。○開済此の二字について胴解を下したものがあるということ晶かぬ、或は開基済墓の意とし、或は開レ物済レ務の意とするが、晋の劉票の「讐忠売開済ナリ」、司馬韓伝の「性開済ニシテ施ヲ好ム」、桓宣伝の「開済篤素」等の用例によれば唐時の慣例として人の性警写すのに開済という語があったようである、疑うらくは開巌済壷の意であろうか、暫らくこれによってとく。○老臣亮をさす。○出師局の建興五年、亮が軍を誓いて北のかた漠中に駐どまり魂を伐とうとしたとき、苧るにのぞんで後主に対して「出師ノ表」をたてまつった。○未捷身先死亮はその後に大衆を尽くして斜谷よりうって出、武功の責原に拠って司馬警消水の南に対陣すること夏日、建興十二年陣中に卒した。○英雄後世の英雄をいう。

蜀相
丞相の 祠堂  何處にか 尋ねん,
錦官城外  柏 森森たり。
?に 映ずる 碧草は  自ら 春色にして,
葉を 隔つる 黄  空しく 好音。
三顧 頻煩なり  天下の 計,
兩朝 開濟す  老臣の 心。
出師 未(いま)だ 捷(か)たざるに身先(ま)づ 死し,
長(とこし)へに 英雄をして  涙 襟に 滿たしむ。





訳註:
蜀相:三国時代の蜀の宰相の諸葛亮をいう。諸葛孔明の墓所を訪ねて、その悲運を詠ったもの。
この詩は北宋末の東京(開封)留守(守備隊長)であった宗沢が死の前日に謳ったものでもある。『宋史・列傳・卷三百六十・列傳第一百一十九・宗澤』に、「澤前後請上還京二十餘奏,毎爲潛善等所抑,憂憤成疾,疽發于背。諸將入問疾,澤矍然曰:『吾以二帝蒙塵,積憤至此。汝等能殲敵,則我死無恨。』皆流涕曰:『敢不盡力!』ゥ將出,澤歎曰:「『出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。』」翌日,風雨晝晦。澤無一語及家事,但連呼『過河』者三而薨。」と出る。
丞相祠堂何處尋:蜀の宰相であった諸葛亮の祠堂は、どこにさがしもとめればいいのか。 ・丞相:天子を輔けて政治を行う最高の官。宰相。ここでは蜀の宰相であった諸葛亮をいう。 ・祠堂:ほこら。たまや。霊を祀ったところ。諸葛亮を祀った祠は、成都市の西南にあたる南郊公園に武侯祠がある。 ・何處:どこ。 ・尋:さがしもとめる。たずねる。
錦官城外柏森森:四川省の成都の城外で、柏が生い繁っている(ところがそうである)。 ・錦官城:四川省の成都のこと。嘗て錦を管理する官を置いたことによる。錦城ともいう。杜甫の『春夜喜雨』に「好雨知時節,當春乃發生。隨風潛入夜,潤物細無聲。野徑雲倶K,江船火獨明。曉看紅濕處,花重錦官城。」とある。 ・外:城外。郊外。 ・柏:コノテガシワ。墓場に植える常緑樹。墓所(の雰囲気)を暗示する語でもある。陶淵明『擬古・九首其四』「迢迢百尺樓,分明望四荒。暮作歸雲宅,朝爲飛鳥堂。山河滿目中,平原獨茫茫。古時功名士,慷慨爭此場。一旦百歳後,相與還北。松柏爲人伐,高墳互低昂。頽基無遺主,遊魂在何方。榮華誠足貴,亦復可憐傷。」、 『古詩十九首・之十四』の「去者日以疎,來者日以親。出郭門直視,但見丘(丘:墓場)與墳。古墓犁爲田,松柏摧爲薪。白楊多悲風,蕭蕭愁殺人。思還故里閭,欲歸道無因。」や、同『諸人共游周家墓柏下』「今日天氣佳,清吹與鳴彈。感彼柏下人」を踏まえている。後世、唐の劉希夷が『白頭吟』「洛陽城東桃李花,飛來飛去落誰家。洛陽女兒惜顏色,行逢落花長歎息。今年花落顏色改,明年花開復誰在。已見松柏摧爲薪,更聞桑田變成海。」 ともした。そこでの「松柏」の意は、墓場の木。墓場に故人を偲んで植えた松柏も、年月の経過とともに墓地が忘れ去られて、墓地も廃棄されて、やがては、そこの松柏も砕かれてマキとなってしまうこと。ここの「柏」は、万代に亘って常緑・常青であり、悠久を表す「松柏」は、当然ながら常緑のものであって、常緑樹「コノテガシワ」のこと。日本の落葉樹の(柏餅に使われる)「カシワ」とは、異なる。 ・森森:樹木が盛んに繁っているさま。形容詞。
映?碧草自春色:美しい緑色をした若草の色が(諸葛亮の墓所の)階(きざはし)に照り映えて、自然と春の季節の気配を漂わせている。 ・映?:美しい緑色をした若草の色が(諸葛亮の墓所の)階(きざはし)に照り映えて、自然と春の季節の気配を漂わせている。 ・碧草:(美しく)あおい草。春の青い草。 ・自:おのずと。おのずから。自然と。 ・春色:春の季節のようす。春の気配。
隔葉黄?空好音:葉の繁みの向こう側で、チョウセンウグイスが(聴く人もいないのに)空しく鳴いている。 ・隔葉:葉の繁みの向こう側で。葉っぱ越しに。 ・黄?:ウグイス。チョウセンウグイスのこと。春を告げる鳥でもある。 ・空:むなしく。かいがなく。そこにはだれもその鳴く声を愛でる人は、いないのに鳴いているさまをいう。 ・好音:よい鳴き声。
三顧頻煩天下計:(蜀の劉備が諸葛孔明に)三顧の礼をとって、しばしば天下の計を諮ったが。 ・三顧:蜀の劉備が軍師を求めて諸葛孔明に三顧の礼をとった故事をいう。 ・頻煩:しばしば。たびたび。=頻繁。この語は、本来漢語の形容詞のようなので、国文法(日本語)では、漢語形容詞のよみとしての「たり活用」になると感じる(「頻煩たり」)のだが、先賢は皆悉く「頻煩なり」と読んでいる。この「なり」は助動詞の「なり」なのか?「頻煩」は名詞なのか…「開濟」の対なので、動詞なのか…。何如?? ・天下計:天下を手中に収める計略。天下を統一するはかりごと。
兩朝開濟老臣心:先主と後主に仕えて、扶翼してきた老臣の(その)思いは。 ・兩朝:先主・劉備と後主・劉禪の二朝。 ・開濟:基礎を始め、立派に成功する。物を開いて成就する。開物濟務。 ・老臣:重臣。歳をとった家来。ここでは、諸葛孔明のことを指す。
出師未捷身先死:出兵して、まだ勝利を収めていないうちに、肉体は先に死んでしまう。 ・出師:出兵。ここでは『(後)出師表』を上表して、出兵したことをいう。『前出師表』(『後出師表』)が『蜀書・諸葛亮伝第五』に「先帝創業未半而中道崩,今天下三分,益州疲弊,此誠危急存亡之秋也。然侍衛之臣不懈於内,忠志之士忘身於外者,蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。…」とあり、古来、その忠烈の情は、鬼神を泣かしむるものがあるといわれている。 ・未:まだ…ない。 ・捷:勝つ。 ・身:肉体。ここでは、諸葛孔明自身の肉体。 ・先死:先に死んでしまう。五丈原で亡くなったことを指す。
長使英雄涙滿襟:(その時以降、)いつの世までも(国のことを思う)英雄に涙を流させている。 ・長:とこしえに。 ・使:…に…をさせる。…をして…しむ。 ・英雄:ここでは、国事に奔走する人物。国士。忠臣。 ・涙滿襟:衣服のえりを多くの涙でぬらす。